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2010年9月12日日曜日

(本)組織行動の「まずい!!」学 ― 樋口晴彦 ~に学ぶこと

こんなに金言がつまった書物がたった777円で販売されているという現実に直面すると、資本主義社会の素晴らしさを感じる。麻酔科医にとっても身につまされる金言の宝庫。

(以下引用、太字は私)
・規則やマニュアルを無用に増加させると、かえって現場の規範意識を後退させる危険性があることに注意が必要である。(41)
・リスク・マネジャーにとっては、危機感を着実に麻痺させていく「忘却」と戦うことが、最初の、そして永遠の課題である。(76)
・改善と改悪は鏡の表裏。現場レベルでの改悪を防ぐためには、日頃の作業監督をみっちり実施するしかない。特に作業能率が非常に悪い部署については、現場の創意工夫の結果として、安全対策がなし崩しにされる危険性が常に存在すると留意すべき。(88)
「アウトソーシング」したからといって、そのリスクまで一緒に外注先に押し付けることはできない」という当然の事実が認識されているかどうかだ。(104)
・安全管理によってどのような事故が予防されたのかという「業績」を周囲に説明できない。むしろ安全管理を真面目にやればやるほど業務的には非効率になるため、平素では社内の他部門から疎まれがちな存在だ。安全管理に失敗しなければ、その重要性を理解してもらえないという皮肉な構造である。(107-8)
・「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえども其の味を知らず」(140)
・タイムリーな初動措置の実施は、まさしく危機管理の要諦である。(155)
・手許に無造作に積み上げられた紙の山の中に、ひょっとしたらダイヤモンドの原石が隠れているのかもしれない。その存在に気が付くかどうかは、まさに「情報を求める側」の力量にかかっているのである。(163)
・情報の不足はあくまでも「結果」にすぎず、その「原因」のうちの相当な部分は、情報を求める側に在るということだ。「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」(172)
・「悪魔は細部に宿る」(207)
・堕落した組織文化は重大な危機を招来しかねないことを経営者は強く自戒する必要がある。(219)
・組織文化に根ざした現場の思考方式を改めるのは、システムを導入するよりもはるかに時間がかかることなのだ。(224)

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ローテート研修医や後期レジデントの先生たちと一緒に麻酔管理を行うことが多いが、そんな自分に戒めとしておきたいのが次の言葉。

・現場はあくまで現場。その知識は基本的に経験の範囲内に限られ、これを逆に言えば、経験のないことはよくわからない。その結果、気付かぬうちに大変な事態になっていたということになりかねない。(88-9)
・専門家は、十分に事実を確認しないうちから、「あぁ、これは〇〇だ」と判断を下してしまう癖がある。真実を見つけようとするのではなく、自分の知見の範囲内で結論を当てはめてしまうわけだ。(179)

できる研修医ほど気をつけなくてはならない・・・というわけではないが、きちんと対応できるだろうと思っていても「彼/彼女」にはそれが常識ではないかもしれないし、経験したことがない症例かもしれない、ということを常に考えてみていく必要がある。私と「彼/彼女」が同じ手術からみえるものは恐らく違う。手技が上達し、指導医と研修医の間で差がなくなってくるときに、指導医が指導するものはまさにその部分であると思う。とともに研修医への指導が「麻酔科学」ではなく、「自分の経験」に偏っていくことへも十分注意しなくてはならない。

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警視庁は、帝京大病院の感染問題への対応が業務上過失致死容疑などに当たるかどうか調べているらしい。マスコミや、web上でいろいろな人が、現場の対応へ批判的なコメントをしているのに対し、私は強い違和感を感じてしまう。

・人間とは過ちを犯す生き物である。「俺だけはそんなことはない」と本気で言い切れる者がいたとしたら、それはただの愚か者だ。自らの失敗を真摯に反省した上で、同じ過ちが繰り返されないようにその経験をありのままに伝え、それを聴く側も自分がいつ同じ過ちがを犯すかわからないという畏れを持つ、それこそが失敗に学ぶという姿勢という姿勢なのである。(230-1)

私が声高に批判しないのは、謙虚だからでもなんでもなく、自分が当事者だったらつるし上げられたくないという矮小な人間性の持ち主だからである。矮小な私ですら批判をする場合には、それが事実であるかをまず調査し、その上で実行可能で前向きな提言をセットで行うべきとは少なくとも思うのだが。