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2011年9月27日火曜日

(本) 近ごろ気になる言葉たち

・男子たるものは、一度戦って負けても、やめてはならない。二度目三度目の戦いの後でも、やめてはならない。刀折れ、矢尽きてもやめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めてやめるのだ。―新島襄 (見城徹、藤田晋―憂鬱でなければ、仕事じゃない、p230)

・あらゆることについて疑ってみること、どんなに困難であろうとも決して回避しないこと、思考のどんな誤謬もどんな矛盾もどんな混乱も決して不注意から看過せず、自分自身の説であろうと他人の説であろうと否定的批判による厳密な吟味なしでは一切容認しないこと、そして特に、一つの言葉を実際に使用する前にその言葉の意味を、一つの命題に同意する前にその命題の意味を明確に理解しておくこと。(J.S. ミル―大学教育について、p47)

・言葉は賢人にとっては現金代わりの数取り札であり、愚者にとっては貨幣である (同p35)

・満足した豚であるより不満足な人間であるほうがよく、満足した愚か者であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。そして、愚か者や豚の意見がこれと異なるなら、それは彼らがこの問題について自分自身の側しか知らないからだ(J.S.ミル) (これからの「正義」の話をしよう、マイケル・サンデル、p75)

・生物学的に言えば、子供は私であり、孫も私であり、私、私、私と、私を伝えていくのが生物というものです。だから私の範囲をとらえ直し、未来の私までも勘定に入れた利己主義者になりませんかと、若者には勧めたいですね。 (本川達雄、生物学的文明論、p224)

・智者が同一を見るところにおいて、愚者は差別を見る。そして、差別にとらわれて、さまざまな迷いを生じ、恐れを生じ、さまざまな苦を受けている。(梅原猛、空海の思想について、p100)

・「お金は大好きです。でもお金が倍あっても、今晩食べるものは決まっています。」(WEDGE2010年10月号)

・他のどんなことよりも教育を受ける機会を切望している数億の子どもたちが世界中に存在することを知らない子どもたちだけが「学ぶことに何の意味があるんですか?」というような問いを口にすることができる。そして自分たちがそのような問いを口にすることができるということそのものが歴史的に見て例外的な事態なのだということを、彼らは知りません。(内田樹、下流志向、p43)

・「分散は、われわれ自身の無知に対するヘッジである。自分がしていることがわかっている者にとっては、分散はまったく意味のない行為である」(ウォレン・バフェット)

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ゾンビたちに追いつめられる夢。学校の屋上で、眼下には焼却炉。喰まれゆらゆらと落ちながら目が覚める。
オープンテラスにいる夢。石畳で海が見える。痴漢に間違えられ交番に連れて行かれて目が覚める。

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しかしなお、人間の、聖盤、聖杯探求のねがいは続く、いまあるような人間性でない、未来の人間性への望みと努力は続いているはずだとしか、もしトーマス・マンがいまなお生きていたとしても、かれにはいえないのではないか? (大江健三郎、「話して考える」と「書いて考える」、p218)