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2011年6月15日水曜日

(雑) 非予定調和

16学部16学科!

と書かれた、とある私大の広告を目にする。
これは受験生に対してなんらかの広告効果があるのだろうか?
行ける学科は1回の入学に1つの筈である。

試験日が異なれば、いくつもの学科を受験できると言う訳か。
よく分からない心理だけれど「早稲田大学、慶応大学(他の大学でもよいけど)に入りたい」と、その名前の大学に入る事を至上命題として受験に望む受験生諸氏には、重要な事だろう。
学ぶ事も決めずに、名前だけで大学を選ぶなよ、というお叱りはどこからか聞こえてきそうだが、私は逆にそのお叱りに素直に賛同しかねる。

高校卒業生程度、二十年弱の人生から選ばれるであろう、大学受験時の学科の選択肢、というのは、大部分をそれまでの人生経験から影響を受ける。
だから自分の想像の範囲でしか、選択できない。

もし、自分がそのキャンパス内を闊歩したいと欲する大学に、学部が16でも30でもあって、「取り合えず試験日かぶってなくて、受験できるんだから、何を勉強すんのかよくわかんねーけど、受けとこ」と受験し、そのよくわかんねーけど、受かっちまった学部でカリカリカリカリ勉強してたら、なんだかすげー面白くなってきちゃった、というブレークスルーが待ち構えているのかもしれないのである。

楽しくなる前に、「やっぱりつまんねーわ、これ」と脱落する可能性はあるけれど、取り敢えず3ヶ月頑張ってみて、3ヶ月頑張れたら半年、それが出来たら、、、といつの間にか4年なり6年なり終われば儲け物である。

自分がこれまでの人生では考えもつかなかった「美味しい経験」というのは、自分が思いがけず選んじゃった道、や、社会人になってからでも、上司に頼まれた一見「何で俺がやんなきゃなんねーんだよ」というような面倒くさい仕事なんかに転がってるんじゃないかと思う。

ういうのは、物事を短期的な損得勘定(このチョイスは儲かるか儲からないか、辛いか辛くないか)でしか考えられない人には決して味わう事ができない人生の喜びであるということを、忘れそうになったときに思い出せる様、ここに書いておこうと思う。