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2011年5月8日日曜日

(本) 自警録 ― 新渡戸稲造

5月4日-5日を利用して、再開通したばかりの東北新幹線を利用して秋田に行く。
目が覚めたときには、予約しておいた新幹線に乗れないような時間だったので(つまり寝坊した)、秋田に着く時間が1時間半ほど遅くなった。今回の滞在時間は20時間程。

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5月6日

一人前の仕事、とは?
こんな漠然とした疑問に、答えられる筈もないので、今日は新渡戸稲造先生に御講義いただいた。
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 しかるにここに大いに考うべき一条は各自が果たして各自の容積いっぱいに水を含めるや否やの問題である。四斗樽大を備えても空なれば四升樽にも劣る。二合徳利でもいっぱいに満つれば一斗入りの空徳利に優さる。人もどれほど「王佐棟梁」(王をたすけ国政をささえる)の才であっても、これを利用もせず懶惰(らんだ)に日を送れば、小技小能なるいわゆる「斗筲(とそう)の人」(器量の小さい人)で正直に努める者に比して、一人前と称しがたく、ただ大なる「行尸走肉(こうしそうにく)」(歩くしかばね)たるに過ぎぬ。してみれば一人前の仕事とは各自がめいめい天賦の才能と力量のあらん限りを尽くすことであろう。果たしてそうとすれば一人前の仕事を計る標準は当事者めいめいに存在するもので、己れ以外に求むべきものでなかろう。すなわち己れの仕事を計るものは己れ自身である。英国の大詩人テニソン(A. Tennyson)の句に、
 Self-reverence, self-knowledge, self-control,――These three alone lead life to sovereign power.
 (自尊、自知、自治の三路は、一生を導いて王者の位に達せしむるなり)
と。太古ギリシアの神託に、
 「己れを知れ」
とありしは自己の性質能力を覚(さと)り、もって自己の使命の何たるを認識することで、世には人を知らざるを患(うれ)うる者がある。人の己れを知らざるを患うる者はさらに多いが、己れを知らざるを患うる者ははなはだ少ない。 (自警録 p.51-2)
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1ヶ月以上ぶりに脊髄くも膜下麻酔をした。緊急手術で。脊麻は全麻と違って、1回で、ぴたりと、ちょうどよく効かせないといけないから何回やっても、とても緊張する。流石に手順や針のすすむ感覚は体が覚えていた。
緊急手術を依頼してきたのは、かつて麻酔科の初期研修で回ってきていた先生。今は清潔野でメスを握っている。その頃は、彼と一緒に麻酔に入って、彼の指導をしていたわけだけど、今は同じ当直医同士。対等にディスカッションし、清潔野でメスを握って手術をする、彼の姿がとても頼もしく思え、その成長ぶりを目の当たりにして、何だか同じ仕事をやり続けるのっていいなぁ、と感じた。