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2011年6月3日金曜日

(雑) 2ヶ月たちて

そういえばデスフルランが発売された…が実際に使う日は来るのだろうか。
これまたそういえば、なのだが、アセトアミノフェンが1000mg/回、4000mg/dayまで使用可能になっていた。
http://www.e-paincontrol.com/main/3_flashnavi/pdf/calonal_wholesale.pdf

これまでは上限量が少なかったため、鎮痛量として不十分だった人たちには適切な量を投与できることになったのでよいような気がするが、過量投与による急性肝傷害が起こる心配もある。

***
大学院に入学して2ヶ月経った。
主体性のないままに小中高大学と卒業し、医師になった私。

これまでの計18年間の学校生活においては「これを解いてみましょう」と「答えのある、与えられた問題を解くこと」に重点が置かれ、「何が問題なのか」について、殆ど注意が払われなかった。
注意が払われなかった、というのは勿論私個人において、である。これまでの学校生活において、(少なくとも高校生くらいまでは)教科書に記載されていることを信じて疑わなかったのは、疑うに足るだけの知識や思考力が欠落していたためである。第2次世界大戦や領土問題についての記述が出版社によって違うのは卑近でわかりやすい例えだが、科学分野においても、そこに書かれたものが「誰かが主張した、多くの人に受け入れやすかった物語」である以上、未来において覆される可能性が常に秘められている。

私の人生において、今はじめて、「何が解決されていない問題なのか」を、他人事ではなく自分の問題として、考えるにいたった。

人生という自由度の極めて高いロールプレイングゲーム(RPG)の中で船(本当に移動範囲が広がる飛空艇ではない)を手に入れた時に似ている。それまでの、「自分の足」しか移動手段がなかった状態から、行ける範囲が急に広がり、陸に上がれるところなら何処にでも上陸できる。だが、下手に上陸すると、自分のレベルに対してあり得ないくらい強い殺傷力があるモンスターに遭遇して、一撃で息絶える。そこかしこに「こっちに行ったらいいよ」と言ってくれる助言者がいたり、進む方向を示唆してくれる情報の書かれた紙が転がっていたり、目的を達成するための道具が落っこちていたり。

実際には、RPGの主人公と違って、死ぬことは極めて稀なのだろう。だが、「研究のテーマを自分で考えて好きなふうにやっていい、失敗してもいい」と言われてその通りに行動するのは、これまで「一般的に認められている標準的な方法で、患者さんに害のないような方法で麻酔をやれ」と、遺伝子導入されて子孫に伝わってしまうのではないかという位に刷り込まれた私には、やや困難なことである。

あぁ、いつの間にかこのように自分の思考も硬く縛られていたんだなと、新鮮な驚きでもって自分を見つめ直せたのは嬉しい発見ではあったのだけれど。

私のような人間を食べる捕食者がいないという世界において、私は「食べられないように逃げること」以外に思考を向けて生きていられるので、それはとても幸運なことである。

というような取り止めのない妄言の羅列が私の脳から吐き出されるような状態が、今の私の状態。