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2010年7月8日木曜日

生き残る技術 ― 小西浩文

1ヶ月ぶりに肺外科の麻酔を担当したが気管支解剖の復習になり、とても有意義であった。
忘れないうちにまた暇を見つけて肺外科の手術室にお邪魔することにしよう。

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「世界8000m峰全14座無酸素登頂」という、私には想像もつかないところを目指し活動中の著者。文字通りの「生き残る技術」について語っている。ビジネスの中で生き残れるかどうかという次元の話ではなく、本当に生きるか死ぬかの世界で生きている著者から語られる言葉だからこそ、語れるであろう言葉の数々であった。

<以下引用>
・「困難」には「好き」も「嫌い」もない(19)
・「限界」を超えるには、「夢」という目標は絶対に必要だが「執着」してはいけない。「集中」すべきなのである(24)
・人はたまたま生きている、周りにただ生かされているだけではないという思いが強くある。生きたい、生きているんだという心。「俺は生き抜くんだ」という気構えが生死を分ける(33)
・もちろん、たとえ一人でも生き抜いていくという強烈な覚悟は絶対に必要だ。ただ、それが強烈であればあるほど、自分自身を奮い立たせてきた極限状態だからこそ、「人は一人で生きていけない」という、普段は見過ごしがちな当たり前の価値に気付く。非常に尊く、まるでダイヤのようにキラキラと輝いてみえる(36)
・人生において決断・判断を下す際には、利害・損得・欲得をもってしてはいけない。特に重要な判断をする時ほど、「素直な心」(無心)で状況を判断し、自ら決断を下す。それが私の言う「直感」である(46)
・「誰かのため」という動機は、一見すると自分を奮い立たせるのにうってつけな気がするだろう。しかし、こんな気持ちは常に持っていなくてはいけない「当たり前」の心構えであって、苦しみや恐怖に打ち勝って限界を超えようという時に考えることではない。重要な判断・決断の時こそ、自分の内なる声に耳を傾けなくてはならない。限界を超えるのは誰のためでもない。困難を乗り越えて新たな成長を目指す「自分のため」ではないか(51)
・ギリギリの状況で限界を超えようというのなら、「ぶっつけ本番」ではなく、普段から自分の「我慢力」をのばす訓練をしておくべきだ(53)
・人間というのは死ぬまで成長できる生き物である。つまり、死ぬまで「オン」なのだ。だからこそ電車に乗っている時にも、歩いている時にも、腹の立つような嫌な取引先からお説教をされている時も、区分けすることなく、同じ「心」であるべきなのだ(56)
・いくら格好悪くても、周囲から馬鹿にされようとも、最後まで生き抜いた人間が勝利者であり、後世でも「成功者」だと評価される。あきらめるのは、万策尽きて死ぬ時だ(85)
・「後悔する」という欲求自体を抑えることはできないが、「後悔」の終わり方をコントロールすることが重要なのだ。どんなに後悔をしても、最後は楽天的に締めくくらなくてはいけない(91)
・反省は10分で終わらせても、敗因の分析には何時間、何日費やしてもかまわない(91)

引用終

本書を読んでいて思い出したのが、麻酔科医の仕事を飛行機の操縦に例えた話。麻酔導入と抜管を飛行機の離陸と着陸に例えた、医学生ならどこかで聞くであろうあのお話である。
麻酔が上手くいかなくても麻酔科医は死なない。フライトが上手くいかなければパイロットは乗客と共に死ぬ。この点において、恐らく麻酔科医とパイロットでは本気の度合いが違う。自分の命を賭して仕事をしているパイロットに対して随分失礼な例えだ。