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2010年9月30日木曜日

(雑)世迷いごとをつぶやく

あなたがその家に住めるのは、あなたがガンバってきたお陰でしょう。なんて口が裂けても言えない。あなたがそこに至るまでに、本当に多くの人が、あなたを支えたのだから。

年金を納める額より、貰える額が少ない-だから納めない。なんて私の考えでは奢りもいいところである。あなたの祖父母の世代を支えたのだから、それであなたも生まれてきて成長できたのだから、せめて次世代へのバトンを渡すつもりで行きてゆけばいいと思う。納める力があるのに、納めるつもりが無いのであれば、現在の制度に代わる代案を提出すべきである。人間が、他人に感謝できないのは、その人の想像力があまりにも乏しいからである。どうして苦労して一生懸命頑張っている隣人に気づかないのか。

***
今日は送別会があった。
2ヶ月頑張った1年目研修医の3人の先生たち、そして1年半大学で研鑽を積まれたT先生、本当にお疲れ様でした。皆さん本当に優秀で、自分が研修医だった頃を思い返すにつけ、恥ずかしくて穴に入りたい気分です。これから先も、是非自分を信じて頑張ってください。幸せは相対評価にはなりえません。いつも幸せかどうかは絶対評価です。

2010年9月29日水曜日

(雑)全くの他人事ですが・・・の煙草の値上げ

受動喫煙での死亡者が6800人/年(厚生労働省研究班9月28日発表)

という記事を読んだら、先日コンビニのレジで並んでいた齢60歳ほどの女性を思い出した。煙草を何カートンかまとめ買いしようとしていた光景を。
実際私はどっちでもよいと思っている。煙草料金が上がろうが下がろうが、禁煙しようがしまいが。過度の禁煙志向に「本当の豊かさとは何か」を問う人がいたり、「分煙さえしてれば吸いたい人は吸ってもいいんじゃない」と愛煙家に同情する非喫煙者、誠に色々な意見があると思う。大いに結構である。私が煙草を吸わない理由は1つにお金がかかる。2つに「吸うことで煙草臭を周囲の嫌煙家に嗅がせることで、その人から買う必要の無い悪意を買いたくない」という点からである。だから時折の酒の席での受動喫煙ならば別に気にしない。嫌なのは、分煙になっている店でなぜか煙草の臭いを服や頭髪につけて持ち帰らねばならないことである。受動喫煙するつもりのときに副流煙を吸うのならば構わないが、吸いたくないのに吸わされる副流煙は嫌なのである。
まぁそれは兎も角として、全身麻酔を受ける予定がある人ならば、手術中に喀痰が増え、その痰が原因となって術後に無気肺や肺炎を起こしうる可能性が非喫煙者よりも喫煙者で高くなるということを覚えていただきたいと思う。くも膜下出血で緊急手術が必要でも、子宮外妊娠で緊急手術が必要でも、腸閉塞で緊急手術が必要でも、冠動脈バイパス術で緊急手術が必要でも、喫煙者の方が非喫煙者より周術期の呼吸器合併症が多くなるであろう事を十分認識したうえで吸っていただきたい。
1000円/箱になるまで吸ってやる!という人には是非とも頑張って煙草税や煙草産業従事者の賃金となるであろうお金を納め続けていただきたい。喫煙が反体制の象徴のように世間から嫌悪され続けても、JTが煙草を作らなくなっても、喫煙者の方々には、是非とも人生の最期の瞬間まで信念をもって煙草を愛し続けてほしいと思う。

2010年9月27日月曜日

(走)Training in Rena (其の六十六)


当直明けに電車に乗って帰宅したら、既に半袖の人は殆ど見かけなくなっていた。半袖麻酔科医の私はちょっと風邪をひきそうである。

4ヶ月半ぶりにIn Body測定をしてもらった。
体脂肪率はたった0.1%だが減少していた。体重はほぼ横ばい。
下肢の筋肉量は多少増加していたが、大きな変化はこの4ヶ月では見られなかった。だが、確実に走力はアップしている。この違いは何なのだろうか?先日の20km走後には背筋の痛みが出たので、今後は体幹の筋肉トレーニングもしっかりやっていこう。

ランニング: 3.5km、25分(傾斜3.0-10.0、8.0km/hr)
 計496.1km(7月 80.2km, 8月 65.8km, 9月 48.5km)
 (総時間3078分=51時間18分)
筋トレ:背筋、腹直筋、腹斜筋

11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと48日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと69日)
(2011年2月 42.195km 東京マラソン あと153日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと174日)

そういえば受理決定の連絡を受けていた論文の校正が送られてきていた。貧弱な英語力しかない私の論文に赤文字で「a」や「the」やコンマの使い方など、チェックを入れてくださった方に感謝。

2010年9月26日日曜日

(音) Opera Magna - POE (2010年)

全編スペイン語で歌われる本作はバンドの2作目。同郷スペインの先輩バンドDark Moorの2作目「The Hall of The Olden Dreams」を超える叙情歌謡メタル曲のオンパレードである。垢抜けない雰囲気や高音域で不安定になるヴォーカルがまたよい。#10「caida casa usher」はこのジャンルの偉大なる先駆者Rhapsodyへのオマージュか。名曲「Emerald Sword」を彷彿とさせる展開。
日本人好みのメロディ満載の名盤。Amazon.co.jpでは買えないようで残念である(2010年9月26日現在) 。

(麻)麻酔とアナフィラキシー

今度の勉強会用にとアナフィラキシーに関連した資料を見直していた。
「Anaphylaxis and Anesthesia -Controversies and New Insights. Anesthesiology 2009; 111:1141–50.」(PDFがフリーでダウンロード可能)
http://journals.lww.com/anesthesiology/Citation/2009/11000/Anaphylaxis_and_Anesthesia__Controversies_and_New.31.aspx

・・・Another potentially confounding sign might be bradycardia, which can be seen in massive hypovolemia, probably as a result of the Bezold–Jarisch reflex, a cardioinhibitory reflex that has its origin in sensory receptors of the left ventricle transmitted by unmyelinated vagal C fibers. This paradoxical bradycardia occurring during extreme hypovolemia has been reported to occur in as many as approximately 10% of patients with anaphylaxis during anesthesia. In this case, bradycardia may be considered as a life-protecting adaptive mechanism that allows the ventricles to fill before they start contracting again despite a massive hypovolemia. Therefore, this specific event during anaphylaxis must be recognized by the anesthesiologist caring for the patient because the administration of atropine in direct response to the symptom of bradycardia might directly induce a circulatory arrest, the adequate treatment in this setting being a large volume expansion followed by epinephrine.

「アナフィラキシーショック時に除脈を来しているからといってアトロピンを使うと心停止を起こすかもしれない」と書かれている。治療はアドレナリンと輸液が第一。皮膚症状を起こさないアナフィラキシーショックもあるから、除脈をみた時には注意が必要か。特に脊髄くも膜下麻酔で高位脊麻から除脈…が疑われるような症例でもアトロピン使用には注意した方がよい?局所麻酔薬でのアナフィラキシーが稀だからといってなめてはいけない。「稀=ゼロ」ではない。「除脈=何も考えずにアトロピン投与」はまずい。

ぱっと探しただけでも以下のような報告がある。
「塩酸ブピバカインによる脊髄くも膜下麻酔でアナフィラキシー様反応を起こした1例.」
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsca/25/2/175/_pdf/-char/ja/

政治家の答弁ではないが「あらゆる可能性を視野に入れて」対処するように心がけよう。おそらく麻酔科医の仕事がまだまだコンピュータで代替できないのは、アナフィラキシーショックのような生命の危機が発生した場合への迅速な対応という点において、であろうし。

(雑)お金の教養と仕組み

無料で2時間の講習。どのような会なのかと思い当直前の時間を利用して夫婦で参加してみた。至極まともな内容で、参加していた人たちも熱心にメモを取っていた。

お金の教養と仕組み
1.稼ぐ能力より持ち続ける能力を身につけよう
・まずはプラス5万円を稼ぐことより今の状態で5万円つくる(無駄な支出など収支を見直す)ことを考える。
・例:収入の2割を天引き預金(別の口座。将来の軍資金にする)し、2割を定額自動送金(別の口座。自己投資に使う。こちらは使い切るつもりで)しよう。そして残り6割で生活する。
2.通帳を「決算書」代わりに使おう
・毎月決算日を決める。収支を大雑把に眺め、自分で成績をつける(A,B,Cなど)
・あらゆる収入・支出を通帳に集約し、毎月「決算」をする。日々の雑費もクレジット払いにすると、通帳に履歴が残り管理しやすい
3.損益計算書(P/L = Profit and Loss statement)を作ろう
・支出を「食費」「水道光熱費」「交際費」など10項目程度に仕分けして1回/月集計しよう(ファイルなどを利用。1円単位までやる必要はなく、大雑把でよい)
・家、車、保険等の固定費が収入の3割以下になっていれば健全な家計の目安である
4.3回決算したら3カ月毎に「貸借対照表(B/S = Balance Sheet)」を作ろう
・財産の評価額、返すべき借金の残額を1回/3カ月集計しよう
・持ち家の場合、購入した額ではなく、インターネット等を利用して「およその市場価値」で査定する。
5.他人の時間を上手に活用しよう
・お金を払って会計士を雇おう
・記帳代行や税務顧問など
6.財布にも働いてもらおう
資産を分散させる、運用期間を決める
7.5つの島(株、不動産、債権、商品、為替)を行き来させる
8.不動産で増やすなら
9.株式で増やすなら
10.FXで増やすなら

単行本「お金の教養ーみんなが知らないお金の「仕組み」 ― 泉正人」の内容から学んだ内容が多かったような印象を受けた。講習内容もさることながら、理解しやすい話し方、見やすいスライドの作り方、といったことも参考になった。上記項目8-10は人によって興味があれば、というところ。FXはギャンブル的要素が強くて、とてもやる気にならないが。

2010年9月25日土曜日

(麻)ペースメーカー(PM)メモ

@レントゲンでのデバイスの判別
 ・ICDやCRT-Dでは「除細動コイル」という「太い構造物」が二箇所あるはずなので、外科医の「ペースメーカーが入っています」を妄信せずに自分の目でレントゲンを確認する。(特に緊急手術の時には)
・CRTには「LVリード」がある筈なので左室内に行く導線の有無をチェックする。

@電気メスの影響
・極性 
1.Unipolar - 主に切開・凝固に使用 
2.bipolar - 主に止血・凝固に使用。生体内に電流が流れることは殆どない。電磁干渉は起こりにくい。凝固部位がジェネレータに近接していると、ジェネレータ損傷につながる恐れあり。
・影響
1.プログラムされる
(PMのプログラムがリセットされる可能性、バックアップモードに切り替わる可能性。)
2.ジェネレータに対する永久的な損傷が生じる
(直接電流が流れ込むことによる)
3.ジェネレータの抑制が起こる
(心臓が動いているものとPMが認識して、デマンド機能が働き、必要なペーシングを抑制してしまう可能性)
4.ノイズモード、初期設定に変更になる
(ノイズが連続した場合に、自己予防のための防御機能が働いて、VOOモードなどの固定モードに切替る)
5.心筋に影響を及ぼす
(リードを通して心臓内に電流が流れ、二次的に心筋が温熱刺激を受ける。これによって心筋梗塞やVFが生じる)
6.ICDが作働する

@安全対策
・術前
1.植え込み要因となった原因疾患の把握
2.PM依存度チェック。ECGやプログラマーによるペーシング率レポート等
3.術前の設定条件
4.抗不整脈薬の内服やその他の内服
5.ペーシング、センシング極性の確認
6.手術部位(頚部や胸部は影響が出やすい→電メスの使用は最低限に。連続使用を避ける。止血はbipolarを用いるほうが良い。対極板張る位置注意。腹部や下肢では、電メスと対極板がジェネレータと交わらなければ問題ないとされる。)
・術中
ユニポーラ使用時には・・・
1.対極板をしっかりはる
2.体外式除細動器のパッド装着(貼る部位はリード線を挟まないように心臓の腹側と背側に貼るのも一法)
3.モニタ(パルスオキシメータや動脈圧ラインなど)
4.設定変更:VOO or AOOモード、ICDの作働をoffにする
~設定のいろいろ~
・基礎疾患が房室ブロックでPM依存の場合:VOOモードが最も用いられる。VOOモードでは自己脈と競合し、spike on TからVFを招くことが懸念される。(実際は稀らしい。普段の脈が徐脈で殆どPMリズムならこの設定でよいと考える)
・SSSで房室伝導障害がない場合:AOOモードが推奨される。自己脈より20-30bpm高めの固定レートに設定する。
・自己心室脈が徐脈の場合:2倍程度の心拍数を目安にした固定レート
・自己心室脈が正常範囲内の場合:自己心室脈より20-30bpm程度高めの固定レート
5.ジェネレータから最低15cm離れた部分で電気メスを使用することが勧められている
6.術後にPMチェック

@ICDの設定:VF/VTの検出機能をoffにする。術中にVF/VTが起きた場合にマニュアル操作でICDが作働できるようにしておく(プログラマーに待機してもらう)。体外式パッドを準備しておく(パッドはジェネレータと10cm以上離して貼る。心臓を挟み込むように前後に貼ることが推奨されている)。

@緊急手術時の対策:プログラマーに可能な限り立ち会ってもらう。ジェネレータ植え込み部直上にマグネットを置くとVOOやDOOなどの非同期モード(比較的高い固定レート-マグネットモード)にすることができる。

@基本
ペースメーカーコード
・第1文字:ペーシング(刺激)位置
・第2文字:センシング(検出)位置
・第3文字:モード(制御様式)
・第4文字:心拍応答
・第5文字:multiple pacing

@過去問から 47C33-34
・右乳がん手術時に右前腕に対極板を貼る
・脱分極性筋弛緩薬投与で筋線維束攣縮→心室のオーバーセンシングをもたらし、PM抑制生じた報告あり。SCCは避けた方がよい。
・ECGモニターのフィルターは解除する(PMによる刺激の有無を判断するために)
・パルスオキシメーターがPMに電磁干渉を及ぼすことはない
・神経刺激装置はPMのオーバーセンシングを生じる可能性あり。避けた方が無難。

9月21日の勉強会に参加できなかったので、理解は未だに不十分な気がしてならない。

(走)Training outside (其の六十五)

この1週間ほどで最高気温が急に10℃位下がってきた。ようやく外でも走りやすい季節に。

ランニング: 9.1km、51分27秒
 (16:10-、平坦な川沿い、およそ10.5km/hr、22℃晴れ湿度46%)
 計492.6km(7月 80.2km, 8月 65.8km, 9月 45.0km)
 (総時間3053分=50時間53分)

11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと51日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと72日)
(2011年2月 42.195km 東京マラソン あと156日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと177日)

***
練習の用語
1.インターバル走:全力走と全力走の間に「ジョギング」を挟む。数セット繰り返す。
2.レペティション:全力走と全力走の間に休憩を挟み、しっかり心拍数を落とす。
3.ビルドアップ走:スピードを徐々に上げていくトレーニング。
 最終的に「全力での1km」など決まった距離の全力走をおき、心肺と脚を追い込む。
4.ペース走:出場するレースに備えて、レースペースで走るトレーニング。
5.LSD(long slow distance):ゆっくりと長い距離を走る。

@フルマラソン3ヶ月用メニュー (マラソンは毎日走っても完走できない-小出義雄 p119より)
・土:追い込む~インターバル走を数セット(15-40分程度)
・日:長い距離を走る~90-180分程度(15km~25~35km)
・月:休み
・火:30-60分ジョギング
・水:ビルドアップ走~10分ジョギングの後ペースを上げる
・木:休み
・金:30-60分ジョギング

これを繰り返せれば、わりとラクに(??)フルマラソンを完走できるかもしれないだろうが…距離を稼ぐにはやはり通勤路ランを徐々に取り入れていくしかないかも。そう考えて今日は通勤で履いても違和感のない黒いランニングシューズを購入してみた。

2010年9月23日木曜日

(麻)やっぱりTHR/TKRには区域麻酔がよい?

Anesthetic Management and Surgical Site Infections in Total Hip or Knee Replacement   ~A Population-based Study. Anesthesiology. 113(2):279-284, August 2010.

Results: Of the 3,081 sampled patients, 56 patients (1.8%)had 30-day SSIs; 33 (2.8% of all under general anesthesia) of them had general anesthesia, and 23 (1.2% of all under epidural or spinal anesthesia) had epidural or spinal anesthesia (P=0.002). The odds of SSI for patients receiving total hip or knee replacement under general anesthesia were 2.21 (95% CI=1.25–3.90, P=0.007) times higher than those who had the same procedure under epidural or spinal anesthesia, after adjusting for the patient’s age, sex, the year of surgery, comorbidities, surgeon’s age, and hospital teaching status.

THR・TKR手術の麻酔法の違いでのSSI(手術創感染)の差を比較。硬麻/脊麻群は1.2%、全麻群で2.8%の発生率と全麻群で有意にSSIの発生率が多かったということである。高血圧、脂質代謝異常、冠動脈疾患、糖尿病の合併率はいずれも硬麻/脊麻群が有意に多いにも関わらず、の結果である。いろいろと突っ込みどころはあるとは思うが・・・。

(走)Training in Rena (其の六十参と四)

意外にも筋肉痛は完走後2日間で消失したので、ゆっくりとトレーニングを開始。こう雨が多くて寒いと室内トレーニングをするしかない。

9月22日:ウォーキング 2.0km(25分、傾斜15.0、5km/hr )
9月23日:ランニング: 8.0km (52分:開始5分を傾斜15.0で5.0km/h、以降傾斜3.0で10.0km/hr)
 計483.5km(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 65.8km, 9月 45.0km)
 (総時間3001分=50時間01分)

青梅マラソンはとっくにエントリーを締め切っていた。
11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと53日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと74日)
(2011年2月 42.195km 東京マラソン あと158日)
2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと179日)

2010年9月22日水曜日

(雑)歯科のこと(其の弐)

8月24日に「う蝕10本」が判明して以来、今日を心待ちにしていた。田沢湖マラソンも無事に完走できたので、当直明けを利用して、う蝕の治療を開始。

まずはレントゲン撮影。
見せてもらう(右写真は右下の智歯)と下の智歯は左右2本とも「水平埋伏智歯」といわれる状態で、しかも相当深くに眠っているらしく抜歯の適応ではないということであった。抜歯すると「下歯槽神経」(右写真での智歯下の白い見える線状の箇所を走行している)を損傷する可能性が高いとのこと。
取り敢えず4本中2本の智歯は生涯抜く必要がないことに安堵し、良好な麻酔のもと、2/10本の治療を10分ほどで終了。局麻注入時と処置の最中には鈍い違和感と若干の染みるような感覚があったが、想像していたものより大分楽だった。少なくとも将来歯牙が脱落して義歯を作成しなくてはならないことを回避したい(既に手遅れかもしれないが)ので、地道にあと8本も直してもらおうと思う。

2010年9月20日月曜日

(本)残念な人の仕事の習慣 - 山崎将志 に思うこと

この読みやすさ、222ページと手ごろな量(秋田~東京への新幹線で読みきれる量)。例え話が非常に分かりやすく納得しやすいことばかりなので、前作に引き続いてまた読んでしまった。

・仕事においては、勉強→実践ではない。実践→課題の発見→勉強の順番が常に正しいのである。(48)

私がはっとしたのは以下の部分。
・「声かけ」の問題点にこだわるのは、このコミュニケーション(私の注:「何かお探しでしょうか?ご試着もできますし、サイズもお出しいたしますよ」と客に話しかけるスーツショップの店員の言葉)からは客がどのようなスーツを求めているかの情報を一切引き出すことができないからだ。(103)

自分の身に置き換えると、手術前に行っている術前診察。私は今まで一通りの診察の後に「何か聞いておきたいことはありませんか」と患者さんに声かけしていたが、これではもしかすると不十分な可能性がある。患者さんによっては「よくわからないので、お任せします」と言ってくれるのだが、この言葉の裏には「これを聴きたかったけど、よくわからない説明をされたから、多分質問してもどうせ自分には理解できないだろう」という考えがある可能性がある。そのような欲求を、患者さんに努力させることなく、診察時の患者さんの態度から汲み取れるようになれることが、もしかすると術前診察の1つの目指すべき到達点なのかもしれない。

2010年9月19日日曜日

(走)iPod assisted-20km marathon at Tazawako lake (田沢湖マラソン)、其の六十弐

06:17起床。湖畔のペンションで目覚めたが最悪なことに土砂降り。だが幸運なことに9時には雨は止んでくれた。

義父の帽子と時計を借りて走った。
12km辺りの地獄坂(この坂を上っている最中に、東和ロードレースの参加賞である「地獄坂Tシャツ」を着て走っていた初老の男性を見かけたのは偶然?)をクリアし、18km付近のプチ地獄坂をクリアすれば他はほぼ平坦な道のり。10km地点の「たつこ像」を思いがけず見忘れてしまった(エネルギー補給用のバナナポイントを探していたため)。

10km辺りではブラジル代表みたいなウェアを羽織ったiPodder (nano)をペースメーカーに、15-17km辺りでは薄いエメラルドグリーンのウェアを羽織った女性(最終的には気持ちいい位に抜きさられた)をペースメーカーにさせてもらった。10km辺りで抜き去ったウサギ耳コスチュームの女性に19kmで抜き返されたのにはショッキングだった。やはり仮装ランナーになるにはそれ相応の走力が必要である。
走り終わると、体はクタクタだったが、全体を通して気持ちよく走れた。15km以降たびたび「なぜ自分は走っているのか」という疑問が頭をちらちらとしたが、それに対する回答は出なかった。今回は7月4日の東和ロードレースでの「論語物語」のフレーズも思い出さなかった。

今回は完全にiPodで音楽を聴きながら走った。曲間の僅かな時間に周囲のランナーの足音と沿道の子供の「がんばれー」に励まされた。入賞に絡むようなトップランナーだったら、耳にイヤホンをしていると批判を受ける対象になるかもしれないが。ただ、併走していたランナーにはもしかすると騒音被害を撒き散らしていたかもしれない。

Special thanks to...
1-10km
 Primal Fear- Nation in fear
 Nocturnal Rites - Not the only
 Orphaned Land - Bereft in the abyss
 LADY GAGA - Paper Gangsta
 Arch Enemy - The Ravenous
 Kalmah - Swampwar
いきものがかり - 気まぐれロマンティック
 Divinefire - Free like an Eagle
 Dark Moor - The Star
 Dir en Grey - 我、闇とて...
 Helloween - Before the war
 Royal Hunt - Day in Day out
10-12km-
 Zonata - Visions of sorrow
 Nana mizuki - Orchestral Fantasia
 Arch Enemy - The day you died
13km-20km
 Dark Lunacy - Motherland
 Europe - Ninja(live)
 NoGod - 心臓
 Soilwork - Figure number five
 Sonata Arctica - 8th commandment
 Blind Guardian - Battlefield
 Dir en grey - Saku
家族、 沿道、大会運営者の皆様、
私に抜かれたり私を抜いたりした方々

ランニング: 20.0km (10:00-11:48 1時間47分16秒、平均11.2km/hr)
 18℃ 72%、曇り時々ほんの少し雨、無風
 計473.5km(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 65.8km, 9月 35.0km)
 (総時間2924分=48時間44分)

11月5km: ねりま光が丘ロードレース(あと55日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと76日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと153日)

マラソンより大変だったのは、久しぶりの友人と会ったその帰り路。雨降る中、バス停から徒歩で歩いている最中に大腿四頭筋や大殿筋、中殿筋が悲鳴を上げていたこと。

2010年9月18日土曜日

マラソン前夜

もう少しで日没であろう17:10の田沢湖。第25回田沢湖マラソンの事前登録のため、会場に行って参加賞のTシャツをもらってきた帰り。

2010年9月17日金曜日

田沢湖まであと2日


いよいよ明後日になった。

どうやら当日の田沢湖は19-23℃と涼しめで予報は曇り時々雨。撥水性の高いインナーとウィンドジャケットを購入した。店長さんにはゴール前の緩やかな坂に要注意とアドバイスをもらった。初めての20kmなので完走を目標に、頑張り過ぎないよう走ろう。

2010年9月16日木曜日

(雑)想像と妄想

判断に迷ったときは患者ベース。これは医療従事者に前提として求められる価値観の1つであると理解している。全身麻酔中の患者を前にして輸血、薬剤、呼吸等どのようなdecision makingをするか、外科医にどのようなsuggestionをするか。赤血球は4単位でやめておくのか、もう2単位追加するのか。PVCが散発しているときに手術中止を勧めるのか。
私の判断基準は「どちらが後から、第三者からみてより納得しやすいか」という部分に寄りかかるところが大きい。しかし、それは結局「患者のため」というより「自分にお縄がかからないため」という、他人のためのふりをした自己防衛にしか過ぎないのではないか。ガイドラインやエビデンスはずるい。きれいな数値化されたデータをもとにしてできているから、それらに当て嵌まらない個々の臨床症例との対比において、至らない点があったときに、ガイドラインから大きく逸脱しているという点で断罪されるのだから。

患者は寝ている。麻酔科医は患者の代わりに患者を守る。患者の代弁をする。しかし、患者は麻酔科医でもない限り、幽体離脱して私と一緒に自分自身のバイタルサインをモニターで見ていたとしても、「ここでノルアドいけ~!」という判断は下せない。私は患者に良かれと思う医療行為を”想像して”知っている経験と知識を駆使して、私の想像範囲内において、薬をちょびちょび使いながら、時には輸血をポンピングしながら、その生命活動が少しでも潰えないように、少しでも寿命を縮めないように、少しでもストレスホルモンを出させないように麻酔をする。患者は自分の命を一時的に私に預ける。患者が意識していようが、無意識であろうが、寝た後の生命活動は大きく我々に委ねられる。

私が欲するのは、患者の僅かな不調の前兆も見逃さないvigilanceの眼。経験年数では遥かにベテランの先生方に劣る私は、その先生たちが見ている世界に少しでも追いつこうと日々躍起になっている。結果として行う麻酔行為が同じでも、どの時点で「それをやる可能性」を想像できるかという、実際の行為までの時間的余裕は各人において様々。行動を起こすまでに、一秒でも早く、考えうる病態と鑑別、治療法をきれいに取捨選択できるようになりたい。そして、自信をもって選択した行為に対しても、謙虚に「本当によかったのか」を見直せるような人間になりたい。というようなことをつらつらと手術室の監督をしているときに考えた。

***
「私には責任がないから寝ている。責任があるものだけでなんとかしろ」ということが言えるのは、実は危機感がないからです。このまま座礁すれば、全員死ぬことになると思っていない。誰かがなんとかしてくれるだろうと思っている。他責的な人間というのは、実は無根拠に楽観的な人間でもあるのです。自分がいなくても何とかなると思っている。でも、「自分がいなくても何とかなる」というのは、危機の評価が低いということと同時に、自分が貢献できることについても、きわめて低い評価をしているということです。「自分なんかいても、何の役にも立たない」と思っている(ただし、これは意識化されていません)。被害評価の低さ(無根拠な楽観)と、自己卑下(無根拠な悲観)、この二つが「犯人捜し」に熱中する他責的な人々の特徴なのです。(街場の教育論 - 内田樹 p176より)

***
救急救命士さん(女性)が外勤先の病院に気管挿管実習に来ていたのでちょっと話をした。曰く、救急車を呼ぶ7-8割の人々は「こんなので呼ぶなよ」系や「それって人としてどうなのか」系(常識的でない人間性が疑われる人々)らしい。救急車を呼んで病院に着き、時間外診療を受ける。後から消防署に感謝の手紙が送られてくることもあるけど・・・と救命士さんは話す。7枚綴りの手紙の1枚目には「本当にお世話になりました」と。残りの2-7頁には何が書いてあるかというと、「○○市に救急車で帰るのですから、私も乗せてくれればよかったのに、云々」といったことがくどくどくどくど。これを書く人には少なくとも「○○市に救急車が戻る際に、別件の救急要請が入り、自宅から遠く離れた場所にそのまま急行する可能性」についての想像力が完全に欠如している。しかも恐らく手紙をしたためたのは自宅に帰ってからであろうから、そのような喫緊でない環境下においてでも、である。自分を1人の人間として尊重してもらいたいのか、暇なのか、寂しいのか、理由は私には全く不明だが、手紙を書ける位元気なのだからまぁよかったですね、とも思う。もしかすると「高い税金を払っているんだから、救急車くらい自由に使ってもいいじゃないか」と思っているのかもしれない。この島国で健康に生きていると「命の修理にかかる金額は安い」と錯覚する人が少なからずいる。献血には一度も行ったことがないのに、家族が出血性ショックになり救命処置で輸血が間に合わないということに目くじら立てて訴訟を起こすような人もいる(勘違いしないでいただきたいが、献血をする人が偉いとは言っていないし、献血すれば何を言ってもよいとも言っていない。勿論献血をしない人には大量輸血の治療を受ける権利がないなどというつもりも無い。病院には輸血用の血液があるのが「当たり前」だという、その想像力の欠如を問題にしているのである)。日中に開業のクリニックにかかることが決して不可能ではないはず、にも関わらず、昼間は無理して働いて、夜間やっぱり具合悪いからと「歩いて病院に来ることが出来、自分の症状を自分の言葉で訴えられる程度に元気なのにもかかわらず」救急外来に平然とかかったりする。要するに、そこにある人・物資双方の医療資源の限界やルールへの想像力を全く働かせることなしに、自分が損をしたり被害を受けたという「狭い想像力」の中だけでモノを語るのは控えたほうがよいということだ。人は死ぬものである。

というようなことばかり言うのは、当直の外科医が「夜間歩いて来院できるような患者」の対応で睡眠時間を蝕まれ、翌日の予定手術で動脈一本でも無駄に損傷してほしくないからという理由からである。煩悩が多すぎて、とてもじゃないが仏にはなれない私。そんな私もきっと歩いて救急外来に行ってしまうのである。

2010年9月12日日曜日

(本)組織行動の「まずい!!」学 ― 樋口晴彦 ~に学ぶこと

こんなに金言がつまった書物がたった777円で販売されているという現実に直面すると、資本主義社会の素晴らしさを感じる。麻酔科医にとっても身につまされる金言の宝庫。

(以下引用、太字は私)
・規則やマニュアルを無用に増加させると、かえって現場の規範意識を後退させる危険性があることに注意が必要である。(41)
・リスク・マネジャーにとっては、危機感を着実に麻痺させていく「忘却」と戦うことが、最初の、そして永遠の課題である。(76)
・改善と改悪は鏡の表裏。現場レベルでの改悪を防ぐためには、日頃の作業監督をみっちり実施するしかない。特に作業能率が非常に悪い部署については、現場の創意工夫の結果として、安全対策がなし崩しにされる危険性が常に存在すると留意すべき。(88)
「アウトソーシング」したからといって、そのリスクまで一緒に外注先に押し付けることはできない」という当然の事実が認識されているかどうかだ。(104)
・安全管理によってどのような事故が予防されたのかという「業績」を周囲に説明できない。むしろ安全管理を真面目にやればやるほど業務的には非効率になるため、平素では社内の他部門から疎まれがちな存在だ。安全管理に失敗しなければ、その重要性を理解してもらえないという皮肉な構造である。(107-8)
・「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず」(140)
・タイムリーな初動措置の実施は、まさしく危機管理の要諦である。(155)
・手許に無造作に積み上げられた紙の山の中に、ひょっとしたらダイヤモンドの原石が隠れているのかもしれない。その存在に気が付くかどうかは、まさに「情報を求める側」の力量にかかっているのである。(163)
・情報の不足はあくまでも「結果」にすぎず、その「原因」のうちの相当な部分は、情報を求める側に在るということだ。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」(172)
・「悪魔は細部に宿る」(207)
・堕落した組織文化は重大な危機を招来しかねないことを経営者は強く自戒する必要がある。(219)
・組織文化に根ざした現場の思考方式を改めるのは、システムを導入するよりもはるかに時間がかかることなのだ。(224)

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ローテート研修医や後期レジデントの先生たちと一緒に麻酔管理を行うことが多いが、そんな自分に戒めとしておきたいのが次の言葉。

・現場はあくまで現場。その知識は基本的に経験の範囲内に限られ、これを逆に言えば、経験のないことはよくわからない。その結果、気付かぬうちに大変な事態になっていたということになりかねない。(88-9)
・専門家は、十分に事実を確認しないうちから、「あぁ、これは〇〇だ」と判断を下してしまう癖がある。真実を見つけようとするのではなく、自分の知見の範囲内で結論を当てはめてしまうわけだ。(179)

できる研修医ほど気をつけなくてはならない・・・というわけではないが、きちんと対応できるだろうと思っていても「彼/彼女」にはそれが常識ではないかもしれないし、経験したことがない症例かもしれない、ということを常に考えてみていく必要がある。私と「彼/彼女」が同じ手術からみえるものは恐らく違う。手技が上達し、指導医と研修医の間で差がなくなってくるときに、指導医が指導するものはまさにその部分であると思う。とともに研修医への指導が「麻酔科学」ではなく、「自分の経験」に偏っていくことへも十分注意しなくてはならない。

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警視庁は、帝京大病院の感染問題への対応が業務上過失致死容疑などに当たるかどうか調べているらしい。マスコミや、web上でいろいろな人が、現場の対応へ批判的なコメントをしているのに対し、私は強い違和感を感じてしまう。

・人間とは過ちを犯す生き物である。「俺だけはそんなことはない」と本気で言い切れる者がいたとしたら、それはただの愚か者だ。自らの失敗を真摯に反省した上で、同じ過ちが繰り返されないようにその経験をありのままに伝え、それを聴く側も自分がいつ同じ過ちがを犯すかわからないという畏れを持つ、それこそが失敗に学ぶという姿勢という姿勢なのである。(230-1)

私が声高に批判しないのは、謙虚だからでもなんでもなく、自分が当事者だったらつるし上げられたくないという矮小な人間性の持ち主だからである。矮小な私ですら批判をする場合には、それが事実であるかをまず調査し、その上で実行可能で前向きな提言をセットで行うべきとは少なくとも思うのだが。

Training in Rena (其の六十壱)

もしかしたら20kmレース前最後の練習になるかもしれないが、10日ぶりの練習だったからこのくらいにしておこうと思う。

ランニング: 10.0km 62分(傾斜0, 8-8.5km間だけ傾斜10.0, 8-10.5km/h)
 計453.5km(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 65.8km, 9月 15.0km)
 (総時間2817分=46時間57分)

9月20km:田沢湖マラソン(あと7日)
11月 5km: ねりま光が丘ロードレース(あと63日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと84日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと161日)

2010年9月11日土曜日

食堂かたつむり☆☆☆

2010年、119分。
主演の柴咲コウが殆ど喋らないこの映画は、見る人を選ぶ作品だろう。全体を支配するゆる~い不条理感と明るさ、若干説明不足なままに進んでいくストーリー。ファンタジーと思って見ていると脈絡のない展開に怒ることもないであろうし、そもそもそんな一般常識的な論理展開を、このような映画に当てはめようとすること自体間違っていそうである。倉橋ヨエコの歌を思い出すような、ほんわかとした気分になれる映画。

地方会(第50回関東甲信越・東京支部合同学術集会)

ER経由の緊急手術や明け方の緊急帝王切開術の麻酔のため、あまり眠れなかった。帝切の麻酔は久しぶりだったが、2010年3月5日の診療報酬改定で麻酔管理料が700点加算されることになったので、ちょっとやる気が出るというもの。

んで地方会。
今年は同じ職場の先生方の発表が多かったのでなるべく全部見たかったのだが、帝切後に意識消失してしまったので、会場に着いたのは昼過ぎになってしまった。初めて自分が指導者として、レジデントの先生に発表してもらうことになった今回の学会。初めての発表というと「ちょっと珍しい1例報告」が多い中、こつこつとまとめてくれたK先生に感謝。発表も質疑応答も堂々としていたので私が出る幕もなかったのである。やはり発表では声がきちんと通ることが何よりも重要である。いろんなポスター発表を概観したが、困難な症例で安全性を追求するという命題が多くの発表に共通していたようだ。

2010年9月5日日曜日

おんたいむ

新木場駅で降りたのは初めてだったかもしれない。
夢の島公園に行ったのは初めて。
高校時代の友人たちに久しぶりに会ったが、皆が皆、集合時間に遅刻しなかったのが、なんだか奇跡のように素晴らしいことのような気がした(普段時間通りに皆が集まらない、という意味ではない)。それとともに昨日医局説明会に遅刻した自分をちょっと反省。

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小沢氏は規正法違反事件について、「検察の捜査でも、不正はなかったと明らかになった」と強調。問題が発覚したときには、事務所費をすべて公開したと述べ、「ほかにも政治資金の問題を指摘された人もいる。透明な資金と言うなら、全員公開しなければおかしい」と反論した。(時事通信 2010/09/01-21:51)

これって

「他にも宿題やってこなかったやつがいる。俺だけ怒られるのはおかしい」
「他にもスピード違反ならみんなしてる。俺だけ罰金取られるのはおかしい」

って言ってるのと大して違わないような気がする。

その言葉自体は自分の弁護を全くしていないし、自己の行動の正当性を主張できていないのでは。というより政策云々の前にこういうことを言わなければならない土壌があること自体が悲しいのである。

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ということを炎天下の下、肉を焼きながらつらつらと考えていた。ことばは本当に独り歩きするものだ。

2010年9月4日土曜日

医局説明会

という名の飲み会に参加。
37.2℃と灼熱の日中にたっぷりと睡眠を確保。飲み会の会場に向かう途中、Disk UnionでCDを漁っていたらちょっと遅刻してしまった。Disk Unionの店内では初期Kamelotのベスト選曲ライブアルバム「The Expedition」が爆音で流れていた。もう廃盤になってしまったらしいので、この先一生聴くことができないかもしれないと思い思いがけず購入。

幹事の先生、来てくれた10数人の初期研修医の先生方、ありがとうございました。
研修医の先生方には、スタッフのいろんな話を聴いて、少しでも共鳴するものを感じてくれれば一歩踏み出していただければと思う。最終的に他の選択肢との間で悩むようであれば、自分の体が発する直感を信じて進むのもよいと思う。

2010年9月3日金曜日

『わかりました』がわかりません

他者(特定の人を指していません)に指示をして、「わかりました」と返事が返ってくる。
他者にそれをやってもらう。
やってもらった状態をチェックすると、指示と違うことをやっている。
それが複雑な指示だったら(イノバンを5ml/hrではじめて、など)理解できるのだが、その指示が

「およそ人として社会生活を行うにあたって、基本といえるような極めて常識的なこと」

だった場合、どのようにすれば、当事者に分かってもらえるのであろうか。
問題なのは相手が「わかりました」と言っているという事実である。
私としては「わかりました」という言葉が、当事者の脳で、その指示を咀嚼し理解した後で吐き出されていることを当然期待しているわけである。だが、その指示が行動に全く反映されていない。

これについて考えることが最近の悩みでもあり、楽しみでもある。

多分当事者の「わかりました」ということばの意味が、私が思う「『わかりました』が包含する『わかりました』の意味」と違うのであろう。自分で言っててよくわからなくなってきたが、恐らくそういうことなのかもしれない。だから今度は「その『わかりました』が意味するのはどういう『わかりました』なのか」を確認する必要がある。だがそんなことをすると、当事者から全く不必要な敵意を買いそうな気もするが、恐らくそのような人はそれを「なめてんのか」と思わない筈である。同じことばに直面しても私とは違う風景を眺めているのであろうから。

2010年9月2日木曜日

Training in Rena (其の六十), 当直明けラン

ランニング: 5.0km 32分(傾斜0, 最後の500mだけ傾斜10.0, 9-10.5km/h)
 計443.5km(6月 63.8km, 7月 80.2km, 8月 65.8km, 9月 5.0km)
 (総時間2755分=45時間55分)

9月20km:田沢湖マラソン(あと17日)
11月 5km: ねりま光が丘ロードレース(あと73日)
12月21.095km:いたばしリバーサイドハーフマラソン(あと94日)
(2011年2月 30km:青梅マラソン あと171日)

田沢湖マラソンの参加通知はがきが郵送されてきた。と、同時に12月のマラソンの申し込みを行ってみた。定期的にレースに参加するのは、練習の怠け予防である。

「働きたくない」というあなたへ - 山田ズーニー

「なんかこれ、やってもやらなくても給料一緒だし、時間かかりそうだけど、なんとなく面白そうじゃん」や「めんどくさいけど、これやったらもっとよくなりそうじゃん」「いつも何となくやってるけど、本当にこれでいいのかな」といった理由を原動力とする仕事時間が増えていけばいいな~と思っている今日この頃。

(以下引用)
・子どもは、学校という「行く場所」が用意されていることのありがたみに気づかない。(20)
・「行く場所」も「帰る場所」も、人には両方要る。(25)
・不思議にも「縛られている」と認めることが自分を生かし、関係性を生かし、ひいては相手を生かす結果になる。(34)
・せっかく、ご先祖さんから親へ、自分へ、次の世代へ壮大なリレーのバトンをもらったからには、1円でも、2円でもいい。ささやかなことでも、自分が生まれてきたことで、「何かそれ以上の価値」を支払って、自分の区間を完走したい。(89)
・決めたら、言葉にして、行動として、「出す」。周囲とぶつかってみる。失敗を引き受ける。唯一それだけが、勉強のために今を犠牲にしてきた生き方から、仕事のために今を犠牲にしていく生き方への連鎖を断ち、自分の時間を取り戻す道ではないか。(93-4)
・「幸せな結婚をする」ではなく、「結婚生活を幸せなものにする」だ。この二つは、似ているけれど、ずいぶんちがう。(99)
・自立とは、周囲の意向や期待にかかわらず、現在の個人の意図や思いを実現すること(自己主張・自己実現)。自律とは、周囲から求められている自分の役割を認識し、それと調整を図りながら、自分の新たな可能性や価値観を開発していくプロセス。自分の多様な可能性に気付き、発揮しつづけること。(110-1)
「楽しく生きる」への違和感の理由として、「予想できる範囲でしか生きられない」ことの不自由があると思いました。自分で「楽しく」と言った段階で、「自分の思った『楽しい』という範囲」に制限されてしまいそうな気がするんですね。自分が目を背けたくなるところにこそ、自分自身を広げるなにかが在る。そう思います。(120)
・「そういうわけにはいかんのじゃ」(134)

(引用終わり)
社会的要求を無視して働くということは成り立たない。つまらなそうな仕事にこそ、もしかしたら、価値観を広げたり新たな自分の一面を発見できるような思わぬお宝があるのかもしれない。
という考え方自体が「食う寝る着る」に取り敢えず困らないくらいの報酬を仕事から得ていることを前提にしている、ということの幸せをまずは思い出さなくてはならない。
とはいうものの、定期的にこのような本によって自己の引き締めを図っているという事実自体がやるべきことに集中できていない証拠か。