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2010年7月12日月曜日

Trip to Wakayama (day 1) ~Tokyo to Mt. Koya

<7月16-18日記載>

4時半起床。
羽田から関西国際空港まで1時間10分。10時前には関空に到着する。ここにくるのはケアンズ旅行からの帰国時以来。成田に向かうはずだった飛行機の現地出発が10時間遅れたため、成田ではなく26時の関空に到着したことが昨日のように思い出される。
これまた当時2度と来ないと思われた空港近くのローソンで傘を購入し、その隣りで愛想があまりない店員さんから車を借りて出発。外は小雨が降ってきていた。
泉佐野打田線を通って大阪府から和歌山県に入ると紀の川市を通過する。紀の川市出身の偉人といえば華岡青洲。ということを「高野山に入る前に昼食をどこで取ろうか」と調べていた旅行出発の2日前に初めて知った私。麻酔薬「通仙散」を20年かけて開発、それを使用して乳癌手術をした世界で最初の外科医。1804年(文化元年)10月13日(旧暦)のこと。医聖華岡青洲の展示と春林軒塾(住宅兼病院・医学校)の再現を見学。青洲生存中に千人以上の全国津々浦々の塾生が学んだらしい。しかも学んだ医術を口外すると破門されたということだ。学んだ医術を著書に残した本間玄調は破門されている。展示品の中に「私は治療によって不利益が生じても申し立てしません」という主旨の書類を発見する。華岡青洲の執念にも似た努力に触れた後、高野山に向かう。

順番からすると空海が開創(はじめて寺を開くこと)した壇上伽藍を先に見るべきなのかもしれないが、空海の入定(にゅうじょう。「定」とは心を集中させて瞑想状態にあること。真言宗では空海は亡くなったのではなく、即身成仏されたとしているのでこのような表現になるらしい)後に開かれた奥の院が気になっていたのでそちらに先に向かう。
奥の院は弘法大師空海の御廟所が最深部に構える巨大な霊場である。織田信長、明智光秀、加賀前田家などの墓やその他様々な企業の墓があり、樹齢数百年の杉木立の参道がおよそ2キロに渡って続く。周りから香が漂ってくる。小雨だがそれ程湿度は高くない。それどころか涼しい風が吹いてくる。小川のせせらぎが聞こえる。ここにきて「~~できますように」というような私自身の欲望を神仏に頼む気など失せてしまった。

続いて訪れた壇上伽藍は大師が最初に開いた聖地。根本大塔(こんぽんだいとう)の朱塗りが曇り空にもよく映えている。根本大塔内には巨大な大日如来像、金剛界四仏が安置されている。
敷地内にある西塔前の石燈籠は華岡青洲の寄進によるものだそうだ。

最後に金剛峯寺を訪れた。「金剛峯寺」という名称はもともと高野山一山の総称を示す言葉で、寺自体は豊臣秀吉が亡母の菩提のために1593年に建立し、1863年に再建されたもの。それ以前は青巖寺と呼ばれていたそうだ。今回の旅で初めて知った。
庭が見事で、石庭として我が国最大面積を誇る蟠龍庭(ばんりゅうてい)、狩野探幽らによる襖絵、秀吉に追放された秀次が自刃した柳の間など見所たくさんであった。1984年に新設された新別殿という大広間にいくと参拝客には茶が振る舞われる。畳の大部屋でのびのびと休憩ができる。偶然にも僧侶の法話を聴くことが出来た。「辛」いに一本棒が入ると「幸」せという漢字になる。独りよがりな辛い状態から手を出して回りの人と繋がることで幸せな状態になるんですよ、云々。

高野山に宿泊する人は宿坊に泊まることになる。宿坊といっても部屋にトイレと水道がない以外は殆ど和風の旅館と同じ。エアコンやテレビは置いてある。出される精進料理は普通に食べられるものであった。食後に写経を別室で行う。薄い灰色で書かれた般若心経の文字を上から筆ペンでなぞるというものであったが、渾身の集中力で心を込めて行う。これほど集中して文字を書いたのは久しぶり。普段使わない力と、普段触れないものに触れた満足感に包まれ寝る。

本日の走行距離メーター:84466-84559km(93km)