受動喫煙での死亡者が6800人/年(厚生労働省研究班9月28日発表)
という記事を読んだら、先日コンビニのレジで並んでいた齢60歳ほどの女性を思い出した。煙草を何カートンかまとめ買いしようとしていた光景を。
実際私はどっちでもよいと思っている。煙草料金が上がろうが下がろうが、禁煙しようがしまいが。過度の禁煙志向に「本当の豊かさとは何か」を問う人がいたり、「分煙さえしてれば吸いたい人は吸ってもいいんじゃない」と愛煙家に同情する非喫煙者、誠に色々な意見があると思う。大いに結構である。私が煙草を吸わない理由は1つにお金がかかる。2つに「吸うことで煙草臭を周囲の嫌煙家に嗅がせることで、その人から買う必要の無い悪意を買いたくない」という点からである。だから時折の酒の席での受動喫煙ならば別に気にしない。嫌なのは、分煙になっている店でなぜか煙草の臭いを服や頭髪につけて持ち帰らねばならないことである。受動喫煙するつもりのときに副流煙を吸うのならば構わないが、吸いたくないのに吸わされる副流煙は嫌なのである。
まぁそれは兎も角として、全身麻酔を受ける予定がある人ならば、手術中に喀痰が増え、その痰が原因となって術後に無気肺や肺炎を起こしうる可能性が非喫煙者よりも喫煙者で高くなるということを覚えていただきたいと思う。くも膜下出血で緊急手術が必要でも、子宮外妊娠で緊急手術が必要でも、腸閉塞で緊急手術が必要でも、冠動脈バイパス術で緊急手術が必要でも、喫煙者の方が非喫煙者より周術期の呼吸器合併症が多くなるであろう事を十分認識したうえで吸っていただきたい。
1000円/箱になるまで吸ってやる!という人には是非とも頑張って煙草税や煙草産業従事者の賃金となるであろうお金を納め続けていただきたい。喫煙が反体制の象徴のように世間から嫌悪され続けても、JTが煙草を作らなくなっても、喫煙者の方々には、是非とも人生の最期の瞬間まで信念をもって煙草を愛し続けてほしいと思う。