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2011年5月25日水曜日

(本) 今こそアーレントを読み直す ― 仲正昌樹

そもそもアーレントという哲学者の名前を知ったのは、佐藤優氏の著作からだったと思う。霧深い摩耶山の夜をともにした一冊。

一つの方向へのひねりしか教えてくれないようなのは、大して面白い思想家ではない。(p23)

と著者は述べているが、アーレントという人の思考はひねくれていて、そのひねくれ方が面白いらしい。私はまだ、アーレントの著作を読んでいないし、読まないかもしれないし、読んでも理解できないかもしれないが、本書には震災後の混沌とした状況(を元にして投げかけるメディアの情報)と可能な限り対当に対峙するために役立つ知恵が散りばめられていた。著者が卑近な例を多用してくれたお陰で、私のような、哲学に縁のない人間でも読み通すことができた。自分の考え、というものは良くも悪くもこれまでの自分の生活史に束縛されるものだが、そういった「自分の考え」というものが、この世にいる人間の数だけあるということを想像するくらいの想像力はあってもよいだろう。そのような視点を忘れて世の中をみると、とんでもない間違いをしかねない。

・誰の世界観が一番ましで、信用できるかが問題ではない。そういう発想自体がズレている。肝心なのは、各人が自分なりの世界観を持ってしまうのは不可避であることを自覚したうえで、それが「現実」に対する唯一の説明ではないことを認めることである。(p57)
・「○○がこれ以上勢力を増すと、間違いなくいつか来た道を辿ることになる」と断定的に語る人も、危ない物語的世界観にはまっているのではないかと疑うべきだろう。(58-9)
・アイヒマン問題に限らず、一般的に言えることだが、ある重大な犯罪あるいは不祥事に関して、「あなたも同じことをやるかもしれない」と言われると、多くの人は、「そんなこと言われたら、実行した人間の責任追及をできなくなるではないか!責任を曖昧にしたいのか!」と思って、感情的に反発する。そのように反発するのは、「前代未聞の悪いこと」をする人間には何らかの人格的欠陥があり、普通とは違う異常な判断・振る舞いをすると想定しているからである。(66-7)
・「不幸な人々」に共感することを、人間としての正しいあり方として押し付ける排他的な価値観に繋がりやすい。場合によっては、苦しんでいる人たちに共感しない者たちを、最初から人非人として排除しようとする傾向を生み出す。(130)
・ある具体的な問題の当事者は、当事者としての経験ゆえに、その問題に関して一般の人より多くのことを知っている可能性が高いが、自分の置かれている状況を客観的に把握している訳ではない。(210)