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2011年7月5日火曜日

(雑) 素直になれなくて

生まれて初めて教わりながらじぶんで拵(こしら)えたH-E染色の肺標本。喜々として隅々まで観察してたら、あっという間に顕微鏡酔いを発症した。

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松本復興担当大臣が辞任した。
どうしてだろう。全く批判する気になれないのは。
避難所生活をしていたら、怒っていたかもしれないし、仮設住宅暮らしだったら怒り狂っていたかもしれないが。

当座、彼が何を言おうと、自分の生活には関係ないと思ってしまっているからに違いないし、彼の発言を受けて「あなた、治療する気ないんなら麻酔しませんよ」などと普段から患者さんに対して上から目線でコミュニケーションを行っている自分が後ろめたいからでも、ない(勿論そんな態度で仕事をしていれば、私は失職して生活が立ち行かなくなる。例え暑くて頭がぼぉっとしていようが、不眠不休で日当直をした後であろうが、そんな暴言は間違ってもこの口からは吐き出されないだろう)。

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数日前にこんな報道があった。

軽乗用車にはねられた富山市の女性(73)が、市内の3病院に受け入れを断られ、搬送先の高岡市内の病院で死亡した問題で、県は2日、富山市内の5総合病院の院長らを集めて緊急の連絡会議を開いた。「たらい回し」を防ぐため、県は今年4月から、新しい受け入れ基準の運用を開始したばかり。「基準が絵に描いた餅になっている」などと厳しい声も相次ぎ、医師不足や、基準の周知不足などの課題が浮き彫りとなった。
(2011年7月3日読売新聞)

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亡くなられた女性は本当に気の毒である。言葉もない。
私が今回の大臣の件で、メディアの報道に同調して批判する気が起こらないのは、このように、いまだに「たらい回し」という言葉をこのような意味合いで使い続けているメディアに、人知れず腹立たしい気分にさせられていることが関係しているのかもしれない。

「たらい回し」に限らず、言葉は時代とともに変化していくものなので仕方ないことではある。だが、現場の医療スタッフたちは、本来の「たらい回し」の意味である

「1つの物事を、責任をもって処理せずに次々と送りまわすこと」

はしていない。少なくともわざわざ「そのような批判をメディアからお受けするように、故意には」していないと思う。

言葉を捻じ曲げて使う人たちの報道だから、どんな報道も「本当半分、嘘半分」だと思ってしまう。今回の一連の報道では、「上から目線でモノを語る大臣」の場面が繰り返しオンエアされていたけれど、あれすら「誰かが書いた脚本に則ってやっている芝居なんじゃないだろうか」と思ってしまう。

他には…
・自分から「復興担当相を辞めたい」とは言いにくいから、わざと憎まれ口を叩いて辞めさせるような世論を形成したかった
・就任9日で辞めることで、誰かが得をするような筋書きになっている(誰か分からないけど)
・本当に九州出身でB型だから

どうにも
被災者や被災地への配慮が、殊の外、この大臣に欠けている→大臣の資格なし→辞任すべき→首相の任命責任もあるぞ→首相も早く退陣すべし

というメディアの大合唱に「全くその通り、とんでもない大臣だ!」と安易に与(くみ)することができないのは、この内閣を形成する民主党が与党となった原因が、メディアが形成した世論にあるからだと、未だに恨みがましく私が思っているからである。そしてそのような「被災者への思いが足りない」政治家やその他の政治家を選んだのは国民である。政治家への一方的な批判は、口角泡飛ばして批判する一人一人に跳ね返ってくるんじゃないだろうか、という思いも、心のどこかにあるからである。

でもまぁ批判する気になれない1番の原因は、「実験がうまくいかなくて、それどころではない」、ということだろう。

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