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2010年8月31日火曜日

医療事故関連メモ(今更だけど)

麻酔科に関連した箇所の引用、まとめ。
参考文献は「ルポ医療事故 出河雅彦 朝日新書(2009)」よく取材されて書かれている。

東京慈恵会医科大学青戸病院腹腔鏡下手術事故(p127-160)
・本事案において、麻酔科指導医は業務上過失致死容疑で書類送検されている
@麻酔体制の不備
 ・麻酔を直接担当していたのは泌尿器科の研修医。
 ・麻酔指導医は他の5件の手術と併せて6件の麻酔指導を行っていた。
 ・本手術では早期に輸血できたならば重大な事態にならなかった可能性が高い。
 ・適切なリーダーシップを発揮して早期に安全な術式に変更させておれば重大な事態にならなかったと思われる。(・・・実際の現場では麻酔科医が術式変更の提言をするのは非常に難しい)
@手術チーム内や手術チームと輸血部等とのコミュニケーションの不足
 ・術者と麻酔医とのコミュニケーションの不足
 ・手術チームと病院輸血部とのコミュニケーションの不足

・弁護側は、麻酔科指導医の過失こそが患者の死を招いた、という主張を展開した
その主な根拠
・あらかじめ用意された赤血球濃厚液4単位を輸血した後も貧血状態が改善しないこと
・病院自体に血液の在庫がなくなったこと、血液センターに追加発注しても1時間かかるという情報を入手しながら、40分間も輸血オーダーをせず放置した
・患者が生命の危険にさらされていることを術者に伝えなかったこと
これに対する判決
「極めて不適切であり、麻酔科医として過失があったというほかない」
・出血管理が麻酔科医のみの責任でないことは明らか、として弁護側の主張は退けた
「患者の全身管理を第1次的に担っている麻酔科医が、全身状態の把握に必要な情報を被告人らにほとんど伝えることをしていなかったことが、被告人らにおいて被害者の全身状態に思いを到らせないまま手術を続行させ、大量出血により被害者を死に至らしめた大きな要因となっている」

やはり、外科医が誰であれ、手術経過がどうであれ、麻酔科医としてやるべきことは全て躊躇せずやらないと第3者からは厳しく断罪されるのだ。忘れないようにしよ。

2010年8月29日日曜日

Training outside (其の五十九)

通勤ランをもしかしたら、またやることもあるかもしれない。背負ったまま走ってもゆれにくい鞄を購入してみた。そして試験ランをやってみた。家から2.5km離れた書店まで走ったのだが、なかなか快適に走れた。
だが、汗だくで書店内をうろつくのは営業妨害なのであった。
おまけに先日の20km走が尾を引いているのか、右股関節に痛みを感じた。

ランニング: 3.5km 20分(平坦な道)
 計438.5km(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 65.8km)
 (総時間2723分=45時間23分)

9月20km:田沢湖マラソン(あと21日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと98日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと175日)

2010年8月27日金曜日

街場のメディア論に思うこと

例えば小沢氏が「代表選に出馬する」という事実を、マスメディアから聴いたときの反応。
―なんて恥知らずな私利私欲の行動
―結局国益は無視か
―マスメディアは「対決」が大好きだから、また喜んで報道している
など。
これらは、どれも自分独自の反応ではなく、どこかで誰かに刷り込まれた反応である。これに限らず、日ごろ考えていることの多くは、どこかで誰かに刷り込まれたものである。それが残念なのか、喜ばしいことなのかは私にはよく分からないが、兎も角もそうなのである。
小沢氏に関して言えば国民の8割程度は代表選に出ることに不支持という意見らしい。不支持率が8割、である。けれども民主党内には150人超の彼の派閥に属する議員がいる。そして、議員辞職すると言っていた、およそ3ヶ月前まで首相だったあの人も、小沢氏を支持するという。
三歩歩けば、ではなく、三ヶ月たてば全てなかったかのように忘れてしまうのである。10億円の親からの相続("世間では"揶揄して子供手当てと言われている)を貰っていたり、政治資金収支報告書への虚偽記載の件で検察審査会沙汰になっていたり、秘書が逮捕されたりしていたことの責任は「1回首相と幹事長を辞任すること」でリセットされるのである。リセットして、臆面も無くマスメディアを通して国民の前に出てくることができるのである。私ならば恥ずかしくて出てこられないが、それくらいのキモの太さがないと、国政には携われないということなのである。
想像力が完全に欠如しているこれらの行動を、私はどう考えればいいんだろう。
勝手にやってくれ、って多くの国民が思っているのかもしれないが、このような状態にしたのは、有権者の責任でもあるから根が深いのである。国政は誰がやっても同じ、という意見の方もあろうが、高速道路を無料化したり、高等教育費を無料化したり、はした金(経済効果が不明という意味での)の子供手当てを国債発行してまでばらまいたり、円高を傍観していたり、韓国に謝罪の談話を発表したり、夫婦別姓や外国人参政権を認める法案を通そうとしていたり。そういうことは「誰がやっても同じ」か?

どこかで誰かに刷り込まれたであろうこれらの意見。結局のところ、メディアを通して得られた「一次資料かどうかも分からないような情報」を、政治の素人である私の頭で編集し直しただけなのである。メディアが選択的に編集した「○○市の30代主婦の声」などなどの街の人の声や「適切な文脈で使われているにも拘らず、センセーショナルな部分だけを抜き出して公表された政治家の発言」に少なからず、影響されているのである。

分かりやすく言えば「脳出血の妊婦が何十の病院をたらい回しにされた」「産婦が手術による出血多量で亡くなった」「麻酔科医が硬膜外に局所麻酔薬を入れすぎて患者が術中死した」という報道があったとする。医療者であれば「またメディアが医療崩壊につきすすむ医療者バッシングの偏向報道を繰り返している」という反応が極めて自然に出てくる。報道しか価値判断のリソースがない非医療者の方々は「けしからん、なんて病院だ、なんて医者だ。酷すぎる、人の命を何だと思っているんだ。血も涙もないのか、怠慢だ。それで医者か、さっさと辞めちまえ。」という反応をするだろう。

情報のリソースが同じ「メディア」である以上、私の政治への反応もそれと同じなのではないか、ということを思うのだ。
情報のリソースが同じなだけに、私の民主党への反応は、政治家たちの実情とかなり解離しているのではないか ― 私はそれを思うのだ。
そして、その正誤を確かめる程にまでは、自分の時間や興味を持ち合わせていないのである。そこまでするくらいならば麻酔のことを考えたり、本を読んだり、走ったりしたいのである。

だから、以下の言葉を心に刻んでおこう。

・せめて僕たちにできることは、自分がもし「世論的なこと」を言い出したら、とりあえずいったん口を閉じて、果たしてその言葉があえて語るに値するものなのかどうかを自省することくらいでしょう。自分がこれから言おうとしていることは、もしかすると「誰でも言えそうなこと」ではないのか。それゆえ、誰かに「黙れ」と言われたら、すぐに撤回してしまえることなのではないのか。(街場のメディア論-内田樹, 103頁)

・自分が語っている言葉の中に「命が危うくなると知るやたちまちそれを否認する」ような言葉がどれくらい含まれているか、その含有率について、ときどき自己点検するくらいのことはしてもよいのではないかと僕は思います。(同106頁)

2010年8月25日水曜日

喜劇か悲劇か (麻酔のこと)

・抜管直前のアナフィラキシーショック
・二腔チューブの挿管不可能

ということが同一の日に起きただけでも、専門医前の麻酔科医の自信をぶっ飛ばすには十分なのであった。

2010年8月24日火曜日

悲劇か喜劇か (歯科のこと )

当直明け。
予想より早く麻酔時間17時間で手術が終了したため少しばかり仮眠できた。
最終的な輸液、尿、出血の計測上の総水分バランスが+700mlちょっと。にも関わらず、SVV(stroke volume variation; 心拍出量変化率。およそ10-12%<で脱水の可能性が高いとされる指標)は手術中殆ど1桁を示し、昇圧剤も殆ど必要なく推移していた。これだから輸液は非常に難しい。たった1例からでも「~ml/kg/hrで」という輸液管理がいかに古いものかということがよくわかる一夜であった。
そして、漸く依頼原稿を出版社に送付することが出来た。

***
記憶の及ぶ範囲では6年ぶりとなる歯科受診である。
そもそもの受診の動機は練馬区が行っている「成人歯科健康診査」の対象になったから(30, 40, 50, 60, 70歳の区民は500円で、任意で受診できる制度)。
麻酔科医として毎日手術室で劣悪な動揺歯牙を見ていることから、自分の歯牙もチェックしてもらう必要性があると常々感じていたので、良い機会であった。

が。
結果は惨憺たるもので、全部で27本ある歯牙の内、未処置数(カルテに「C」と表現される歯 ― 即ち虫歯のことである)が…全部で10もあったのだ。
両上下奥歯の歯肉には浅いポケットが形成されており、そちらも治療が必要なようであった。何となく予想していた状況ではあったが、事実を突きつけられると矢張り愕然とする。歯科衛生士の方に数10分かけて歯石やステインを非常に丁寧にとっていただいた(きっと治療のやり甲斐のある患者であったに違いない)ため、見た目は見違えるように綺麗になったが、虫歯治療は長期戦になりそうな予感。既に手遅れ一歩手前感があったが、数十年後に麻酔科医に嫌われるような動揺歯の持ち主になることは避けたいので、治療に通うことにしよう。重症さに気づけたことは幸いなことであったし、人生においてやるべき暇潰しが1つ増えたのはいいことの筈。

研修医の先生方と麻酔をしていると、同じバイタルモニターを見ていても見えているものが違うことがよくある。その差に落胆するとともに、もっといろいろなものを読み取ってほしいと願っていろいろと教えたくなる。でも、きっと、自分にもまだまだ見えていないものがあるんだろうなぁ…と考えていたが、まさか自分の歯でそれと同じことが起こっていたとは。

でも、虫歯を抜歯されて痛かったら堪らない(奥方は智歯を抜かれて悶絶していた)ので、次回は田沢湖マラソンを完走したあと。




2010年8月22日日曜日

街場の現代思想 ― 内田樹 ~結婚とは?

今年読んだ本の中でも、非常に感銘を受けた本の1つ。たった600円でパラダイム・シフトが起こるかも(と、損得で物事を考える私も現代的な価値観に塗れた俗物である)。

(以下引用。太字は自分でつけたもの)
・欠けているのは、「自分の持っている知識」は、「どのような知識であり、どのような知識でないか」についての認識、自分自身の「知っていること」と「知らないこと」をざっと一望俯瞰するような視点、ひとことで言えば、「自分の知識についての知識」なのである。(12頁)
・「決断というのは、できるだけしない方がよいと思います。といいますのは、『決断をしなければならない』というのはすでに選択肢が限定された状況に追い込まれているということを意味するからです。選択肢が限定された状況に追い込まれないこと、それが『正しい決断をする』ことより、ずっとたいせつなことなのです」(117-8)
・結婚は快楽を保証しない。むしろ、結婚が約束するのはエンドレスの「不快」である。だが、それをクリアーした人間に「快楽」をではなく、ある「達成」を約束している。それは再生産ではない。「不快な隣人」、すなわち「他者」と共生する能力である。おそらくそれこそが根源的な意味において人間を人間たらしめている条件なのである。(153)
結婚を「損か得か」のタームで考えることは、「快楽」の貨幣でしかものごとの軽重がはかれなくなっている「近代の病徴」なのだということに、そろそろ気がついてもよいと私は思う。人間を真に「人間的」なものたらしめているのは快楽ではない。「受難」である。(153)
・あまり知られていないことだが、「やり直しが利く」という条件の下では、私たちは、それと知らぬうちに、「訂正することを前提にした選択」、すなわち「誤った選択」をする傾向にある(167)
・想像力を発揮するというのは、「奔放な空想を享受すること」ではなく、「自分が『奔放な空想』だと思っているものの貧しさと限界を気づかうこと」である。(216)
・今の若い人たちに欠けているのは「生きる意欲」ではなく、実は「死への覚悟」なのである。「生きることの意味」が身にしみないのは、「死ぬことの意味」について考える習慣を失ってしまったからである(243)

(引用終わり)

特に結婚についての考察は、結婚というものの本質をついているような気がする(ネガティブな意味ではなく)。自分の知識やものの考え方のスキーム(枠組み)は、これまで過ごしてきた自分の周りの環境によってのみ決められる。本書で語られるようなことの1つ1つは、私の知的スキームを広げることに大いに役立った。 普段ぼんやりと頭の中にあった(かもしれない)ことを分かりやすい表現と例えを使って、説いてくださった著者に非常に感謝したい。

結婚で思い出した。
何かのメールマガジンで見かけたのだが、女性に嫌われる男の代表的5Kは
「汚い、暗い、くさい、怖い、堅い」
だそうだ。だが、これは男→男でも女→男でも女→女でも当て嵌まることだろう。汚くて暗くてくさくて怖くて堅い人を好きになる人を見てみたいが。
項目が5つあることから何故か思い出したのが、Langeronらによるマスク換気困難の危険因子(Anesthesiology 2000; 92: 1229-36.)
「1.55歳以上、2.肥満(BMI>26)、3.ヒゲの存在、4.歯がない、5.いびき」
マスク換気困難は1-5のうちどれか2つ以上で感度は0.72, 特異度は0.73。上記嫌われる5Kについても同じような感度、特異度かもしれない(汚いとくさいはそれだけで0.90を超えそうな気もする)。

結婚といえば「婚活」。この言葉が世に広まって久しいが、わざわざ単語化されるほど特別な行動なのか私には疑問である。全ての恋愛行動は多かれ少なかれ結婚に繋がっている気がするが(本人たちが意識しているにせよ無意識にせよ)。それ程現在においては結婚自体が特別な行動になっているのか、或いは婚活という言葉だけが存在し、実態がないものなのか。まぁどうでもいいか。

とぼぉ~っと考えていたのだが、

「勝間さん、努力で幸せになれますか」の香山リカ氏によると

「婚活」という言葉が普及して、ますます結婚はほかの資格や収入と同じ次元のものになってしまいました。努力の対象となったわけですよ。(124頁)

私にはこの言葉の真偽が分からないし、また、調べようとも思わない。だが、上記内田樹氏の考察を踏まえるならば、婚活者は「結婚は快楽を保証しない」という思考が抜け落ちていて、「結婚すれば何があっても味方してくれる絶対的な存在ができるはずだ」と思っているから挫折を繰り返す・・・?(ただの私の妄想か)

だが、それについても内田氏は含蓄に富むことを書いている。

一緒に暮らす他者と、あなたは気持ちが通じないこともあるし、ことばが通じないこともあるし、相手のふるまいのひとつひとつが癇に障ることだってある。そして、こう思う。「この人が何を考えているのか、私には分らないし、この人も私が何を考えているのか、分っていない」それでオッケーなのである。結婚というのは「そのこと」を骨身にしみて経験するための儀礼なのである。(中略)自分を理解してくれる人間や共感できる人間と愉しく暮らすことを求めるなら、結婚をする必要はない。結婚はそのようなことのための制度ではない。そうではなくて、理解も共感もできなくても、なお人間は他者と共生できるということを教えるための制度なのである。(同161頁)

夫婦はつまるところ
 
「趣味?音楽聴くこと。もう朝から晩まで!」
「わ、ほんと?私もよ。ねえ、何聴いてるの?」
「私? マリリン・マンソン。あなたは?」
「……スピッツ」
と、音楽の話題は開始後三秒で終わってしまう。(同12頁)
 
のような関係でも成り立つものなのである。多分。

Training in Rena(其の五十八), 遂に20kmに到達

先日の「東京麻酔専門医会リフレッシャーコース」で、映画「レオン」(1994年)のゲーリー・オールドマン演ずるスタンスフィールドのスライドを出していた先生がいらっしゃった(確か麻薬取締局にもかかわらず麻薬に溺れているアメリカの麻薬問題に関連した内容だった)。今日何故かルネサンスでStingの「Shape of My Heart」が流れており、それを思い出したのであった。
私が映画「レオン」を好きなのは、この映画が中年のレオンと少女のマチルダのロリータ的な愛憎劇を描いているから、という理由ではなく、あのエンディングテーマがあるから、というところが大きい。通常版の110分なり完全版の133分なりの最後の最後に、あのイントロのアコースティックギターと「He deals the cards...」の歌声を聴くだけで号泣モノなのである。

それはさておき。
おとといの通勤路ランの実験では矢張り不安だったので、取り敢えず1度くらいはレースと同じ距離を走っておかねば、と思い直した。無事に目標距離を達成することができた。10km超えると足裏が痛くなり、15kmくらいで右股関節がちょっとおかしくなり、19kmくらいで左股関節に違和感が出た。なら止めればいいようなものだが、水樹奈々の「Orchestral Fantasia」(これまた名曲)に後押しされて、途中でやめられなかったのである。

ランニング:20.0km 114分(傾斜0.0 平均10.5km/hr)
 計435.0km(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 62.3km)
 (総時間2703分=45時間03分)

9月20km:田沢湖マラソン(あと28日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと105日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと182日)

これまで走った実時間を数えてみたら上記のようになった。1つの分野でプロ級の実力になるには1万時間つぎ込むことが必要、というのをどこかで読んだことがあるが、それを信じるならばあと9955時間走らなければならない。
仮に毎日0.5時間走るとすると…
0.5×300(日/年くらい)=150時間/年。9955 ÷ 150 =2769年 
…ん? そんなわけないか。プロのマラソンランナーだって1日10時間も走っているわけではないだろうし。
仮に1日5時間走るとすると…
5.0×300=1500時間/年 10000 ÷ 1500 = 6.67年
…これくらいなら当てはまるような気がしてきた。やはり私は趣味で走る市民ランナーということですな。

ちなみに麻酔に当てはめてみると12時間/日 × 23日/月 × 12 = 3312時間/年
ということは3年くらいやればプロ級に…なれるとは到底思えない。
1万時間説は何にでも当てはまるわけではないようだ。

クライモリ デッド・リターン(WRONG TURN 3: LEFT FOR DEAD) ☆

ジャンル分けするならば、本作はホラー映画ではなく、人体を損壊するスプラッタ映画(出演当事者たちにとってはこれ以上ない位のホラブルな状態だろうけれど)。上映開始7分間のスプラッタ映像に耐え得る心臓をお持ちの方であれば、あとの85分間も問題なく視聴可能であろう。
もう1回見ようとは思わないという点において、加えて1作目(2003年)、2作目(2007年)との比較という点において☆1つ。このご時勢にこういう作品を真摯に作製したであろうスタッフには敬意を払いたいと思うが…。

民主党代表選の方がよほどhorribleなことになりそう、、、と思うのは私だけか。

2010年8月21日土曜日

元ちとせ ― Orient ~ここにもある1つのヒロシマ

曲名を見て旋律を想起できたのは「なごり雪」だけだったが、鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)出身の、およそ雪には縁がなさそうな方が、この曲を唄う(謡う?)とどうなるのか興味があって手にとった。

元ちとせはメジャー1枚目のアルバム「ハイヌミカゼ」(2002年)くらいしか、きちんと聴いたことがない(3曲目の「ひかる・かいがら」が1番のお気に入りである。山崎まさよしが作曲していたことは今日初めて知った)。

彼女の歌声ではどんな曲を唄っても、彼女色に染まるのは多くの人々の想像通り。小林旭の「熱き心に」や、森山良子の「遠くへ行きたい」等、幼少期に父の車で聞いた記憶がある曲もあり懐かしい感覚を覚えた。

本作のハイライトは初回限定盤のボーナストラックである坂本龍一氏プロデュースの#11「死んだ女の子」(Nâzım Hikmet(ナジム・ヒクメット)作詞、外山雄三作曲。YouTubeで視聴可能)。ヒロシマを歌い上げたこの曲が入っているために、アルバムの発売日が8月4日と「原爆の投下日」に近くなったのだろうか?それはさておきこの曲が本作の全ての感動を持っていってしまっている。歌詞の良し悪しで歌を聴くことは殆どない私だが(歌詞がどんなに酷くても曲がよければ聴いてしまう)、こういう歌詞でこういう旋律が乗っかり、こういう歌い手が歌うのは反則である。数回聴いただけであるが、既に私の人生において、例え認知症になったとしても、容易には忘れられないであろう歌の1つとなった。

昨年の夏、広島を旅した時の、あの真夏の熱気を思い出す。

2010年8月20日金曜日

Training outside(其の五十七), 8月の中間試験としての通勤路走

【緒言】我々は普段文明の利器に頼った生活をしている。通勤に使用する電車もその1つであり、自転車もまた例外ではない。今回私はそれらが利用できなくなった場合においても自力で通勤できるのかを確認するために本実験を行った。
【目的】1ヵ月後に20km走れる走力が現時点でついているかを調査するための前向き単一症例試験。
【方法】通勤路は13.8km(Mapion キョリ測βによる測定)あるため、それをコースとして使用。それだけでは6.2km不足するため金曜夜の1番疲労が蓄積しているであろう時間帯を選択。因みにこの日の負荷としては朝5時に起床。日中に外勤先で3件の手術麻酔を行い、大学に戻りM先生による痛みに関するレクチャー(数10分)を受けた後、レジデントの先生たちの学会予演会に愛の鞭という名の好き放題のコメントを行った。その後に走ることで合計20km程度の負荷になると考えた。
【結果】大きな問題なく完走した。時間は78分30秒であった(21:18-22:54, 28℃, 湿度60%)。開始7.2km地点での中央環状線を跨ぐ新宿中落合の数100mの上り坂を越えて以降は安定したペースで走行可能であった。なお今回、同じように走っている人間を12人(男8女4)目撃した。
【考察】御茶ノ水から江戸川橋、高土橋交差点付近までは信号、歩行者、交通量過多、様々な飲食店から発せられる臭気、コンビニからの冷気等の障害因子が多く注意が必要であった。信号待ちした時間も含んだ今回の記録からは20kmを120分弱で走ることが期待される。飲み会や緊急手術麻酔で終電がなくなった場合でも、自力で帰宅できる可能性が示唆された。ただ、そのような深夜に走る場合には、血中アルコール濃度上昇や手術麻酔後のカテコラミン枯渇状態による集中力低下に注意すべきである。転倒による多発骨折や急性硬膜下血腫等を発症することでの救急搬送によりスタート地点に戻される危険性があること、道に迷う、不審者と思われ職務質問される、痴漢と間違われる、財布等の貴重品を落とす可能性などについて十分検討してから行うべきであろう。
【結語】やはり電車が1番ラクである。

ランニング:13.8km 78分(傾斜 平坦な道路が多い 平均10.8km/hr) 計415.0km
(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 42.3km)

9月20km:田沢湖マラソン(あと30日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと107日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと184日)

2010年8月17日火曜日

真夏の夜の夢

接客中に寝ていたら恐らくクビになる(もしくは厳重注意を受ける)だろう化粧品売り場の女性と、麻酔中に一過性に意識消失していても有害事象が起こらなければクビにはならないだろう私。

「やりたいことは全部やれ!」という大前研一氏の著作タイトルが天啓のように頭に浮かび、つい引き受けてしまったStanford Aの大動脈解離の緊急手術麻酔。昼間1日心臓外科麻酔をした後だったので(緊急の話があった時点でもまだ手術は進行中だった)、やりたいようなやりたくないような。或いは自分の体力・気力と相談してきちんと責任をもって麻酔をかけられるのか…という複雑な感情ではあったが、大動脈センターでもない当院において、自分が元気いっぱいの時にStanford Aがくるのを待っていたらいつになるのか。真夜中に輸血をポンピングしていると何故か自分の麻酔科医としてのやる気がふつふつと湧いてきた。きっと手術中に輸血の手を緩めていいかどうかの判断は麻酔科医が他のどんな科の医師よりも得意とする仕事。やる気いっぱいのY先生に助けられて無事に患者さんをICUまで移送することができた。多くの人に感謝した貴重な1日になった。ありがとう。

どこかで自分の持ってる知性的な、あるいは身体的な資源の限界を知って、それを優先順位の高いものから順番にうまく配分するということも覚えなくてはいけません。可能性は無限であると信じている人がいます。たくさんいます。でも、それは勘違いですよ。(内田樹 - 疲れすぎて眠れぬ夜のために p12より引用)

外は38.2℃(2日続けて38℃超!)だったが、皆さんの計らいにより今日は1日休ませていただいた。自分の影響の輪から逸脱しないように、組織や患者さんに貢献できればいいのだろう。

2010年8月15日日曜日

こもりきり

ああもう早く脱稿したい!!と生みの苦しみに悶えつつ、1日中パソコンに向かって原稿を作成している。どうせ外は36℃。作りながら参考文献の番号が本文での出現順とずれてきてイライラしたりする。今度執筆する際はEndnoteの使い方を覚えよう…。今月1番の集中力を発揮した甲斐あってか原稿はほぼ完成した、と思い込んでいる。締め切りがないとどこまでも手直ししたくなる自分との格闘でもあったこの数ヶ月。あとは上司や出版社の校閲に委ねよう。

***
8月15日になると出てくるのが靖國神社参拝。誰がしたとかしないとか。未だに「A級戦犯が合祀されているから」という理由で参拝しない外務大臣がいるようだ。この「平和に対する罪」の適用が事後法で、法の不遡及原則に反していることにお気づきなのだろうか。いつまで死人に鞭を打ち懺悔を繰り返す(先日の談話で既に国の要人が公式に謝罪するのが数10回目)のだろうか。参拝しろとは決して言わないが、歴史のお勉強をきちんとした方がよさそうである(これは自分への言葉)。

2010年8月14日土曜日

Training in Rena(其の五十六)

真夏に空調の効いた屋内でトレーニングする不経済性については十分承知しているが、屋外でのトレーニングによる副作用で救急隊やER当直医の貴重な時間や労力を消費することは耐え難いのでご容赦ください。横紋筋融解症とか本当に恐いので。

ランニング:10.0km 59分(傾斜0, 9.0-12.0km/hr, 16:30-) 計401.2km
(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 28.5km)

9月20km:田沢湖マラソン(あと36日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと113日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと190日)

雑司が谷の鬼子母神堂

池袋駅から歩いていける距離にあります。


その境内にイチョウがある。
樹高30m。幹周8m。都内のイチョウでは「麻布善福寺」につぐ大きさ。


お盆のためか、池袋界隈も人が少なくてよい。


2010年8月13日金曜日

水樹奈々 ― Impact Exciter

私がもっている数少ない文化資本の1つである「歌謡曲を聴いて楽しめる」力が遺憾なく発揮されるアルバム。

これまでの人生でまともに紅白歌合戦を見たことがなかったが、奥方の実家に帰省するに当たり、堪能したのが2009年の大晦日。その2009年12月31日に初めて「深愛」に出会い、そこから彼女の音楽のファンになった人は多いのではないかと想像する(それはYou Tubeでのヒット数が彼女の曲の中において「深愛」が100万超と際立って多いことから、である)。私もその一人。というほどには、その音楽には惚れ込んではいなかったのだが、何となく気になって手にとったこの新譜「Impact Exciter」は凄い。非常にキャッチー(注:覚えやすいメロディのこと)なメロディアス歌謡のオンパレードなのである。疾走スピードメタルが好きな方々にも大きくアピールする作品に違いない。手軽に楽しめるジャパニーズポップスのお手本のようなアルバムである。
「Silent Bible」「DRAGONIA」「夢幻」「恋の抑止力 -type EXCITER」「PHANTOM MINDS」「Don't be long」などは疾走感のあるアニメやRPGのプロモーションやテーマソングに使われそうな(実際使われているらしいが、こちらについての知識は全くない)、情感豊かな疾走歌謡曲である。バックの演奏に重たいギターリフやアルペジオを多用すればすぐにでもメタル化しそうである。丁度前作収録の「悦楽カメリア」から若干メタル色を後退させたような曲調のものが多い。まぁこの手の音楽にはちょっと聞いただけで拒絶反応を示す人も多いのかもしれないが、彼女の癖のないまっすぐな声に惹かれるファンは多いのだと想像。声優というだけでスルーするにはあまりにも惜しい。私の目下のお気に入りは#14の「アルビレオ」。

***
AnestAssist PK/PDを使用し始めてからというもの、レミフェンタニル登場以前のようなフェンタニル使用量に戻っている(例えば3時間の腎摘で8A使用)。シミュレータが個々の患者の効果部位濃度を保証する絶対の指標ではないとはいえ、覚醒遅延もなく、覚醒後に全く痛がらない患者をみるのは麻酔科医冥利に尽きるというもの。

2010年8月10日火曜日

AnestAssist PK/PDを使ってみた

外勤先の整形外科手術。予定時間を大幅に延長しそうな手術の中、気温はずっと19℃。真夏の中に極寒の地にいるのは、炎天下で働いている人から見たら極楽なのだろうが、寒いものは寒い。長袖を着て、1000mlの温生食を抱えてじっとモニターを眺める。

長時間の手術で集中力を切らさないようにと言う訳ではないが、おもちゃを持っていった。LiSA2010年8月号834頁に紹介されていたiPad/iPhoneアプリを6つほどダウンロードしてみた。中でも「AnestAssist PK/PD」は2300円とアプリにしては値がはるが、お金を取るだけの性能がある。フェンタニルの効果部位濃度を簡単に知ることができ、長時間の手術でもフェンタニルを躊躇なく入れることができた。これは非常に役立つアプリだ。全て英語だが、タッチしていくだけで直感的に使用可能である。

***
日本光電のポスターを何気なく見ていたら、昔から感じていた疑問を思い出した。何故心房細動はAfで心室細動はVFなのか。おんなじfibrillationなのに、小文字と大文字。気になって日本循環器学会の用語集を検索すると心房細動はAF、心室細動はVFであった。因みに心房粗動はAFLと略す。大文字小文字の謎は取り敢えず先延ばしすることとして正式な略称について知ることができた。

***
2本目の末梢静脈路がとれた、と取ってくれた研修医の方を振り返ったら右の手背に22ゲージ針。こんなラインでいざと言うときの輸血が出来るか、と説教してしまった自分が、かつてそうなりたくないような小うるさい麻酔科医になりつつあるような気がして妙にしょんぼりした1日だった。I先生、ごめんなさい。(目の前の人に謝るときに謝りすぎると、許してもらいたいんだ、という自我が謝罪に優先されてきてしまい、謝罪の本質から外れてしまうのでほどほどにしよう)

2010年8月9日月曜日

右の翼を失ったマゾヒスト

村山談話(1995年)に盛り込まれた「痛切な反省」や「心からのおわび」を踏まえた100年越しの反省を表明するのは結構だが、彼らは根拠とする村山談話自体が正しい歴史認識にたって為されたものなのかを検討したのだろうか?「正しい歴史認識」、という言葉自体が大いに主観的であることはここでは敢えて触れない。人間の数だけ、国家の数だけ「正しい歴史認識」があることは私でも想像がつく。
問題は何に対して反省やお詫びをしたいのか不明なこと。3世代前の祖先の代わりに懺悔し続けることにどれほどの価値があるのだろうか。先祖の魂に泥を塗って何をしたいのだろう。現代日本の自虐的な政治倫理(?)に則った100年越しの反省にどれほどの価値があるのか。近々発表される談話が楽しみである。

対照的だったのはクローリー米国務次官補が広島平和記念式典に関連して出したコメント。
「広島では謝罪することは何もない」


2010年8月8日日曜日

Training outside (其の五十五), 自転車の記録(其の六-十)

自転車で通勤することに現を抜かしていたら、ランがおさぼり気味になってしまっていた。
今日は借りていたDVDに延滞金が発生したり、電車の中に忘れ物をしたり、久しぶりに包丁を研いだりの平凡な1日だった。電車に忘れ物をしても、駅員さんに乗っていた電車と品物の特徴を伝えればきちんと確保しておいてくれる。それも無料で(確保された駅まで取りにいく時間と電車賃は当然有料)。何という恵まれた社会と時代に暮らしているのだろう。
ランニング:7.9km 42分(ほぼ平坦な道路, 約11.2km/hr, 18:00-18:42, 30℃, 湿度74%) 計391.2km
(3月 56km, 4月 63.1km, 5月 61.6km, 6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 18.5km)

9月20km:田沢湖マラソン(あと42日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと1119日)
(2月 30km:青梅マラソン あと196日)

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自転車の記録(其の六~十)
7月29日復路:48分(13.8km) 計82.8km
8月4日往路:36分54秒 (13.8km) (5:04-41) 計 96.6km 27℃ 94%
8月5日復路:44分11秒 (13.8km) (10:30-11:12) 計 110.4km 35℃ 70%
   久しぶりに一睡もできなかった当直明けに、これまた久しぶりの猛暑日。
8月6日往路:37分31秒(13.8km) (5:14-52) 計124.2km 28℃92%
            復路:53分40秒(13.8km) (20:20-21:14)計138.0km 28℃

2010年8月7日土曜日

少年メリケンサック☆☆☆☆

パンクはよく分からない。2705曲(今日現在)入っているiPodにも、それにカテゴライズされるバンドの曲が1曲もない。だが音楽を題材にする映画には興味があったのであった。というより宮崎あおいが出演しているから見た、と言った方が正しい。
肝心の映画の中身だが、徹頭徹尾くだらなかった(この映画にはこの表現が一番の褒め言葉だと思う)。くだらなさに拘っているところに愛情が感じられる映画。パンクが好きじゃなくても、パンクがなんだか分らなくても楽しめる。ナンセンスなギャグの連発。大して期待していなかった分、非常に楽しめた。
と思ったのだが、ネット上の評価は賛否両論のようだ。曰く「下品、脚本が酷い、俳優がもったいない、ギャグが滑ってばかり、これで2時間は辛い」等々。同じものを見ているにも関わらず、感じ方が人それぞれなのを拝見するのは非常に興味深い。
しかし否定派の人たちも125分の上映時間をしっかり見ているところがすごい。中には映画館に足を運び、その上でDVDも見ている人もいるのだ。その労力に感動すら覚える。そこまでして、この映画のここがダメ、あそこがダメ、だから評価は☆1つ、むしろ☆1つもあげたくない、と主張しているのだ。牛糞やゲロがこの映画の下品さの根拠だとして、私がそれらに耐えられないとしたら、私ならば2回も見ないし、ましてや最後まで見ないであろう。
そうまでして否定する、否定論者の意図が私にはよく分からない。宮藤官九郎監督のファンだったり出演者の佐藤浩市や木村祐一のファンだったりする人々が、彼らへの愛が作品の凡庸さに裏切られ半ばストーカー的な恨みにより行った否定なのだろうか。それならば解し易いが、2回以上見て☆ゼロの評価は本当に☆ゼロなんだろう。そのような人たちに私は安易な批判をしない。彼らは真剣なんだろうから。

映画本編も有意義な時間だったが、真偽は不明ながらも映画に対する他人の意見に触れたことは非常にためになった。

2010年8月1日日曜日

Training outside (其の五十四)、早朝ラン3回目

脱水の早朝に走るのは、コンビニの前で煙草をふかしている中年女性よりも、体に悪いことをしている気がする。酷く蒸していて空気が重い。

ランニング:10.6km 53分(ほぼ平坦な道路。約11.6km/h, 5:40-6:33, 27℃, 湿度98%) 計383.3km
(3月 56km, 4月 63.1km, 5月 61.6km, 6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 10.6km)

9月20km:田沢湖マラソン(あと49日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと126日)
(2月 30km:青梅マラソン あと203日)

今日から東京マラソンのエントリーが始まる。一応応募してみようと思う。