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2011年10月11日火曜日

(本) 暴力に逆らって書く - 大江健三郎 (朝日文庫、2006年)

言葉そのものの伝える力や、言葉の裏にある様々な心の葛藤が垣間見れるような文章が多い作品でした。特にスーザン・ソンタグとの、コソボ紛争を中心とした戦争についての往復書簡は考えさせられることが多い。
一見謙虚過ぎるスーザン・ソンタグの下のような言葉からは、自分が深くコミットしていない問題に対しては、注意深い発言をしたいものとの意を新たにしました。安直ですが。
言葉・文字で生きている人びとの、言葉を紡ぐときの思慮の深さに心からの敬意を払いたいと思った1冊。文字の力を信じている人程、文字にならない深い葛藤があるのは間違いない。

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自分がそれまで知らなかったり、この目で見たことがなかったりする事柄については、けっしてどんな立場もとってはならないと。(中略)善意があっても思慮深くとも、直接の体験の具体性にとって代わることはけっしてできません。(中略)その地の人びとの歴史や地理もまったく見当もつかない人びとが、バルカン半島において十年も続いた恐ろしい事態をめぐり立場をとる。その多くがあまりにも私の予想通りの立場だったことに自分でもショックを受けたのです。どんな戦争地帯にも一度も近づいたことがなく、戦闘に与したり、爆撃のもとで生活したりするとはどんなことかこれっぽっちの考えもない。それがみえみえのアメリカやヨーロッパの知識人たちが尊大にもあの戦争について語るのを目にして、怒りを禁じえません。(中略)でも、独善的にならずに正しくあるにはどうすべきか。どうすれば「私」を放棄できるか。何であれ、自分はこのことなら知っているとの判断は、この「私」をとおして得るものではあるのですが。(スーザン・ソンタグp158-9)