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2011年1月29日土曜日

(雑) Here, I'm in Akita again

秋田にきました。
下記の研修に参加するためです。

大学病院間の相互連携による優れた専門医等の養成
「都会と地方の協調連携による高度医療人養成プログラム」3大学合同FD


「専門医」という言葉や都会に対する「地方」という単語の使用法に若干の違和感を感じてしまいます。

都会の対義語は「田舎」でしょう。
でも「田舎」という単語には、「都会」者の田舎者への軽蔑心や、「田舎」に所属する人の自虐心をくすぐる可能性があるから(つまり差別的用語だから)あえて使用しなかったのかもしれません。そういえば、メディアでも「都会と地方」という単語で財政問題を語る機会が多いような気もします。田舎というのは、所属している構成メンバーが「俺が住んでるところは田舎なのだ」、という認識があっても都会者から「秋田って田舎だよね」と言われるとちょっとむっとしてしまう、そんなセンチメンタルな場所なのです。逆にそんな文脈で語られて「むっと」してしまう場所が、田舎の田舎たらん定義なのかもしれません。

私の「日本国内における田舎の定義」はシンプル。
「コンビニに駐車場があるか否か」
その定義を当てはめると、私が住む練馬区は田舎と都会が混在した場所です。だから秋田駅前は都会なのです。

話が脇道に逸れました。

今いる所謂「都会」の大学病院から母校である「地方」の大学に研修で行くのです。
大宮駅から30分も走ると車窓から見える光景に雪の白が混ざってきます。

この秋田新幹線は秋田県民には有名なことですが、「東京から盛岡まで2時間」「盛岡から秋田まで2時間」の電車です。盛岡以降は在来線の線路を使用するため、走行速度が「新幹線のそれ」とは思えないほど著しく低下します。しかも対向電車とすれ違えないため、「待ち合わせ停車」というものがあったりします。挙句の果てに大曲~秋田間は新幹線が逆向きに走行します。(これを読んでもし興味をしめす鉄ちゃんがいたら、是非体験してみてください。東北の新幹線は赤字路線ばかりと聞きますので、JR東日本の収益健全化に貢献できると思います)。

ともかくも秋田までの4時間。平日の昼間に貴重な4時間を頂いたので、本を読みます。


シリーズ<人間論の21世紀的課題>3 医療と生命 (ナカニシヤ出版)

これは私が倫理的なことを考える真摯な態度をもつ医師、だからという理由からではなく、「小論文試験対策」からです。
その本の56ページに興味深い記述を見つけます。

・フェミニズムによれば、子どもが欲しいという欲求は社会的に構築されたものである。「子どもをもって一人前」という社会的な規範のために、不妊の女性は、身体的、精神的、金銭的に負担の大きい治療を受けるよう駆り立てられている。社会が女性を生殖へと強制し、医療がそれを手伝っているという図式をあらためて考える必要がある。

社会的に構築された欲求は、子どもを設けることだけに留まらない問題です。日々、様々なメッセージを他人や社会から受け取って生きている私たちは、「自分の欲求」と自分で認識しているものが「本当に自分の欲求なのか」をよく考える必要があると思いました。社会から繰り返し繰り返し送信されている信号が、本来は露ほどもなかった欲求を増幅させている可能性については、時々振り返っても良いと思います。
問題は「生殖補助医療問題」ではなく、問題以前の問題、「生殖補助医療必要なのか」です。私は生殖補助医療に懐疑的な姿勢をもつ人間ではありません。が、臓器移植や進行癌の治療など、麻酔科医の私の身の回りにも、このような「そもそもそれがその患者さんに必要なことなのか」という問題は割と多い。そして医療者同士のカンファランス(会議)では、それは「もうクリアされている問題」と誰もが考えてしまい、思いを馳せることすらなくなってしまう。こういうことは医療を提供することに慣れてしまった医療者が陥りやすい落とし穴なのかもしれません。

また話が逸れてしまいました。
ともかくも秋田に向かいます。白が混じっていただけの車外の景色は「白しかない景色」にいつの間にか変わっています。田沢湖駅を過ぎると雪が横向きに(地平線と同じ向きに)降っています。

研修では3大学の研修医、指導医が学んだことの成果・改善点を発表することがメイン。色々な視点から、色々なことを必死に考えて努力している先生方の話を聴くことで、人の数だけ世界があることに改めて思いを馳せることができた一日でした。

2011年1月27日木曜日

(本) レヴィナス 何のために生きるのか ― 小泉義之

外勤に行った帰りの電車で読む。

速読できる人、というのはこのような本でも速読できるのでしょうか。私にはゆっくり読んでもなお意味不明な点が多々ありました。せいぜい分かったのは以下の点くらいでした。
***
・他人に対する私の答えは、何であれすべてが、他人からの問いに対して、他人からの問いのために、発せられるから、そのかぎりでは、私の自由と責任は他人によって正当化される。他人からの問いかけと訴えに答えようとするかぎりでは、他人との関係においては、私は生きていてもよいし、生きていることが赦される。そのとき、私は、自分のためにではなく、他人のために答えようとするからである。それでも、厳しく見るなら、私は答えることをも享受するから、依然として自分のために生きている。そうではあるが、他人の抵抗に潜む「肯定的な構造」を見極めなければならない(p42)
・私たちが選択的中絶について思い悩むとき、生まれ育っていく未来の人間の苦痛を想像している。では、そのとき、私たちは何を想像していることになるのか。「人という存在のない苦痛といったもの、場をもたない苦痛といったもの」を想像しているのではない。そうではなくて、「苦痛をもつ存在」を想像しているはずだ。とすれば、そのとき、私たちは、本当のところは、「苦痛を凌駕する生」のことを想像しているはずだ。ならば、どうして、私たちは、その生存者を消去する選択を採用してしまうのか。その生存者は、たとえ私たちの想像にうちにおいてであれ、苦痛を凌駕する生存を享受しているのに。(立岩真也「私的所有論」からの引用 p54)
・<死んだら終わり><死ぬまでは頑張る>、そんな時間意識も、繁殖性を前提としている。どこかで人間が死んで、どこかで人間が生まれることを前提としている。そんな繁殖性を受肉の意味として受け止めながら生きて死んでゆくのであるとすれば、要するに、人間の根源的契約のために生きて死んでゆくのであるとすれば、この次元においては、何のために生きるのかという問いに対しては、来るべき他者のために生きて死ぬと答えることになる。(p99)
***
本書で語られていることが理解できたり反駁できるようになるのは、単に「もう少し年をとったらわかるよ」という類のものではないような気がします。それについて必死に考え、悩み、それで漸く「年をとって自分なりに分かった気がする」といえるようなところに到達できるのでは、と想像。

***
後期レジデントの先生方の麻酔力が上がってきていることが分かって嬉しいこの頃。そんな先生たちも当直の練習を始めています。私も一緒に当直する日がありますが、勘がよい先生方は私と同じ思考回路になってきているため、多くの処置を自発的にやってくれます。私は「彼らの自主性を妨げることなく、彼らが考え、行動する作業」を見守るという仕事が増えてきています。自主性を阻害することなく、かといって患者さんに害を与えないように処置を行う、というのはなかなか難しい。特に夜間の緊急手術においては。時間も患者さんの予備能も限られているからです。
自ら学びつつ(それも高学者のそれとは異なった低い次元で)、人に教えることの苦悩は、私を教えてくださった先輩医師たちにもあったに違いありません。教えてもらえるうちが花、怒られるうちが花とは言いますが、それが今、身に沁みて分かります。


知っていないと行動もできない。想像すらできないことが、行動に移されることなど、ほとんどありません。臨床麻酔を行うにあたって、学ばなければならないのはまさにその点です。ゆっくり調べれば分かることはひとまずおいといて、緊急時に冷静に体を動かさなければならない項目は、諳んじられ、かつ脊髄反射的にできるようなレベルに到達せねば。

2011年1月24日月曜日

(音) Dream Theater の Score (2006年)

オーケストラと共演したライブを収録した、プログレッシブメタルバンドの3枚組ライブアルバムです。
ずっと気になっていましたが、漸く聴きました。

中でも、2枚目のなが~い1曲「Six Degrees Of Inner Turbulence」(41分33秒)の後で演奏される「Vacant」(オリジナル版はアルバム「Train of Thought」(2003年)に収録)は、James LaBrieが情感たっぷりに歌い上げており、たった3分の曲にも拘らず深い味わい。数百回聴いている筈ですが、まだまだ味が出ます。改めて原曲のよさを確認した1曲。

これを聴いていると「Train of Thought」の「Endless Sacrifice」を聴きたくなります。

(麻) 当直とステロイドカバーの話

当直日誌というものがあります。
患者さんの名前、担当診療科、麻酔時間、麻酔担当医の名前、を担当した数だけ書くというシンプルなノートです。

私の当直は、その当直日誌の1行目に

「なし」

と書くことから始まります。過去3回ほどそれが著効したのか全く緊急手術がなかったのです。
昨日の夜もそうしたのですが、全くの裏目に出ました。逆に当直した甲斐があった、とも言えますが。深夜まで緊張を維持したまま働くことができました。

1件麻酔に入っているときに他科から緊急手術が申し込まれたときには、
「(手術を申し込んできた科の)先生たちの中で麻酔をかけられる医師はいませんか?」
と率直に聴いてみるのはいい方法です。本当の緊急手術であれば「麻酔の質が多少下がってもやらねばならない」のですから。
そのように尋ねて、「・・・麻酔科の先生にやってもらった方が安全なのでギリギリまで待ちます」という回答があれば、こちらもいよいよ本気になります。だってそう言われたら、「安全性を最大限担保しない麻酔をかけることは許されない」という雰囲気になりますから。
夜中の緊急手術の場において、昼間の待機手術と同じ精度の技術を提供できるかどうか(少なくとも自分の自覚する範囲において)は、麻酔を提供することでお金を対価としてもらえるかの1つの判断基準のように思えた一夜でした。

***
今日の抄読会は教科書「Evidence based practice of anesthesiology: Expert consult」から、
ステロイドカバーについての話。
以前他の教科書で記載されていたように
・正常では810mg/day分泌あり
・術中ステロイドカバーを考慮するのは
  ・3週間以上投与されているとき
  ・520mg/day以上投与されているとき(ACTHテストを施行して副腎の反応を見る必要がある)
20mg×3週間で副腎からのステロイド分泌は抑制される
小手術:通常通りの内服継続。カバー要らない
・中手術:ハイドロコルチゾンを術前に50mg以後8hrごと25mgずつ×3
・大手術:ハイドロコルチゾンを術前に100mg、以後8hrごと50mgずつ×3
程度でよいようです。
過去のretrospective studyでは、長期のステロイド内服者でも術後副腎不全を起こす症例は少なく、意外だという印象をもちました。

2011年1月22日土曜日

(走) Training in Rena (其の九十壱~参)

15th 3.9km 30min(8.5km/h, 傾斜6.0-9.0)
17th 5.0km 36min(8-9km/h, 傾斜6.0-9.0)
22th 5.2km 37min(8-9km/h, 傾斜0.0)
total distance: 670.1km (Nov 52.2km, Dec 42.2km, Jan 21.1km)
total time: 4184min = 69h44m

***
パスタが食べたい!と、ずっと昔に購入したパスタのレシピ本「ぼくの好きなパスタ」(著:加藤政行)を取り出します。本は買ったものの作ったためしがなかったのです。
そして「小えびと生ハムのアンチョビクリーム」なるパスタを作ろうと近所のスーパーに材料を求めに。しかし困ったことにアンチョビがどこに置いてあるか分かりません。そもそもアンチョビって何だ?とアンチョビがどのような形で売られているかわからないため、捜索が非常に難航します。
それにもまして難航したのが、「パルミジャーノ・レッジャーノ (Parmigiano Reggiano)」。何だこの呪文みたいな名前の食材は?自分が知らないのだからアルバイトの店員さんも知らない筈!と大いなる奢りから、自分で捜索しますが、全然分かりません。
結局チーズだって事は突き止めたのですが、、、そもそも取扱ってないとな。
近所にあるもう一店のスーパーにも足を運んでみましたが、やはりない。結局パルメザンチーズで代用しましたが、パスタは十分おいしくいただけました。
本によるとソースができてからパスタをゆでる方がよいとのこと。パスタは作りおきができないが、ソースは温めなおしたりできるからというのがその根拠のようです。
生クリームにも脂肪分によって30%、40%等色々なものが売られているということも初めて知りました。いつも行くスーパーでも関心がなければ何が売られていて何が売られていないのか分からないということか。

2011年1月17日月曜日

(麻) 心臓が悪い、心臓に悪い麻酔 (本) 心臓外科医の覚悟

・ACS発症後1ヶ月以内は待機手術は延期
・心不全は手術前に介入し治療
・症候性の心室性不整脈は術前介入。無症候性は放置
・AF患者は術前に心拍数調節をする。
・弁逆流疾患は無症候性なら耐術は比較的可能。
・severe ASは死亡率が格段に上昇するため、術前の介入を検討
・術前のPCI/CABGは行わない。
・PCIは周術期に抗血小板療法を中断することこそ、周術期心血管イベントの最大のリスク。
・血管手術ではβブロッカーの術前からの導入、および周術期の心拍数調節が心血管イベントの発症率を低下させる。

こういった文言を前にして、術前コンサルトを受けたときに麻酔科医が行うことは

「心エコー等で心機能を把握し、心電図で致死性不整脈やrate controlされていないAFがないことを確認、NYHA等で運動耐用能を把握。それらで死にそうなものがなければ循環器内科/心臓外科に介入を依頼することなく、そのまま、その心臓に見合った麻酔管理を行う。でも周術期に死ぬような目に遭うかもしれません、と患者さんと家族に説明し同意を得る」

ということになります。
待機手術前日に他科からコンサルトされた場合、それまで飲んでもいないβブロッカーを慌てて導入する効果はないようです。
死ぬかもしれませんが、心臓に何らかの介入をしても死亡率は下がりません。というようなことを術前で緊張されている患者さん(と家族)に説明するのは酷なような気がします。でも癌だったら手術しなければそもそも死期が早まるのかもしれない。死期が早まるかもしれない手術を受けるための麻酔で死期が早まらないように麻酔をかけるっていうのは難しい。が、そこにこそ、麻酔科医の存在価値があるのでしょう。
これまで出されている大規模無作為化試験に屈服し、妄信して、そのまま臨床に当てはめることが正しいことではないと思いますが、何か起こったときには(つまり患者さんが手術台上で死ぬような目にあったら)・・・。
evidenceと患者さんの悪い心臓との狭い隙間で格闘する麻酔科医は、患者さんの戦いを無事にサポートし得た後に、新鮮な空気を思う存分肺いっぱいに吸い込めるようにstruggleする生き物です。

***
「心臓外科医の覚悟」(著:山本晋)

私の、医師としてのアイデンティティは、どこにあるのかということを改めて考える一冊となりました。

医療従事者でない人が本書を読むと、どのような感想を抱くのかは分かりませんが、一日の大半の時間を手術室で過ごす、私のような発展途上の麻酔科医には、自分の襟を正さなくてはならないような金言が数多くありました。

・手術でもっとも大切なものは、切ったり縫ったりすることではない。医学用語で言えば、手術適応の判断、これが患者を前にした外科医にとって、もっとも大切な事項であると私は考えている。(99)
・自ら問題を解決する訓練をせず、毎回解答を人に頼っていては、トップになることはできない。(103)
・"社会的に治療する意味がない"と言われ続けてきた患者を前にして、「そんなことを決める資格はない」という結論だった。(109-110)
・困難は現れるたびに大きくなる。そのような困難に出会ったときが、困難突破力を鍛える絶好のチャンスであると思っている。(121)
・患者の生死を分ける手術に臨む外科医には、「人に見られていようがいまいが、決してうかつなことをしない」という当たり前の倫理観が絶対に必要である。(171)

著者の山本先生のレクチャーは、去年の『東京麻酔専門医会リフレッシャーコース』で拝聴する機会がありました。スピーチの仕方からは非常に真面目な先生という印象を受けましたが、この著作を読んで、その考えが確信に変わりました。
初めて行った外勤先で、もし私が麻酔を担当する患者さんの執刀医が、これほど職人気質でプロ意識の高い外科医だったら、私は麻酔をかけることすら許されないでしょう。というか手術室に入ることすら許されないでしょう。というか外勤に来るような麻酔科医の麻酔は「No, thank you」でしょう。
本書に書かれている文字の端々から、氏が通ってきた道の険しかったことがにじみ出ているように感じられますが、実際には文字にすることもできない位の困難を乗り越えて来たに違いありません。

2011年1月16日日曜日

(雑) 抄読会の英語 と (本) 先生はえらい

今更ですが。
論文の読みやすさというのは、「その分野についての予備知識がどれ位あるか」に随分依存しています。臨床麻酔に即した論文内容だと容易に訳せますが、基礎的な研究(たとえ麻酔科領域でも)実験手法とか、聞きなれない統計手技を多用していたりするともうお手上げに近い。
でもインターネットのおかげで、「分からない情報や単語」がどのようなものなのかを漠然とつかむことができるので、非常にありがたいです。大学図書館を通過しなくてもフリーで読める学術記事も多いし、Google scholarでもかなり情報収集ができます。
ただ、「収集できすぎる」のが問題です。学術記事だとしてもそれがどの程度信頼できるのか、という問題は、やはり情報収集者のリテラシーに掛かっています。
大学のレポートや小中学生が読書感想文に困ってネットにアップされている情報をコピー&ペーストすることが流行しているのは容易に想像できますが、それを繰り返せば、生きていくのに必要な「鋭利な知恵」とでも呼ぶべき人間の神経回路が徐々に萎縮していくでしょう。玉石混交の知識を取捨選択する知恵も大事ですが、「検索するのはこれくらいにして自分の頭で考えたら」という境界線をどこに引くかは非常に重要な問題です。

***
過去の記事「Brugada症候群と麻酔」に情報を追加しました。(2010年4月25日)
確か麻酔専門医試験の過去問(2009年度だったかな?)にも出題されていました。
問題集では不適切問題になっていましたが。
大学病院での診療に従事する1つのメリットは抄読会等があり、「受動的姿勢でも信頼性の高い情報が収集できること」だと思います。

***
「先生はえらい」(内田樹)を読みました。

・私たちがコミュニケーションを先へ進めることができるのは、そこに「誤解の幅」と「訂正への道」が残されているからです。(p111-2)
・コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに「理解し合いたい」という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ、先延ばしにしたい」という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。(102)
・師が師でありうるのは、師がいかなる機能を果たすものであるかを、師は知っているけれど、自分は知らないと弟子が考えているからです。(171)
・学ぶ者の定義とは、「自分が何ができないのか」、「自分は何を知らないのか」を適切に言うことができないもののことです。(169)
・人間は自分が学ぶことのできることしか学ぶことができない、学ぶことを欲望するものしか学ぶことができないという自明の事実です。(37)
・どうしてプロを目指す人は後を絶たないのか?それは完璧な技術に到達しえない仕方が一人一人違うからです。(30)


本書を読むと、学校の教育現場が崩壊しているのは、「教えてくれるべきものを教師が提供してくれない」と、学生やその親たちが「私たちが授業料を支払っているのに」と支払ったお金に対する対価が十分ないという理由で、まるで消費者感覚で怒り出す、という構図からもきているように思えます(内田氏の他の著作で触れられていましたが)。 そこでは、学ぶ者たちの学びの主体性が失われています。国語でも数学でも英語でも、全て口を開けて待っていれば提供されるべきものと思っている。自分が鼾をかいて机に突っ伏して眠っていようが、「放課後どこで遊ぼうかな」と考えながら上の空で授業を聞いていても。教壇に立っている者が誰であれ、何を得るのかは学生に掛かっているのですね。学ぶことを欲望することしか学べないけれど、自分が何を知らないのか分からない人こそが学ぶ者である・・・というのは難しいことです。何かを渇望して、もやもやとした霧の中に手を突っ込んでふらふらと彷徨い歩くような態度が、学ぶ者に必要な基本的態度なのかもしれません。

となると「この病気の麻酔では何を気をつけたらよいのだろう?」と教科書や論文を検索し情報を得るという作業はこの「学ぶ」という定義から外れるのでしょうか?だってこの作業では「自分が何を欲望しているかわかっている」のですから。
臨床の必要性に迫られて教科書や論文を読む作業は、まさに「自分の医療行為に対してお金をもらうという"仕事"の一部」と言えます。ですから、それを怠れば給料泥棒ということになる・・・のかもしれません。もしそれで患者さんの予後に悪影響を与えればなおさらそうなのでしょう。(少なくとも所謂"識者"にそう批判されることを覚悟せねばなりません)

2011年1月14日金曜日

(音) DerdianのNew Era Pt. 3:The Apocalypseを聴く


これ程のB級メロディックメタルは昔ならば専門店に行かなくては買えませんでしたが、今やiTunesでもAmazonでも買える。You tubeで聴くこともできる。本当にすごいことです。

2nd Albumの頃のDark Moor的というか、Opera Magna的というか。過剰にメロディアスなメタルをこの御時世に未だに演奏しているバンドがこの地球上にいることを思うと涙が頬を伝います。9曲目「Burn」なんてここまでダサくて熱くて高揚感のある曲、そう簡単に作れません。これ一曲でおなかいっぱいですが、他の曲の歌メロもおしなべて完成度が高い。「The Spell」とか。

新年早々いいアルバムに出会いました。私には特A級の歌メロですが、一般的には評価の土壌にすら乗らないB級作品なのでしょう。

2011年1月13日木曜日

(本) 「英文の読み方」(行方昭夫) に学ぶこと

本書は恐らく文学作品等の翻訳者を目指す学生を対象とした新書だと思います。ですが、英語で書かれた子供向けの物語を読むことにすら四苦八苦する私にとっても、非常にためになる本でした。

・I know little enough of myself: I know nothing of others. We can only guess at the thoughts and emotions of our neighbours. (p64)
・「何となく」の訳語しか使えないということは、ぼんやりとしかその文章を読めていないということ(p70)
・英語は発言の根拠を説明することにこだわる言語(p79)
・たとえ「本筋」から少しはずれても、発言の根拠を説明するのが英語のルール(p84)

本書中の「深く味わいのある翻訳のための例題」として挙げられる数行程度の英文は、単語のレベルが高い上に文法も複雑。それでも普段読んでいる英語の医学論文を~もしかしたらというか恐らく~いかに表層しかなぞっていないか、その可能性への思いを強くする1冊になりました。それと共に、今はよく解しえませんが、作者の深意をくみ取れる位に英語を読むことができるようになれば、想像力が広がり、学ぶことがさらに楽しくなることでしょう。

2011年1月10日月曜日

(走) Training in Rena (其の八十九-九十)

国会議事堂の西側に位置する日枝神社に行ってきました。官庁の建築物が並ぶ中に鎮座しており、妙な趣があります。社殿は割と高い位置にあるのですが、屋外にも関わらず設置されたエスカレータで行くことが可能です。時期がずれた為か、普段からそうなのか不明ですが、それ程の混雑に巻き込まれずに初詣をすることができました。

武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明十年(1478年)太田道灌公が江戸の地を相して築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請し、神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。(HPより)

ということで少なくとも530年以上の歴史があるようです。
スミルノフ教授公式ウェッブサイトの「実況!麻酔専門医(旧・指導医) 口頭試問&実技試験 体験記」を読んでいて焦ってきた私は、思わず合格御守を購入してしまいました。最もそれ以前に大学院入試があるわけですが。

***
風邪で頓挫していたランニングを再開しました。体が重くて仕方がない。
・3km22min(8km/h, 傾斜6.0-9.0)+筋トレ+クロストレーナー
・4km30min(8km/h, 傾斜6.0-9.0)+筋トレ
total distance: 656.0km (Nov 52.2km, Dec 42.2km, Jan 7.0km)
total time: 4081min = 68h01m



皇居周囲ではランナーの影響で歩行者に怪我人が出たりマナーが低下しているようですが、人混みを嫌う私には、何故あの場所に人が集まるのかよく理解できません。

2011年1月8日土曜日

(麻) 動脈内に薬が注入されたら

今日は御茶ノ水に泊まりに来ています。というか当直です。


ういったものは、もうほとんど完成だ、と認識してからが長いのだ、ということが身に染みてわかった。(喜嶋先生の静かな世界-森博嗣 p246)

が、我が身にもしみるように、書きかけの論文の参考文献リストを整理したり、「てにをは」を直したり、フォントを直したり、まるで職人が目の細かい鑢(やすり)で木の表面をなめらかに仕上げるかのような作業を繰り返します。まるっきり孤独な時間ですが、だんだんと聴いている音楽の音が気にならなくなってくるような(もしくはMariah CareyのOne Sweet DayとCryptopsyのSlit your Gutsが同じ曲に聴こえてしまうような)集中ができれば至福の時間に変化します。

***
麻酔中には、およそ想像しうること全てが起こり得ます。勿論想像し得ないことも起こるわけですが。
動脈内に薬剤を投与するって事はまだ私はやったことがありませんが、「稀ではない」(麻酔科エラーブックp102)という以上、わりとよく起こることなのでしょうね。ともあれ明日は我が身ですので、対処法は把握しておく必要があります。

***
Triemanの組織虚血スコア(動脈内注入48時間以内)
・チアノーゼ
・四肢冷感
・毛細管血流回復の遅延
・感覚障害
以上の症状がなければ0点、あればそれぞれ1点。
・合計点2点以下では92%の患者が、元の状態に戻る
・合計点3点以上では42%しか動注された四肢が正常に戻らない。

治療ステップ
1.動脈カテーテルはそのまま留置
 ・シリンジで血液を引いたり、残存薬物を除去したりできる。
 ・ヘパリン生食をゆっくり注入し、カテ内腔の閉塞を予防する
2.組織傷害の可能性を評価する(上記スコアリング参照)
3.抗凝固療法を開始する
 ・ヘパリン投与。ただし一致した見解はない。60U/kgに続きAPTTを1.5倍~2.3倍程度にするとよい。ただし術後ならば出血のリスクを考慮して行う。
4.症状緩和
 ・鎮痛薬投与、障害部位の挙上、マッサージ、受動的運動療法など
5.特異的治療
 ・上記1-4の後。症例に応じて。
 ・局所麻酔薬注入(動脈内にリドカイン注入)、SGB
 ・動脈性血管拡張薬(ニカルジピンなど)、トロンボキサン合成阻害薬、
 ・動脈内パパベリン注入
 ・高圧酸素療法
 ・コルチコステロイド  など

(参考文献:麻酔科エラーブック p.102-107)

***
予防策は・・・落ち着いて薬剤投与する。投与しようとしているラインが静脈路であることをきちんと確認する。ラベルを貼っておく。etc、etc、etc・・・。などが考えられますが、一番の予防法は「不必要な動脈圧ラインは挿入しないこと」でしょう。なんとなく不安だから入れておこうか・・・なんていう理由で入れるのはダメです。

・・・でも、直感が往々にして当たるのが臨床なので(例:5000mlも出血すると思わなかったよ。でも、なんとなく不安だったからA-lineを入れておいたんだ)、ダメとも言い切れないのです。まぁどんな時でも平常心が大事ってことですね。患者さんと外科医のカテコールアミンが上昇しているときほど、麻酔科医(と外回りの看護師さん)は冷静でなくてはなりません。

2011年1月5日水曜日

(雑) 英語とJB-POTと

仕事初め、がいつの間にか終わっていました。

今日嬉しい知らせを聴きました。
何と当医局でJB-POTTERが2人新しく誕生したのです!素晴らしい!流石!!あの忙しい臨床麻酔の日々でよくぞ合格しました。本当に凄いことです。
一説によると麻酔専門医試験よりJB-POTの方が難しいらしい。今回JB-POTTERになった2人は専門医にも楽々合格ですね。

ということで、今回の当医局のJB-POTの合格率は100%でした。JB-POTに受かりたいという奇特な方は是非当科での研修をお勧めします。(ってことにはならないか?)

***
「英文の読み方」(著:行方昭夫)を読んでいます。本の序盤で紹介されている数行の文学作品の抜粋ですら、???となり、自分のあまりの読解力の無さに愕然とします。単語力が圧倒的に足りないのも、理解を妨げる原因なのでしょう。ですが私の場合、一単語一単語の訳が大雑把なために、文章としては「ピンぼけ訳」(同p.69)になってしまっているようです。面倒でも一語一語の訳を吟味しながら精読をするように心がけていくのが上達の近道であるようです。

2011年1月2日日曜日

(映) インセプション Inception (2010) ☆☆☆☆☆

いやぁ参った。

解熱したのが嬉しくて、未完成のまま年越しした論文の手直しをカリカリカリカリ。あーでもない、こーでもない。ある程度決着がついたので、軽い気持ちで見てみました。
Christopher Nolan監督ってどこかで聞いた名前だと思ったら「メメント」も「インソムニア」も「バッドマン ビギンズ」も「ダークナイト」も彼が監督していたのですね。

私がここで今更紹介するまでもないですが、もし私が誰かに

「これから2時間半、暇でさぁ、そこそこ頭は使うけど、受身でもよい娯楽、何かないかなぁ?」

と聞かれたら迷わず本作を薦めます。
何の予備知識もなく本作を楽しむのならば、是非、素面(しらふ)で見ましょう。酔っ払っていると恐らく話についていけません。(あくまで私が酔っ払っていたら、の場合ですが)

よほどいい音楽が流れていない限り、お家でDVDをみる場合にはエンディングのスタッフロールは途中で止めてしまいます。本作でそれをしなかったのは、劇中の音楽がとても気になっていたからです。女性ボーカルで演歌か?(渡辺謙も出てるし、日本も出てくるし)と思ったのですが・・・正体はEdith Piafでした。「Hymne À L'Amour」くらいしか彼女の曲とタイトルが一致するものは知りませんでしたが、この「Non, je ne regrette nein」も覚えるリストに入りそうです。正月からエディット・ピアフに出会えるとは、インセプションの思わぬ福音でした。

2011年1月1日土曜日

(映) 4本

文字を読むと眩暈、頭痛がするので何もできません。
といいつつ、溜めていた映画をここぞとばかりに消化します。

・イエスマン “YES”は人生のパスワード Yes Man (2008) ☆☆☆☆
コメディ映画という枠に当てはめるのが勿体無い位深い映画でした。Jim Carreyは年を重ねるごとに深みのある演技をしています。映画イントロに流れるJouneyの「Separate Ways」の使い方は本当に見事。

・ショーシャンクの空に The Shawshank Redemption (1994) ☆☆☆☆
今見ると「19年間も希望を持ち続けて一事に集中する」ことがどれ程困難なことか。

・ハートロッカー The Hurt Locker (2008) ☆☆
イラクで不発弾を処理する男たちの話です。私には現実感がなさ過ぎて、この作品の正しい評価ができませんが、戦場を淡々と描写するような撮り方にリアリティがあるのだと想像します。

・サバイバル・オブ・ザ・デッド Survival of the Dead (2009) ☆☆
満を持して見た George A. Romero監督の最新ゾンビ映画。もう・・・なんというか・・・。ショッピングモールで戦うピーターが妙に恋しくなりました。

(雑) 1発目

新年早々、プチ贅沢をしてしまいました。
保湿ティシュ(140組) ¥105/1箱 です。
12月30日の仕事納め中から咽頭痛、嗄声、全身倦怠感、頭痛と来て、大晦日の晩からは年越し鼻汁です。
あまりに鼻をかみすぎて皮が剥けてきたので購入に至りました。

年賀状が届いている。適当で他愛のない言葉の数々に安心します。
誤字を「あ、間違えた」とぐりぐり塗りつぶして書き直しているのを見ると、とても気分が安らぎます(皮肉じゃないですよ)。「リストラされて就活中です!」とか、「思うことあってカンボジアで地雷を拾っています」とか年賀状で告白されても困ります。年賀状は去年と一緒の「Do処方」が一番です。
年賀状だけのお付き合いという方もいますが、そのような先方から元旦に年賀状が来たりすると、あちら様も「Do処方」なんだなと思って妙に嬉しかったりします。

1/1のiTunes Store のシングル曲ランキングを見ると、紅白歌合戦の曲目が並んでいて面白い。iTunes Storeのユーザーと紅白歌合戦の視聴者がどれくらい重なっているかは分かりませんが、テレビの影響ってまだまだ大きいのですね。
私はといえばランキング1位の「トイレの神様」の文字を見て、すわ、とばかりに鼻水をすすりながらトイレをピッカピッカに磨きました。それで天罰が下ったのか不明ですが、夕方から39℃にせまる勢いで発熱してきました。

例年、新年の1曲目には何を聴こうか・・・とちょっとだけ悩みます。(大晦日にEuropeのThe Final Countdownを聴く人はもしかしたら多いのかもしれませんが)
数年来Royal Huntの「Tearing down the World」を1曲目に持ってきていたのですが、今年は
「Far beyond the Sun」(エレクトリック・ギターとオーケストラのための協奏組曲 変ホ短調 コンチェルト・ライブ・イン・ジャパン・ウィズ・新日本フィルハーモニー交響楽団 Concerto Suite for Electric Guitar and Orchestra in E Flat Minor LIVE with the New Japan Philharmonic収録。長いタイトルだなー)
の、あの頃のイングヴェイの鬼気迫るギターを聴いて、2011年を始めたいと思います。

ということで、誠にまとまりのない雑文で新年が始まるわけですが、今年も安全な手術室を目指して頑張りたいと思います。(取り敢えずは風邪を治します)