この2週間ほど、ずっとこの事案について、つらつらと考えていた。患者さんや患者さんの家族を察するに余りある。この事案についての情報をまとめると、凡そ以下のようになるようだ。
@事案
・深夜に終わった腹部大動脈瘤切迫破裂の緊急手術と全身麻酔
・患者さん(気管挿管され鎮静状態)をICUへ搬送中、「緑色の二酸化炭素ボンベ+流量計」に呼吸回路(ジャクソンリース?)を接続したために、低酸素→心停止になった
@それを取り巻く医療の現状
・酸素の色:手術室壁のアウトレットや麻酔器のパイピングのホース、流量計、圧力計、酸素マスクは全て緑色。
・酸素ボンベだけが黒色
・医療用ボンベの色は、酸素は黒、二酸化炭素は緑。これらは「高圧ガス保安法」で決まっているので”容易には”変更できない。
・日本の酸素消費の99%が工業であり、医療用は1%未満
・2008年8月に酸素ボンベと二酸化炭素ボンベの取り違え事故が発生した。その後、小型医療用CO2ボンベの接続部の形状をヨーク式に徹底することで、事故が防止できると考えられていた。
・腹腔鏡手術時に使用する気腹用CO2ボンベは、気腹装置のヨーク式コネクターに取り付けるので安全。だが、ヨーク式の流量計を接続したCO2ボンベはOPCAB等の手術の際に使用することがあり、手術室に存在する。
これに対して厚生労働省から通達された文章
http://www.anesth.or.jp/news2011/pdf/20110728.pdf
を読むと、厚生労働省は、「注意喚起、周知徹底しましょう」と未だに「人間の注意力」に頼った文字を各医療機関に送っているのが分かる。暗に「事案当事者の麻酔科医が不注意だったことが、本事案の主原因である」、と断罪しているかのようだ。インシデント発生時に考えるべきその他の大事なことを無視し、ミスを個々人の努力不足や注意不足に求めており、危機意識の低さを露呈しているだけの通達、のように私には思える。
私としては「酸素に関するほかの部品は全て緑色なのに、酸素ボンベだけが黒い」という現状を変える方向に、労力を傾ける役人の方が、1人でもいるとよいように思える。
「注意喚起、周知徹底しましょう』と、とりあえずすぐにでも出せる声明の裏に「このままの法律では、また医療事故が起こる可能性がある、システムを変えるように動かねば」という使命感で動いて下さる方がいることを望むけれど、おそらくそういう動きは起こらないだろう。現場は法律がこのままの状態で、「酸素ボンベが黒いまま」で、個々に最大限の想像力を働かせて対策するしかないのだろうか。
私のような凡麻酔科医が24時間働いた当直あけに、本症例のような大動脈瘤切迫破裂の手術の麻酔を
・適切な血圧に保つために輸液、血液製剤を術野の状態に合わせて迅速に投与し、
・輸液と輸血だけでは血圧を維持できない場合に昇圧剤を併用し、
・適切な呼吸状態に保つよう、人工呼吸器の設定を調節し、
・輸血過投与やアシドーシスで基準値から逸脱した電解質を補正し、
・各種薬剤が間違った速度で患者さんの体内に送り込まれないように、シリンジポンプの設定や、末梢静脈路、中心静脈路の別を正確に判断し、
・患者さんが覚醒しないよう、痛がらないように各種麻酔薬を投与し、
・術野を見ながら血液製剤が不足しそうなら、追加のオーダーを出し、
・尿量を10‐30分ごとにチェックして尿量が保たれているかチェックし、
・体温が下がってこないかチェックし、
・術者や外回り看護師と適切にコミュニケーションをとり、
などなどを、数時間の手術が無事に終了するまで、何回となく繰り返した後に、患者さんをICUへ搬送する段階になって、移送用のベッドについているボンベが「酸素ボンベ以外にはありえない」というような状態をつくることが、真のリスク軽減への行動だと思う。
本事案の麻酔科医を責めるのは、「60点以上で合格出来る、満点が100点のテスト」で99点を叩き出したが、「はい、1問間違えたから落第ね」と言われるくらい酷な話のように感じる。
「間違えたのが1問だろうが、その1問が患者さんの命に関わるんだよ、ふざけたことを言うな」という批判が聞こえてきそうだが、患者さんに起こってしまった不幸な事実、と「今後の再発を防ぐ為にすべき対策」は違う。そして、事案の当事者以外の人々が取るべき行動は、事案の当事者を責めることではなく、再発が起こらないような環境にすることだろう。
ちなみに、近くにいた研修医3人に個別に聞いてみたが、酸素ボンベの色を即答できる人はいなかった。
参考にしたwebなど
http://www.info.pmda.go.jp/anzen_pmda/file/iryo_anzen13.pdf
http://www.ricv.zaq.ne.jp/ekaax407/co2bombetrouble.html
その他