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2010年11月28日日曜日

(走) Training outside (其の八十)

いつの間にかハーフマラソンが1週間後に迫っています。あまりに練習不足だったので、直前になって焦っています。銀杏の葉も大分散ってしまいました。

15.7km 92min (10.2km/h, 13℃)
total distance: 606.8km (Sep 48.5km, Oct 66.6km, Nov 52.2km)
total time: 3755min = 62h35m

12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと7日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと112日)

今日のペースを保持すれば目標としては2時間6分程度が順当なところでしょうか。いずれにせよ、風邪を引かずに完走できれば万々歳です。

2010年11月27日土曜日

(本) イシューからはじめよ 知的生産の「シンプルな本質」 ― 安宅和人

著者はヤフーのCOO(Chief Operating Officer)室室長を勤める方です。

題名を読むなり私は「隗より始めよ」という故事を思い出しますが、本書の内容は全くそれとは関係ありません。(因みに・・・中国の戦国時代に郭隗が燕の昭王に対して、賢者を招くためには、まず自分のようにさほど優秀でないものを優遇せよ、と進言した故事から・・・遠大な事をなす時は、まず卑近な事から始めよ。転じて、物事は、まず言い出した者が着手すべき・・・の意です)

友人に「メニューのないバー」というアダルトな場所に連れて行ってもらった帰りに、ほろ酔いのところで手にとったのですが、本書の白と黒のシンプルな装丁が気にいり購入。今着手している仕事で書きたいことが上手く書けないという苦しみにいます。その状態から開放されるための、何らかの手助けにならないかと手にとったというわけです。

本書のメッセージは「何に答えを出すべきなのか、についてブレることなく活動に取り組むことがカギなのだ」です。
本書におけるissueの定義(p25)は以下の2つです。
1) a matter that is in dispute between two or more parties
  (2つ以上の集団の間で決着のついていない問題)
2) a vital or unsettled matter
    (根本に関わる、もしくは白黒はっきりしていない問題)

そのissueを意識し、そこにいたる道筋(ストーリー)、問題を徹底的に考えてから、仕事や論文、プレゼンテーションをまとめることを開始する~という手法について、事細かに解説しています。問題が与えられたときにいきなり動き始めるのではなく、「何がissueなのか、ゴールはどこなのか」を逃げることなくしっかり意識してから、物事を進めることの重要性を説いています。プロフェッショナルと呼ばれる仕事をしたい人に対して。

本書では、限界まで働くことや、頑張ってるんだからいいじゃないか、というような甘ったるい考えは徹底的に排除されています。それは「労働者(laborer)」の思想だと断言しています。一読しただけでは本書の内容を十分理解することはできませんでしたが、仕事に対する何らかのパラダイムシフトが起こることは間違いないと思いました。(できる人達はとっくに実践している手法なのかもしれませんが)

2010年11月23日火曜日

(麻) takotsubo cardiomyopathy(たこつぼ型心筋症)

1990-91年に初めて日本で報告されたこの疾患は、私にはあまり縁がありません。apical ballooning cardiomyopathyやstress-induced cardiomyopathyともいうようです。本疾患に対してはド素人の私が何故無知をさらけ出す恥を承知で書くかといいますと、麻酔専門医認定筆記試験47C44-45に出題されていたからです。それなりに知識を整理しておかなくてはなりません。

診断基準としてはUpToDateによると
The following are the proposed Mayo Clinic diagnostic criteria, all four of which are required for the diagnosis :
•Transient hypokinesis, akinesis or dyskinesis of the left ventricular mid segments with or without apical involvement. The regional wall motion abnormalities typically extend beyond a single epicardial coronary distribution. A stressful trigger is often, but not always present.
•Absence of obstructive coronary disease or angiographic evidence of acute plaque rupture.
•New electrocardiographic abnormalities (either ST-segment elevation and/or T wave inversion) or modest elevation in cardiac troponin.
•Absence of pheochromocytoma or myocarditis.

だそうです。(参考文献として・・・Systematic review: transient left ventricular apical ballooning: a syndrome that mimics ST-segment elevation myocardial infarction. Ann Intern Med 2004 Dec 7;141(11):858-65.)

@覚えておく知識
・病院死亡率は2%程度。通常1-4週でもとの心機能に改善
・70歳以上女性に多い
・AMIに類似した胸部症状や心電図変化。トロポニンTも陽性に。
・左室心尖部を中心とした広範な収縮低下と心基部の過剰収縮。
・冠動脈は異常なし。左室壁運動異常は冠動脈支配域に不一致。
・収縮異常は通常数日~数週で改善する

JAMA(2011; 306: 277-286)の前向き7施設256人の解析によれば
・平均年齢:69歳
・女性:89%(227例),閉経後女性:81%(207例)、50歳以下の女性:20例(8%)
・男性:11%
・来院前の48時間以内に重大なストレス事象あり患者:71%(182例)
 ・心理的ストレス:30%
 ・身体的ストレス:41%
・来院時の心電図異常:87%
・冠動脈造影:193例(75%)の冠動脈が健康
・CMR画像:全例に左室心尖部のバルーン状拡張と中等度~重度の左室機能低下あり。(MTpro 2011年9月1日(VOL.44 NO.35) p.01より引用)

@治療
・前負荷・後負荷の軽減
・重度の心不全やショックの時には左室内圧較差の存在にも注意(たこつぼ型心筋症の13-18%程度にLVOTOを合併~UpToDateより)。その際はカテコラミン使用注意。βブロッカーやACE阻害薬、適切な輸液で治療。フェニレフリンも有用かもしれないが、冠攣縮等に注意。
・冠拡張薬は無効
・LVOTOがなければドパミンやドブタミンを使う。重症例ではIABPの使用を考慮(短報として・・・麻酔 53: 799-803, 2004)

***
たこつぼ型心筋症の原因として外科手術やSAHなどもあるようです。術中発症のたこつぼ型心筋症には遭遇したくもありませんが、術中に原因不明に低血圧で頻脈になったりしたらTEEを使って診断する必要があるのかもしれません。でも、SAHの手術中には口からTEEのプローベを入れられませんし、入れたくもありません。
今宵の当直帯にそのような患者さんが来ないことを祈るばかりです。
 
色々調べた後にwikipedia(英語の方)を読んでみたら相当詳しく書いてありました。inotropeで治療に難渋したらIABPを使うことを考慮くらい書いてあります。しかも、たこつぼ型の左室造影画像まで掲載されています。日本語の「ウィキペディア」には英語程の情報がなかった(あくまで今日現在ですが)ことから、日本語のみによる情報収集が如何に心許ないものかを改めて知らしめてくれる一件でした。
 
なんでこの疾患が「たこつぼ型」というかを万が一、留学生に聴かれたときの為に
「The name of the disorder is taken from the Japanese name for an octopus trap (tako-tsubo), which has a shape that is similar to the apical ballooning configuration of the LV in systole in the "typical" form of this disorder.」

2010年11月22日月曜日

(麻) べーたぶろっか (麻酔と)

Variations in Pharmacology of ß-Blockers May Contribute to Heterogeneous Results in Trials of Perioperative ß-Blockade. Anesthesiology. 113(3):585-592, September 2010.

bisoprolol (メインテート) やbetaxolol (ケルロング) 、atenolol (テノーミン)に比べるとmetoprolol (セロケン)はβ1選択的な遮断作用が弱いです。
これまで色々なスタディで周術期βブロッカーの有用性について論じられてきましたが、スタディによって使われている薬剤が異なります。これらを解析するとβ1選択的阻害作用が強い薬剤の方が脳卒中等の合併症が低く(?)、予後がよいようです。ということで、臨床においては「βブロッカー」という把握ではなく「何というβブロッカー」を内服しているか、に気をつける必要があるようです。
術前に突然始められたβブロッカーは予後を改善しない(むしろ悪くなる?)というのは、既に抄読会で何度か聴いているので、常識として覚えておいてもよさそうです。

忘れないように記しておくと、propranolol (インデラル)はβ1選択的遮断薬ではありません。

2010年11月21日日曜日

(本) SIX WORDS たった6語の物語 ― スミスマガジン編集(翻訳:越前敏弥)

これは英単語6語の物語集です。英語版川柳です。
メタル愛聴家の私としては

Lived life, playing metal, went deaf. (ヘビメタ人生を送り、難聴になる。) (p.9)

なんかがとても気に入りました。
そして自分でも作ってみました。

Surrounded by difficulties, wanna keep standing.

これも30代の抱負としてみようかと思います。

(走) Training outside (其の七十八~九) と (本) 終末期患者からの3つのメッセージ ― 大津秀一

Saturday: 6.8km 33min (12.3km/h, 13℃)
Sunday: 8.6km 48min (10.7km/h, 14℃)
total distance: 591.1km (Sep 48.5km, Oct 66.6km, Nov 36.5km)
total time: 3663min = 61h03m

12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと15日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと120日)

***
ようやく、来年の5月の麻酔科学会総会に出す演題の抄録を作り上げることが出来ました。これも偏に指導してくださった先生方のおかげです。

医師として社会と繋がりを持てていることは幸せなことだと思いますが、それでもこの数年のうちに変化していった感覚がたくさんあります。よいものもよくないものも。

医師や看護師が、自分より50年は長く生きていると思われる患者さんに対してかける言葉に以下のようなものがあります。
「~~さん、~~ですからね~~あぶないですよ~」
私は学生の頃、この声かけに対して異常な違和感を感じていました。仮にも人生の大先輩にあたるような人に対して子供に注意するような、小馬鹿にしたような口調で注意をするとは何と言うことだろう、と。私のこの感覚は今日に至るまでくすぶり続けていますが、自分でもそれに類した声かけをしていることに気づいた時には、人知れず反省します。

想像するに緩和医療に携わっている医師たちは、私より何百倍も「言葉の内に込められた力」に思いを馳せている筈です。そのような医師が、「1000人以上の患者さんがこの世を去る」お手伝いをしているうちに日々考え、紡ぎだした言葉は、私の胸にも迫るものがありました。

・自分が偉いから上手くいっているのではなく、運がたまたま味方しているだけだというのを意識するのは重要である。(115)
・「多くの人が、仕事がいやだとか、苦しいとか言っているのをよく聞きますが、自分とすれば、働けるということ、今日も生きていたということが、うれしくてうれしくて、当時人の三倍は働きました」(153)
・私は緩和医療医だが、それがゆえに言葉を選ぶ。毎日薄氷を踏むような思いでもある。どんな言葉にも思いが込められていなければ、ものを聴く時間が限られている患者さんたちには辛いことであろう。(158)
・ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめようともしない。(179)

自分の想像力の限界を感じながらも、その想像力の先にある世界に謙虚に思いを馳せながら生きていきたいと考え、30代の始まりとしたいと思います。

2010年11月20日土曜日

(本) 目に見えないもの ― 湯川秀樹


奈良で買った本の1冊です。旅行に行っていなかったらこのタイミングで読んでいませんでした。

著者は私が物心つく前、恐らく二本足でようやく歩き始めるか否かの頃に亡くなっています。ということで、私にとって著者は歴史上の人物であり、遠い存在でした。本書を読むまでは。

本書の初版は1946年、昭和21年ということです。ノーベル物理学賞を受賞したのが1949年ですからその3年前。著者39歳の頃までに考えていたことが本書に表れています。

第一たいした業績もないのに、「苦心」などとはまことにおこがましいことである。(p75)
学問することの喜びがこの頃はことさら身にしみて感ぜられる。くる日もくる日も研究生活を続けていけるということは、「喜び」などというにはもったいない。(p85)

に代表されるように、本書は一貫して非常に謙虚な姿勢で書かれています。まさにこの点において、私は本書や著者を尊敬するに至りました。

2010年11月18日木曜日

(雑) 歯科のこと (其の四)

当直明けは歯医者通いです。
右上大臼歯(7番)はちょっと重症なので、二期的工事が必要との事。今回は歯型をとり、仮設住宅状態のままに帰宅となりました。次回きちんと詰めると言うことで。

***
最近出版された
「すぐに役立つ!医学英語論文読み方のコツ」(編纂:大井静雄、メジカルビュー社)
は論文を読むだけでなく、これから書こうと言う人にも非常にエールとなる書だと思いました。

2010年11月14日日曜日

(走) ねりま光が丘ロードレース-5kmの部 (其の七十七)

ランニング:5.0km、21分49秒 (9:50-10:12)
計575.7km (9月 48.5km, 10月 66.6km, 11月 21.1km)  
総時間3582分=59時間42分

5km走での大会出場は2回目。前回4月のなまずの里マラソン時より1分18秒タイムを短縮することが出来ました。
それはそれでよいのですが、スタート開始0.7kmほどで右足シューズの紐が解けてしまい、「結びなおそうかどうしようか」をずっと考えながら走ることになりました。10-20km以上のランニングだったら間違いなく結びなおしますが、結びなおす数10秒でタイムが大きく変わってくる今回の5kmレースでは判断に非常に迷いました。結局走れそうだったので、解けたままいってしまいましたが。
そのほかの反省点としては、スタート地点が狭く、並ぶのが遅くなったことが致命的となったことです。開始2~3分は団子状態で、自分のペースで走れなかったことは次回この大会に参加する場合には反省点としたいです。

・早めに並ぶ
・靴紐はしっかり結ぶ

練習不足はタイムに反映されませんでしたが、走後の疲労感に大きく影響しました。

12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと21日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと126日)

2010年11月13日土曜日

(麻) 圧や輸液に関連した講習会

「周術期の輸液」(克誠堂出版)は、私が麻酔科医になってからの3.5年の間に読んだ中で、非常に感銘を受けた麻酔科専門書の1つです。その本の分担執筆をされている先生の講演を受けられたのは、非常に幸運なことでした。

@PACに関連して
・PAPの立ち上がりはRA圧の立ち上がりより50ms程先行する
・PAWPのa波(左房収縮)は心電図R波の後に現れる
・PA楔入まで通常は深くて55cm
・PA破裂は0.02-0.2%
・左房拡張障害でa波増高
・Severe MR時はカテの進めすぎ注意。圧波形だけみているとPA ruptureするかも。
・過剰楔入時アーチファクトに注意。、心筋虚血アーチファクト
・VO2:安静時250mlO2/min
・酸素摂取率O2ER:22~30%

@fluid strategy
<1つの投与例>
・Crystalloid: 6ml/kg/h程度
・Urine 1ml/hr切ったらcolloid 250ml/15minをbolus
<tips>
・安易に晶質液を入れない
・漫然と輸液を入れない
・組織内浮腫を最小限にするように意識する
・必要時に膠質液を。
・3rd spaceは晶質液投与によって作られる面がある
・必要な輸液は、量も大事だが、必要となる「タイミング」に投与すべき

玉石混交のいろいろな情報がwebで無料で得られるような時代ですが、「その道のプロ」の英知や労力、情熱の詰まった講習を受けられることは、非常にありがたいことです。このような講習会に価値があると思う点は、「しかるべきフィルターを通して、信頼できる(可能性が高い)情報が無駄なく、提示してもらえること」です。
以前私は、講習を受ける際には、スライドで提示される表やグラフそれ自体に「ふふ~ん、なるほど~」と思って感銘を受けて聴いていましたが、曲がりなりにも自分の手で書くようになってくると、「表の出所となる論文は何なのか」とか、「こういうフロー(発表の流れ)にすれば説得力のあるプレゼンテーションができるのか」とか、色々考えてしまいます。ともあれ、自分が興味がある分野ですら、知らないことが多すぎるという現実に直面すると、謙虚にならざるを得ません。(況や自分のよく知らない分野をや、です。)
経験の浅い臨床家である私は、粛々と勉強するに限ります。

今日は非常に勉強になりました。
・スライドはフローが大事(個々に素晴らしくても、つながりが希薄なら理解しにくくなる)
・スライドに必ずしも文字情報は多くいらない
・Miller's anesthesiaを読もう

2010年11月12日金曜日

(走) Training outside (其の七十六)

いつの間にか次のレース直前でした。夕方はまだ寒くないのですが、日没が早くて困ります。

ランニング:5.8km、21分33秒?
計570.7km (9月 48.5km, 10月 66.6km, 11月 16.1km)  
総時間3560分=59時間20分

11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと2日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと23日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと128日)



2010年11月10日水曜日

(旅) Nara (day 2)

宿泊した宿で自転車の無料レンタルサービスがありました。利用しない手はありません。日の出とともに東大寺(二月堂)に向けて出発です。

6:00。
自転車で街を東に進むと、ゆる~い上り坂になっていることに気づきます。昨日歩いているときには全然気にならなかったのですが。今こそ日頃のトレーニングの成果を発揮するときです。張り切ってママチャリのペダルをこぎまくります。街中には、同じように「あさでら」が目的であろう観光客がちらほら。中にはランナーもいます。外国人ランナーもいます。流石です。
南大門前に駐輪場があることはチェック済みでしたので、そこからは歩いて二月堂に向かいます。

二月堂から

朝焼けを眺めることが出来ました。

***
二月堂から朝焼けを眺めることが出来たので、もう旅の目的の8割方を達成してしまいました。
そのため「ならまち」に行く予定はありませんでした。結局足を伸ばそうと思ったのは、南インド系辛口カレー屋さん「タリカロ」(JR奈良駅から徒歩10分ちょっと)で、カレーを待っている最中に読んだ童話

「ならまち大冒険 まんとくんと小さな陰陽師」 (著:寮美千子、イラスト:クロガネジンザ)

に影響されたからです。本書が観光客に「奈良に興味をもたせること」を目的としているならば、その目的は十分達成されています。因みにこのお店のカレーは非常においしかったです。「辛口」は私には辛すぎましたので、今度もし食べることがあれば中辛以下にしたいと思います。開店を待って訪れた甲斐がありました。あと完全にインドっぽい装飾の店内にも関わらず、BGMが70年代ハードロック(洋楽)だったのも高ポイントです。それにしても「食べログ」って本当に便利です。こういうときに真価を発揮するんですね。

話は戻りますが、上記書物の中で「ならまち」の中に元興寺(がんごうじ)というお寺があると書かれています。元興寺の五重大塔は高さ24丈(72m)であったといいます。興福寺の五重塔が高さ50.8m、京都の東寺の五重塔が54.8mですから、その伝説が本当であれば、今も残っていたならば木造の塔としてはダントツ日本一です。安政六年(1859年)には東側の民家の火災とともに消失してしまったそうで、今はこのように跡しかありません。


ところで、「ならまち」界隈は女性が好むと思われるお洒落なカフェや雑貨屋が多くあります(OZ
magazineが取り上げそうな、という説明でイメージがつきますでしょうか?)。もし奈良の仏像に全く、全く、全く興味がなかったとしても、非常に楽しめる町だと思います。
近くにある「もちいどのセンター街」も小さなお店が並ぶ、非常に活気のある商店街です。その中に溶け込んでいる全く商売っ気のない古書店で文庫本を購入してしまいました。

***
そして大仏です。朝訪れた際に拝まなかったのは、拝観時間が8時からのためです。
朝とは比べ物にならないくらい境内に観光客が溢れています。

私はといえば昨晩読んだ「とつぜん会社が英語になったら…」(宮永國子著)にいよいよ追い込まれてiPodで「The World of Anesthesiology Podcast」の「Keep it simple Dude, RSII & TEE」のトラックを聴きまくります。何回か聴いてようやく何となく内容が分かってきました。RSIIに何の鎮静薬をファーストチョイスにするか?etomidateだと?それは日本じゃ使えないよ。



人生で拝むのは2回目ですが、矢張りでかい。そして閉館間近を狙ってきたにも関わらず修学旅行生が多いこと多いこと!しかし、これだけ学生さんがいれば、「中高生で1回観て、その後何十年かして大仏リピーターになるくらい奈良が好きになる」って人も出てくるかもしれません。こういうのは「よくわかんないけど取り敢えず体験してみる」ってのが、案外大事なのかも。

その後に訪れた国立博物館の「正倉院展」も閉館間近にも関わらず人の多いこと!完全に作戦失敗しました。でも、かの有名な「道鏡」の直筆サインを見れただけでも幸せいっぱいでした。それにしても昔の公人の字というのはなぜそろいもそろってああも達筆なのでしょうか。現代よりも何百倍も「文字が書き手の身分や教養を表す」世の中だったのでしょう。 (11/12記載)

(映) エイリアン(1979年)☆☆☆☆

何度目か忘れましたが、久しぶりに見ました。
H・R・ギーガーの本を書店で見かけたので、懐かしくなったのです。
公開当時に大スクリーンで「腹壁を破って産声を上げるエイリアン」を目撃した人はさぞや驚愕なさったことでしょう。私もリアルタイムで経験したかったようなそうでないような。
その理論でいくと、現在においても「1-2世代後の人たちから、リアルタイムで経験したことを羨ましがられるような事柄」があるのかもしれません。

(雑) 努力家で思いやりがある、って?

奈良2日目。

「大学医学部が、面接や内申書を今以上に重視するなど、医師としての適性にも目を向けて生徒を選んでいただきたいと、切に願う」

という意見が、新聞(1日800万部弱発行されているもの)に掲載されていました(旅先で暇なので読んでみたのです)。しかもその投稿は「教育者」からです。
他にも自分の意見を新聞に投稿してくる読者はたくさんいる筈、ですが、その何倍だか分からない競争倍率を勝ち残り、このような主張が掲載されるのです。このような意見が紙面に載るということは、多分に新聞製作者の意図が含まれているだろうこと、そして恐らく新聞の紙面を作る者も、上記意見に賛同するところがあるだろうこと、が想像できます。

記事によると、この意見の根底にあるのは、
「ペーパー試験の成績があと一歩足りなくて、医学部に合格できない。努力家で他人思いの性格。だからそのあたりの比重をもう少し重くして合否判定を・・・」
ということのようです。

私が危惧するのは、上記投稿者が
「医師としての適性」という言葉に、「ペーパー試験に合格できる能力」が含まれていないと考えているのではないか
という点です。

私は、「ペーパー試験以上に公平な試験はない」と思っています。それは私が医学部の入学試験に合格したことがあるからいうのではありません。非常に短時間のうちに、多くの受験生の努力の量と能力を計測することができるから、これまで長いこと使われてきたのだと思っています。それ以上に素晴らしく、多くの人が認めるような方法が考案されなかったからこれだけの歴史があるのだと思います。
努力家と言うのであれば、現在の入学試験はペーパー試験重視で合否判定が行われているのですから、それに対応した適切な対策をとり、彼/彼女の優れた適性であるところの「努力」を思う存分発揮すればいいのです。ペーパー試験は適切な努力を適切に行うことで評価されます。「努力家であること」が優れた素質で、そこを十分評価されずに医学部入学試験に失敗していると思うのであれば、教育者ならば、それを医学部合格レベルに引き上げるべきではないでしょうか。
そして、上記意見には看過できない重大な前提があります。「努力家で他人思いの私の教え子」を差し置いて医学部に合格している受験生たちは「目の前の教え子より他人思いでない」と、上記意見表明者が考えていることです。そうでなければ「入学試験の制度が変わることで、努力家で他人思いの私の生徒」が合格できるのでは、と考える筈はありません。「努力家で他人思いの性質をもつ私の教え子」は、「他人を思いやる性質の劣ったその他の受験生」に負けて試験に落ちた、という仮定があると思わざるをえません。
しかし、いったい誰が

・医学部合格者は思いやりに欠けること
・努力家で他人思いで心優しいが、受験に失敗した教え子」が「合格した受験生」より他人思いであること

を証明し、そのように採点できるのでしょうか。上記意見を述べる者が、「私が病院にかかると、私の訴えを聴いてくれない医師があまりにも多い」から、そう思うのでしょうか。

「他人思い」という性質を入学試験の面接官や高校教師が判断することが、客観的評価となりうるでしょうか。または、採点者たちが「この人は思いやりがある。医師に向いている」と判断するに足るだけの人間観察能力や、人格を備えているか、をどうやって誰が判定するのでしょうか。

私は思いやりを否定するつもりは全くありません。他人を思いやることができるのは医師という仕事をするにあたって重要な力だと思っています。

しかし、思いやりが大事、なんていうことは、サービス業に携わる全ての人に当て嵌まることです。ホテルのフロントマンは、宿泊者が何を求めているか慮る必要があるし、美容師はどのように髪を整えれば客が喜ぶか慮る必要があります。むしろ病める患者を相手にする医師より、体が病気でない健康な人たち相手に仕事をしている方々の方が大変だと考えられます。彼らは自分たちが行っているサービスに、顧客が満足しなければそれで終わり。次は利用してもらえません。医師の仕事は患者の病態もあるし、満足のいく回復が得られなくても、それは病気が進行していました、現在の医療レベルではこれしかできません等で落ち着くべきところに落ち着く可能性があるからです。(だからといって治療を適当にやるとか、そういうことを言っているのではありません。誤解しないで下さい。改めて書くまでもありませんが、人は死ぬものです)

思いやりだけで、目の前でショック状態に陥っている患者は救えません。
思いやりだけで、正確な薬剤投与量は計算できません。
思いやりだけで、鑑別診断を思い描き、より正しい診断にたどり着くことは出来ません。

それが社会的に許されないと言うことは、昨今の医療訴訟問題が十分示しているところです。「想定されることに対して、少なくともそれが疑われる時点で最良の行為を行わないと、後から罰せられることがいくらでもあり得る」という事実に、きちんと真正面から向き合っていれば分かることです。ましてや新聞に投稿する人は、日々様々な医療事故問題を紙面で読んでいる筈です。
私が高校教師や予備校講師であれば、能力が足りない学生に対して「かわいそう、残念だったね。もっとあなたの人間性が評価されれば医学部に入れただろうに」とは考えません。その得体の知れない「他人を思いやる人間性」とやらが評価され、医学部に合格し医師になっても、診断や治療を十分に行うだけの論理的能力がちょっと劣っていたことで、医師免許を剥奪されるかもしれない人間を作り出したくないからです。そしてその後ろには、その医師に当たってしまった不幸な患者が存在してしまうのです。

より物事を単純化すれば「ちょっと冷たい感じがするけど、診断や治療が的確で、”いわゆる”治してくれる」医師と「人柄は優しいけれど、診断が違ってました。だから治療もちょっと間違ってます。お陰で手遅れになりました」という医師では、どちらがより患者さんや社会に選ばれるでしょうか。
多くの国民が前者を選ぶであろう事は想像に難くありません。知識の暗記や論理的能力は、間違いなく、臨床医として必要不可欠な能力ですし、それが劣っていて落ち度があれば、医師免許を剥奪されるのです。

ましてや、医師は臨床だけやっていればというわけではありません。今日の医療の発展は、研究に尽力した素晴らしい数多の医師たちによるところが非常に大きいのです。論理的能力がなれれば研究はできません。

思いやりは医学部合格への前提でしょう。そして「彼/彼女が思いやりの人物か」について責任を持って意見できるのは、その受験生を育ててきた親くらいではないでしょうか。

入学試験の方法をよりよいものにしたい、という意見は非常に大事です。ですが、その前提となる考えが、あまりに情緒的すぎる気がします。私が知る限りにおいて、ともに働く医師たちの中に「あまりに思いやりに欠ける」と思えるような人は、街の中で見かけるその他多くの人々よりも決して多くはないと思います。
というような意見をいう資格があるほど、私が「他人におもいやりがあるかどうかを判断し、それを口に出す資格があるかどうか」は、この文章を読むだけではわからないでしょ?
だから冒頭の意見に「そうだ、そうだ、全くその通り」と納得いたしかねるのです。私が危惧するのは、冒頭の意見を新聞で読んで「全くその通り」だと暗に同調する人が800万部/日の新聞の読者の何%かに出てくるだろう事、またこのような意見の掲載にゴーサインを出すマスメディア関係者がいるということです。(掲載目的が、私のように反論する人間が出てくるのを誘っているのであるとすれば、してやったりなのでしょうけれど)

少なくとも医師の私は、自分が患者として受診する場合には、より正しく病態を突き止めようとする、論理的思考をもつ医師に見てもらいたいと考えます。

まぁペーパー試験は論理的思考を担保していないかもしれませんが・・・。

(雑) 「The Cove」の太地町

訪れていなかったらずっと他人事であっただろう、和歌山県太地町のイルカ漁。
今日の「THE DAILY YOMIURI」のトップ記事になっていました。
港内に設けられたイルカのいけすの網を切られたり、漁の様子をずっとシーシェパードのメンバーらに監視され続けたりしているようです。
60代の漁師が"[We've been] labeled as evil around the world."とコメントしているように、アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画が、人口3500人の町の生活を困難なものにしています。
私はイルカ肉を食べたことがありませんが、「イルカを殺すのが残酷」という主張で、網を切る理論には素直に賛同できません。漁師の方々は遊びでイルカを殺しているのではないでしょうし。それとも諸外国による"日本いじめ"の一環でしょうか?

2010年11月9日火曜日

(旅) Nara (day 1)

バスにトイレはありませんでしたが、きちんとサービスエリアに立ち寄る「トイレ休憩時間」がありました。夜中12時に「海老名サービスエリア」でトイレに行ったのは初めてです。周りに同じような長距離バスやトラックが何10台も停まっていてびっくりしました。
バスが再出発した後、何度も寝ようと試みましたが、腰が痛くて上手く寝付けません。どこでも眠れるのが自分の数少ない特技だと思っていましたが、甘かったようです。まだまだ知らない世界があります。
そうこう言いながらも、いつの間にか意識を失っていて、気が付いたときには6時頃でしたから、それなりに眠ったようです。バスの中で眠れるように、当直明けに走っておいたのが効いたのかもしれません。

夜行バスに乗ること10時間弱。7時45分にJR奈良駅前に到着です。ちょっと寒い。

「春日山から飛火野辺り」というさだまさし「まほろば」の歌詞を初めて聴いてから既に8年は経ったでしょうか。その歌詞の世界をこの目で見たいと思い、遂に念願叶って奈良までやってきました。
今回はあちこちに行きません。奈良市、しかも奈良駅の東側限定です。よくよく考えたら中学の修学旅行は「奈良京都2泊3日」という無謀なものでした。「奈良公園、大仏、次は清水寺、三十三間堂、はい、自由時間は~~時までね、では解散!」みたいなことをやられては、何も記憶に残りません。少なくとも私の修学旅行の思い出は「鹿がいっぱいいたこと」と「大仏でけ~」だけです。他は全く記憶にないです。

8時過ぎにJR奈良駅を出発です。今日の旅のコンセプトは「自分の足で歩く」。(吉田さらさ著-奈良 寺あそび、仏像ばなし  の「奈良に行ったらとにかく歩こう」(p13)に影響されてのことです)
JR奈良駅から春日大社の「一の鳥居」まで1.5kmです。その先の「二の鳥居」まで更に1.2km。その後は春日大社内の神社をぐるぐる回ります。
春日大社(若宮~夫婦大國社~宗像神社~紀伊神社~大宮~一言主神社~水谷神社)


そしていよいよメインイベントである春日山原始林内に足を踏み入れます。
水谷神社から春日山原始林の遊歩道(山道)をひたすら登ります。

途中で杖をついた高齢男性に抜かされます。尋常でない速さです。
およそ2.5km登ると若草山山頂に到達。私の足では40分かかりました。空気がひんやりしていてダウンジャケットで丁度良いくらい涼しい。山頂からは奈良市が一望できます。
山頂まで行って大人しく下山すればよかったのでしょうが、マップを見ると奥に「春日山周遊道路」なるものがあります。ということで更にずんずん進むことに。
若草山から鶯の滝まで40分。殆ど歩行者に出会わなくなります。
そこから春日山石窟仏~首切地蔵(柳生十兵衛の弟子、荒木又右衛門が試し切りをしたという伝説の地蔵)まで更に30分。 
そして「滝坂の道」をどんどん下ります(道はありますが、石畳になっていたりぬかるんでいたりして、お世辞にも歩きやすいとはいえない状態です)

「夕日観音」前を通過


上を見上げてよくよく観察すると・・・


観音様が彫られております。

飛鳥中前に出てようやく下山です。

下山した後は志賀直哉旧居前、ささやきの小径、二の鳥居、興福寺と歩を進めます。

平地、神社の境内、山道、石畳の道、ぬかるんだ道、道なき道。気が付くと5時間位歩きっぱなしになっていました。アスファルトとは何と歩きやすいものか。日常生活では得られない感動を得ることができました。

そういえば興福寺(藤原氏の氏寺)の国宝館はリニューアルされていました。あまり広くはありませんが、その中に多くの、非常に多くの国宝や重要文化財が収められています。館の中央に鎮座する巨大な千手観音菩薩立像(520.5cm, 鎌倉時代)はやはり圧巻。八部衆像の一体である「阿修羅像」(153.4cm, 734年に西金堂が建立されたときに造られた)は、本ではよく見ますが、目の前にある本物は「無垢の困惑ともいうべき神秘的な表情」(司馬遼太郎著-街道をゆく24-奈良散歩 p262)と言われるように、何とも儚く憂いを感じさせるものでした。

上記(計16.0km)を一気に歩き倒してから、近鉄奈良駅近くの東向商店街内にある讃岐うどん屋さん「釜粋(かまいき)」で昼食。やや柔らかい麺でしたがおいしくいただけました。

それにしても歩くだけでこんなに楽しめるとは。来て1日も経っていませんが、奈良が大好きになりました。
2日目に続く。

2010年11月8日月曜日

(走) Training in Rena (其の七十五)とNara (day 0)

当直明けランです。

ランニング:6.0km、37分 (8-12.0km/h, 傾斜0-10.0まで) + 筋トレ
計564.9km (9月 48.5km, 10月 66.6km, 11月 10.3km)  
総時間3538分=59時間02分

11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと6日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと27日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと132日)

***
そして夜はバスに乗ります。旅に出るのです。奈良に行きます。休暇なのです。
何でわざわざ高速バスを選択したかと申しますと、単に乗りたかったからです。

しかし、バスに乗って英語の文章を読んでいたら、ものの10分で吐き気を感じてきました。早くもバスに乗ったことを後悔。仕方ないので深呼吸をして寝ることにしました。バスの中にトイレがないことに、乗車してから気づきました。四面楚歌です。尿意を催さずに奈良までいけるでしょうか。
続く。

2010年11月7日日曜日

(音) Helloweenの7 sinners (2010年)

バンドは1985年にデビューして既に25周年になります。オリジナルアルバムとしては今作で13作目。ここ3作連続で「ハロウィン」の時期に発売されているのは、偶然でしょうか。私がリアルタイムで聴き始めたのは8作目の「Better than Raw」(1998年)からですから、そこから数えても既に干支を一周しているわけです。

んで、この新作ですが、#3の「Who is Mr. Madman?」の歌メロが素晴らしすぎて何もいうことがありません。これはミスチルのファンがミスチルらしい曲を、サザンのファンがサザンらしい曲をいつまでもバンドに提供してもらえることを望むように、Helloweenのファンが望む「Helloweenらしさを失わないが、そのスタイルから離れすぎない新しい名曲」と呼べる、彼らのお家芸とも言えるスタイルの曲です。過去の名曲と似て非なる曲を作るのは、大変難しいことなのではないかと素人的には思ってしまうのですが、この曲ではそれを見事にやり遂げています。
そしてどこかで聴いたことがあるこの曲のイントロは、1994年発表の「Master of the Rings」に収録されている「Perfect Gentleman」からのものです。歌詞の始めでも「Sixteen years have passed since...」と語っています。この辺りも往年のファンに楽しめるつくりといえるのかもしれません。

全体的にテンポの良いキャッチーな曲が並び、初心者にも昔からのジャーマンメタルファンにもとっつきやすい作りになっていますが、今のところ#5「World of Fantasy」や#9の「If a Mountain Could Talk」、#11「My Sacrifice」などがお気に入りです。

iTunesで見ると、このアルバムの曲は1曲あたり150円で買えます。
昔はレコードやCDというアルバム単位でしか買えなかったわけですが、今は曲単位で買えます。1曲しかお気に入りの曲がなかったとしても3000円位払っていた昔に比べたら、今はYoutubeなんかで視聴して、その中から気に入った曲だけ買うこともできるわけです。
曲単位で買えばハズレを掴まされる可能性は減るでしょうが、その分「買ったときには大していいと思わなかったけど、繰り返し聴いている内に好きになってきた」というような喜びに出会いにくくなってしまっているようで残念な気がします。曲単位で買える時代において、アーティストたちはアルバムを創り出す意欲が減退しないのだろうか、と他人事ながら心配してしまいます。

(本) 喜嶋先生の静かな世界 - 森博嗣 、御伽噺のような素敵な物語

最後まで飽きることなく読ませていただきました。臨床麻酔学会のお供として携行するにはハードカバーで少々重かったですが、読み終わるのがもったいないと思うくらい面白い物語でした。
「面白い」の理由の1つは、理系の大学生活~大学院生活という、描き方によっては硬く無機質な世界を描いているにも関わらず、描かれている世界が愛で溢れているからです。「研究」に対する愛ある言葉・信念の数々が作中に頻繁に出てきます。そしてそれは、著者自身の人生において考えてきたことがそのまま出てきているのだと感じられるような、熱のこもった言葉に感じられました。

・誰にでもわかるようにしておくこと、つまり文章として書き記すこと、一種の遺言のようなもの、それが、すなわち論文なのだ(71)
・自己満足できたら、それはもの凄く良い状態だね。自分が満足できるなんて、そんな素敵なことはない。それは価値が大ありだ(75)
・北極のオーロラも見たかったけれど、それよりも、その現象について書かれた専門書を熟読する方がずっとオーロラを体験できるだろう。僕は「体験」とはそういうことだと思っている。(85)
・良い経験になった、という言葉で、人は何でも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。今、僕がやっていることは、ただ経験すれば良いだけのものなんだろうか。(152)
・こういったものは、もうほとんど完成だ、と認識してからが長いのだ、ということが身に染みてわかった。(246)
・とても不思議なことに、高く登るほど、他の峰が見えるようになるのだ。これは、高い位置に立った人にしかわからないことだろう。・・・(中略)・・・だから、なにか一つの専門分野を極めつつある人は、自分とは違う分野においても、かなり的確な質問ができるし、有益なアドバイスもできる。僕はまだよくわからないけれど、大学の先生という職業が成り立っているのは、こういう原理だと思える。(290)
・山を乗り越えるたびに満足しているけれど、冷静に観察すれば、一所懸命山を作っている自分が見えてくる。(291-2)

私としては、このような文章に出会えることそのものが「人生って素晴らしいな」と思えるような体験です。

2010年11月6日土曜日

(走) Tokushima (day 4)とTraining outside (其の七十四)

徳島から帰ってきました。飛行機で1時間ちょっとだと、何をするにも中途半端な感じでどうにも好きになれません。空港に行って待っている時間と、空港から家までに結構な時間がかかるため、これといった生産的なことをしなくても疲弊してしまいます。

***
ランニング:4.3km、20分40秒 (15℃)
計558.9km (9月 48.5km, 10月 66.6km, 11月 4.3km)  
総時間3501分=58時間25分

11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと8日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと29日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと134日)

徳島で「旅先での早朝ランデビュー」をしようと思って、走るための準備をしていったのですが、結局朝寝坊気味で、走れませんでした。また、次回以降の旅行の楽しみにしようと思います。

2010年11月5日金曜日

(雑) Tokushima (day 3)

学会会場から車で数十分。鳴門の大鳴門橋の近くには大塚国際美術館があります。
私は西洋絵画を楽しむという文化資本はもっていません。この美術館に来るまでは「受胎告知」という作品を複数の作者が描いていることさえ知りませんでした。ですから、この美術館に展示されている地下3階から2階までの5フロア計1000点以上の作品全部を楽しんで見ることはできませんでした。真剣に1作品ずつ見ていったら1日じゃとても足りません。2時間程で全てまわってしまうという雑な見方になってしまいましたが、描いた画家たちの執念と、この美術館を完成させた執念を肌で感じるには十分すぎる空間でした。

アルチンボルト・ジュゼッペの絵画「四大元素」(1566年。ウィーン美術史美術館にあるようです)が1番気に入りました。

2010年11月4日木曜日

(麻) Tokushima (day 2), 口頭発表と「麻酔科エラーブック」

発表15分ほど前。「アスティとくしま」の会場にある書籍販売コーナーを物色していたら出会いました。
「麻酔科エラーブック」です。同シリーズ既刊の「ICUエラーブック」が面白かったので、中身もろくに吟味せずに購入してしまいました。
私はMEDSiの回し者ではありませんが、本書の内容は非常に秀逸です。700ページもあるので、とても一度には読みきれませんが、680-705頁の「ヒューマン・ファクター」の章だけでも7350円の価値はあります。

第174項目『先輩の話を聞こう:経験的エピソードは知識の宝庫』は先輩の話を聴かなくなってくる、私のような小生意気な「認定医以上専門医」の世代に有用な薬と言えます。(普段から先輩医師の言うことを素直に聴いて謙虚に学んでいる方には必要ないかも)
中でも、上記、第174項目内の692頁の表174-1「麻酔の臨床に関連する言い伝え」は白眉です。
・「自分の体に載せないようなものは、患者の上に載せない。」
・「術野の切迫を感じたときには立つこと」
なんて書いている教科書、私は今まで読んだことがありません。

この本をざっと読んだ印象ですと、対象は初期研修医というより、「周りにあまり麻酔の雑談をする相手がいない、市中病院の標榜医~専門医になりたて程度の麻酔科医」という気がします。本書の内容を知ることで「初期研修医が日ごろ思う、コレって何でこうやるの??、系」の質問に愛と勇気と自信をもって回答できるのではないでしょうか。
翻訳してくださった先生方に感謝の気持ちでいっぱいです。当分は私の愛読書になりそうです。

***
そしてポスター発表をしました。6席の発表者のうちで私がトップバッターで皆さん元気だったからか、突っ込みどころ満載だったからなのかは不明ですが(恐らく後者)、3分の質疑応答時間内に5人も質問してくださいました。私の周りにはよく「誰からも質問されなきゃいいな~」とぼやく方がいらっしゃいますが、何も質問がない発表など、私には面白くもなんともありません(勿論回答を持ち合わせていない質問に直面したときの窮屈さはよくわかりますが)。それは発表する価値があるのでしょうか?
発表して質問がないときには、
・声が小さくて何を言っているかわからない
・内容が平凡すぎる
・内容が散漫で、どこに突っ込んでいいかわからない
・内容が聴衆の知識レベルに比して高尚すぎる
・内容に、聴衆の関心がない
などなどのうちのどれかが当てはまるのではないでしょうか。
会場の端っこでの発表だったので、ポスターへの日当たりは非常に悪かったですが、実りの多い時間になりました。聴衆の皆様のお陰で、発表内容を文章としてまとめるときのヒントをいっぱいいただきました。

2010年11月3日水曜日

(雑) Tokushima (day 1)

徳島に飛行機で着陸してレンタカーショップに向かいました。
インターネットで予約していたのですが、私の名前がレンタカーの予約名簿にないというのです(電子メールでは2回も契約確認の連絡が来ていたのですが)。
10分ちょっと調べて、結局、私とよく似た名前の人と取り違えたというようなことを言っていました。まぁ私の名前はよくある名前なのでしょうがないか・・・と思ったのですが、その後

・予約車がなくなってしまったため、代車へ変更することになったが、その手続きに結構な時間がかかったこと
・いざ代車に契約変更したところ免責補償加入が「無し」になっていたこと(当初の契約では当然「有り」にしていました。これは契約書にサインする前に”自分で”契約書全体を見返さなければ、そのまま発車して、事故を起こして初めて免責補償に加入していなかったことに気づいていたかもしれません)
・予約をしていた車より小型車に変更になったにも関わらず、代車レンタル料金が当初の契約料金より高くなったこと(これもこちらが指摘しなければ、そのままになるところでした)

などなど、不備が多すぎて完全に呆れてしまいました(怒ったところでお互いのコミュニケーション不全が解消されることはなさそうでした)。そして対応してくださった従業員の方は最後の最後で、我々の車を見送るという行為を省略してしまったために、評価の挽回を永遠に失ってしまいました。
徳島に着陸して1時間。レンタカーショップでのやり取りで、早くも徳島から出たい気分でいっぱいになってしまいました。そのため、宿についた頃には完全に意気消沈。夕闇の帳も下りてしまったために沈鬱な気分でした。眉山からの夜景の美しさがせめてもの救いでした。

レンタカーショップで取り扱っている車のブランドと、私に対応してくださった従業員には大きな関係はないかもしれません。ですが、「○○のレンタカーは××での対応がおかしかったから、次の旅行では違うブランドの車を借りよう」と思う人は当然いるでしょう。そう思うと、「一従業員」の対応がバックにあるブランドの色々なイメージを決めてしまうことに同情と自戒を感じます。(11/6記載)


2010年11月2日火曜日

(雑) ゲラの校正、

「年齢性別関係なくとにかく今すぐなにか学びたくなります。」という帯につられて衝動買いした「喜嶋先生の静かな世界 ― 森博嗣」を読もうと帰ると、宅急便で封筒が送られてきました。
遡ること2ヶ月と少し、の8月24日。その日に出版社に送付した原稿のゲラ(galley proof)です。送られてきたゲラと対面すると、自分で書いたものだった筈なのに、既に自分のものではない気がします。数ヶ月前の自分が書いたものなのだから、もう少し親近感が湧いてもよさそうなものですが、全くの他人が書いたものに赤ペンチェックを入れているような気分になりました。ちょっとした言い回しにも「こんな風に書いた覚えはない」という感じです。犬神サーカス団の「私もう駄目かもしれない」を聴きながら、校正で使われる記号に??となりながらも、自分で赤字を入れ、また出版社に送り返しました。文章を書くと、書いた文章は、書いた瞬間から自分のもとを飛び立ってどこかへ行ってしまうのかも、としみじみと感じた一日でした。

***
今や中国とロシアに南から北から国の境を揺さぶられています。新聞なんかには「中露の横暴」なんて書かれていますし、メディアはこぞって騒いでますけど、そもそも今のような左寄り集団に政権を任せたのは、私を含めた国民一人一人です。
子供は親を選べませんが、日本国の子供たちである私たちは、親となって海の向こうの人たちと交渉する日本国の代表者を選ぶチャンスがあったのです。色んなことを主張する親の中から、今の親を選んだのです。「自分の家です」と主張していた筈の家に闖入者があっても、追い出すこともなく、ましてや「入ってきても文句を言いません」という態度すら見せているわけです。しかも、入ってきて我々の所有物を傷害してもお咎めなしで帰すような、非常に寛大な心の持ち主たちなのです。
家に侵入されたら、防犯を強化したり然るべきところに届け出たりするのが真っ当な対応だと思いますが、「そういうことを当たり前の感覚として、してくれないような人々」を選んだのは我々一人一人です。「投票に行ってないから私は選んでいません」と主張する人もいると思いますが、その「私がやらなくても誰かやるだろう」という態度そのものが、現在の為政者たちを投影しているものと私は思ってしまいます。だから今になって民主党を叩きまくることそのものも、何かおかしいのではないでしょうか。

こうなったら「決して抵抗しません、どうぞ自由に土地を持って行ってください」という方向性で、「世界にも稀な、領土を差し出し領民を危険にさらす島国、ニッポン」としてポジティブにメッセージを発信する方向で生き延びていけないかを真剣に模索すべきなんでしょうか。領土を売れば、1100兆円超の借金の何%かは返せそうです。羽田の国際線も本格稼動し始めたことですし、海から空からどうぞご自由に侵犯してください、と言ってみるのもいいかもしれません。