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2013年9月22日日曜日

(旅) 秋の小トリップ・其の壱 (静岡県沼津市)

ということで続編があるかわかりませんが、小旅行シリーズ、其の壱です。
9月になってから、こちらへ行って参りました。



静岡県沼津市にある「若山牧水記念館」です。詩人、若山牧水の生誕の地は宮崎県なのですが、亡くなるまでの数年間、この沼津に終の棲家を構えたということで、この地にも記念館があります。
事前に調べたところ、沼津駅から記念館まで徒歩20分だったので、タクシーを使うまでもないし、バスはよく分からないし、レンタカーは使えないし、レンタサイクルもないし…ということで歩いて行きました。といっても駅から記念館までこれといった目印もなかったので、iPhoneの「Google Maps」を頼りに、最近聴きはじめたブラームスの交響曲第4番(カルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のもの)をBGMにしてずんずん歩いたのでした。


記念館のような施設は大体、夕方17時ころ閉館してしまうものですが、この施設は実に、16時半に閉まってしまうのでした。この日、記念館に到着したのは閉館する20分前。少し涼しくなってきたとはいえ、重たい鞄を持ったまま20分歩き続けると汗だくです。展示物を見る前に呼吸を整えねばなりませんでした。

幸い、展示物の数がそれほど多くなかったので、閉館までの20分ほどで、ひと通り目を通すことが可能でしたが、2時間あったら2時間かけてゆっくり見ることもできただろうなぁ、と思うと、そのうちに時間を見つけて再訪しなければならないような気持ちのままに、記念館を後にしました。


記念館は「千本浜公園」という、千本松原を中心とした海浜公園に隣接した場所にあります。真っ直ぐな松を沢山見ることができます。


千本浜公園は西向きの海岸になっているので、夕日を眺めることができました。


もっと天気が良いと、夕焼け雲と富士山を同時に写真に収められるくらいになるらしいです。日が落ちるまでの1時間ほど。記念館で購入した若山牧水の詩集や、ゲーテのファウスト(新潮文庫版)を、波の音を聴きながら読み進めることができました。


千本浜公園から沼津駅への帰路の途中に乗運寺があります。この寺に若山牧水は葬られたようです。1日に1升も酒を飲んでいたら、矢張り肝硬変になりますよね…。酒は程々にするのが健康にはいいでしょうが、若山牧水が程々の酒しか飲んでいなかったら、氏の詩や随筆、紀行文が今まで残らず、私は読むことができなかったかもしれない…と思うと複雑な気分になります。

***

干支一周くらいの長い間にわたり仲良くしてくださっている友人たちとの会話で、色々なことを学びました。

僕はまだまだ僕以外の人たちに期待し過ぎていて、まだまだ他力本願のようです。

「どんなことでも体験してみないと分からない」というのが、私のポリシーの1つだったのですが、それにしても、何だかいろんなことを体験するのにちょっと疲れてきたので、鴨長明の方丈記のイントロの如く、流れに拘泥せず、ある程度なりゆきに任せてみたいような気がします。
周りの方々の親切な気持ちに感謝できるうちは甘えさせていただこうと思います。ご迷惑おかけしますがどうぞよろしくお願いします。

2013年9月16日月曜日

(映) チャンス (Being There - 1979年, US) - ゆるコメディの傑作です

最近、友人に教えてもらって見る機会に恵まれました。1979年のアメリカのコメディ映画。私が生まれる前の年に公開された映画。

本作を見終わってから知ったのですが、主演のPeter Sellers、本作が最後の撮影となり翌年54歳で心臓発作で亡くなっています。Wikipediaによれば、39歳からペースメーカをつけていたそうです。こんなに仏のような笑顔が出来る人でも、現世における長い寿命は与えられないのですね…、本当に人生は不平等です。死は人を選ばずに迎えに来るのでしょうか。

本作はワシントンD.C.が舞台ですが、劇中、わりと前半にこんなシーンが映されます。



もしかしたら麻酔科の先生の中にも、去年のASAでこの辺りを歩いた方がいらっしゃるかもしれません。左手に169mのワシントン記念塔Washington Monument、そして53歳の男の背中がスクリーン中央に。私も昨年の10月、この辺りを友人と二人で歩いたことを、本作を見て思い出しました。

もしこの風景に幾許かの郷愁を感じる方がいらっしゃれば、本作の130分、無駄にはならないと思います。ハッピーな気分になれる、おすすめの1作です。

(音) 私立恵比寿中学の「中人」(2013年) ~ 無念、ももクロのセカンド・アルバム敗れたり…

ももいろクローバーZのセカンド・アルバムについての記事を以前書きましたが、今日ご紹介するJ-POPアルバムの方が完成度が高く感じられました。アルバムタイトルは「ちゅうにん」と発音するようです。



私は「私立恵比寿中学」(エビ中、と略すらしいです)のライブに行ったことがありませんし、これまで発表された曲も知りませんでした。TSUTAYA DISCASでたまたまレンタルしたこのアルバムで、初めて彼女たちの音楽に触れることとなりました。

ももクロのセカンドとエビ中のファーストアルバムと。どっちが優れているか、という話をしてもまるで意味が無いのでしませんし、そもそもどっちも「所詮アイドルが下手くそな歌うたってるだけだろ」と唾吐く、ステレオタイプ的態度の、食わず嫌いの人が沢山いることも容易に想像できますので、まぁ私的にもどうでもよいのですが、最近いいJ-POPないかなぁ、と何かを探している人には、私は取り敢えず本作を推薦してみたいと思います。

本作の特長
・17曲も入っている
―うち3曲はinterlude、つまり曲と曲との間奏のようなお遊びです。ですのでちゃんとした曲としては14曲でしょうか。interlude3曲の中では#6は白眉の出来で、毎回聞き惚れてしまいます。

・しかもキャッチーな曲が沢山入っている
―下に赤く示しましたが、私的にはこの9曲は大して噛まなくてもいい曲だと思える分かり易い良曲でした。14曲中9曲ですので64%が良曲クラス。というアルバムには近年そうそう出会えるものではないです。

・しかもしかもメタルあり!!
―1曲聴くならどれか、と問われれば#3か#7か#8か#10あたりでしょうか…。其の中でも#7「放課後ゲタ箱ロッケンロールMX」は異色の出来。私はそれほどアイドルの歌に詳しくはないのですが、私がこれまでの人生で接してきたアイドルの曲の中ではキング・オブ・メタルな曲でした。
ピアノのイントロ、其の後に続くドラムス、ギターソロ、シンセ…コーラスの異常なまでのテンションの高さとキャッチーさ、これは本当にメロディック・スピード・メタルの世界ですよ。この曲を聴くだけでもこのアルバムを聴く価値がありそうです。
まぁ、でも歌謡曲的哀愁に溢れた#3と#10の方がアイドルっぽくて分かりやすいですが。昭和の家族への憧憬を強く思わせる名バラッド#13「いい湯かな?」やポップチューン#11、努力している人たちへの応援ソング#16はじりじりはまってきました。

彼女たちはこれからきっと、もっと人気が出るんでしょうね。歌はまだまだ上手くありませんが、それをカバーして余りあるエナジーに満ち溢れた1枚でした。お暇な方はどうぞ。私はもう30過ぎてますが#8「大人はわかってくれない」の歌詞と青春ロックのさじ加減ときたら感涙するしかありませんでした。

歌謡曲的哀愁ポップあり、テクノあり(#9はYMOのカバーです)、ロックあり、メタルありの1作です。今年一番のJ-POPかなぁ…、もしもっといい作品に出会っている方がいらっしゃったら是非教えて下さい。お願いします。


1. Chuning!! (Interlude) 00:48
2. 仮契約のシンデレラ (long ver.) 05:17
3. 梅 04:14
4. あたしきっと無限ルーパー 04:04
5. R-O-B-O-C-K 02:57
6. 高校廃止法案 (Interlude) 02:18
7. 放課後ゲタ箱ロッケンロールMX 04:31
8. 大人はわかってくれない 03:55
9. 体操 04:19
10. 禁断のカルマ 05:30
11. 誘惑したいや 05:37
12. チューニング真っ最中 (Interlude) 00:48
13. いい湯かな? 07:59
14. 手をつなごう 05:33
15. 中人DANCE MUSIC 04:56
16. 頑張ってる途中 04:52
17. あるあるフラダンス 03:06

2013年9月13日金曜日

(映) 風立ちぬ ― 夢のような1作でした

なんで映画館で観たかといいますと、周りで何回かこの映画のことが話題に上ったこと、堀辰雄の「風立ちぬ」をKindleで0円で購入して読み始めたこと、そして最終的にはこのプーチン氏が表紙のTIMEのp43-46で紹介された記事に下記の言葉を見つけたことによります。

The wind is rising! We must try to live! (同記事p44)


日本人なのに、外国人による外国人のための映画紹介の英語の記事が行動の最後の一押しになるとは。ちょっと負けた気がします。


宮崎駿氏監督の映画を映画館で観たのは「千と千尋の神隠し」(2001年)以来ですから、12年ぶりになります。というかハウルもポニョも未だに見ていませんでした。ジブリのアニメを映画館で見るという行為が何となく苦手なのです。


そういえばこの新潮文庫の「人間の土地」の表紙の絵、それと巻末p237からの「空のいけにえ」という文章を宮崎駿氏は担当しています。この本は、以前当ブログで触れたことがありました。
サン=テグジュペリの「人間の土地」は、氏の「夜間飛行」とは異なり、未だに私にとっては身近な一冊になっていないのですが、この「空のいけにえ」の文章が妙に心に残っていたことも、映画館に私の足を運ばせた一因でした。この文章です。

***
風景は、人が見れば見るほど摩耗する。今の空とちがい、彼等のみた光景はまだすり減っていない空だった。今、いくら飛行機に乗っても、彼等が感じた空を僕等は見る事ができない。広大な威厳に満ちた大空が、彼等郵便飛行士達を独特の精神の持主に鍛えあげていったのだった。
(中略)
人類がいまだに空を飛べなくて、雲の峰が子供達の憧れのままだったとしたら、世界はどうちがっていただろう。飛行機を造って手に入れたものと、なくしたものとどちらが大きいのだろうかとも考える。凶暴さは、僕等の属性のコントロール出来ない部分なのだろうか。(同p241−3)
***

この文章が、映画が始まる前から、そして劇中、劇終了後、ずっと私の脳裏にあったものですから、あぁ、これはもう宮崎駿氏が作りたかった映画で一番のものだ、と誠に勝手ながら得心した次第です。これが本当の引退作になってもおかしくないでしょう。また作ると言い出すのかもしれませんが。

この映画には夢も妄想も希望も絶望もありますが、サン=テグジュペリを敬愛する氏の想いを映画にするとしたらこれ以上のものはないでしょう、きっと。
久石譲氏の作った映画のメインテーマ、これも神懸ってますね。音楽を聴きに、もう1回観に行こうかなぁ。

2013年9月6日金曜日

(雑) とても敵わない

久しぶりに須賀敦子氏の著作を読みました。
何年か前に「ユルスナールの靴」を読んだことがありました。其の時は確か、書店で「ユルスナール」という、自分の辞書にない、未知の言葉の得体のしれない雰囲気に引き寄せられるように買い求めたのですが、実際に読んでみると、ユルスナールという単語以上に話しの中身が全く良くわからず、あぁこの本に自分はまだ呼ばれていなかったのだなぁ、と酷くがっかりしたことを覚えています。


今改めて、須賀敦子氏が書く小説ではなく、彼女の自伝的なエッセイの描写に触れると、それは実に微に入り細を穿った記載で、まるでその場に自分もいるかのような魔法をかけられてしまうことに気づきました。

上記「須賀敦子全集 第4巻」に収録されている「しげちゃんの昇天」の一部を引用させていただきますと、

***
学校の図書室は、それまで生徒は許可なしに入ってはいけないことになっていたのだが、あるときから、時間をつくって、すこしでもいいから、本をお読みなさいと言われるようになった。きれいにワックスをかけた飴色の木の床の図書室におそるおそる入っていくと、西洋の本の匂いがして身がひきしまった。ほとんどが私たちには読めない外国語の本だったが、日本語の本もないわけではなくて、私のお気に入りは、登場人物名をナントカナニ吉というような、奇妙な日本語になおした(有名な)ディケンズ全集だった。(p21)
***


また、最近、とある本から、神谷美恵子氏の伝記の存在を知り読んでいました。
マルクス・アウレリウスの「自省録」の翻訳や、ハンセン病患者の施設における自身の体験などをまとめた「生きがいについて」などで有名な方の伝記です。

医師として、母として、妻として、教師として、文筆家として、謙虚に生涯努力を続けたであろう、氏の生き様を前にすると、私は自分の至らなさに頭を垂れるしかありません。女性がまだ今ほど(今、の日本ではまだ全く不十分ですが)社会で活躍することを期待されなかった時代に、私には想像できない程様々な制限の中において、自分に与えられたギフトを最大限発揮するような生き方をしていた女性がいたのです。

私の我武者羅も謙虚さも、まだ全く児戯の如しです。そんな1週間でした。

2013年9月5日木曜日

(雑) 330min + 270min + 180min

早いもので9月ですね。もう5日になってしまいました。これは8月24日の朝撮影したものです。


人と会って人と話す。
私はこれまで、話をすることが得意か苦手か…と問われれば「まぁ喋らなくていいならそれでいいかな…」と、どちらかと言うと苦手な方だと思っていました。
ですが、この1週間ほどの間に330分(5時間半)、270分(4時間半)、それぞれ別の方と一対一でお話する機会をいただき、また別の方々と一緒に180分(3時間)、お話をしました。これは勿論仕事とか実験の時間の中の話ではなく、それ以外に、という状態でのことです。

会って何を話そうか…と思考がよくまとまらなくても、取り敢えず一緒にご飯を食べることにする。食べたり飲んだりしはじめると、よく考えないででた言葉の1つ1つが自分の手を離れていって塊をつくっていく。一粒一粒の水の流れが川を作り海を作るように、個々のピースが上手くはまっていって、気がつくと数時間経っているような状態です。
自分がそのような環境にいられると自覚できることは、大変幸せなことだと日々思うのですが、自分だけでなく、それによって相手の方が多少なりとも、一時的にでもハッピーになってくれるのを感じられると、あぁ、これは、人の中で生きている幸せのうちの1つなんだなぁ、と思います。

***
最近読んでいた岩波文庫の「ヨブ記」(関根正雄訳)は、230ページ程度の薄い本なのですが、今の自分にとって難解でした。朝の電車の中で読んでいても、ちっとも頭のなかに入ってきませんでした。 


と思って、こちらの三浦綾子氏のkindle版の本の十二章めの「苦難の書ヨブ記」を読んだところ、少し理解が進んだ気になれました。この調子で少しばかり旧約聖書についての理解が深まればいいのですが。
旧約聖書の世界を、自分の実体験として体験する日が来るのかよくわからないので、この読書は、もしかすると、ただ自分の知識欲を満足させるだけのものであるような気もいたしますが。