下記の研修に参加するためです。
大学病院間の相互連携による優れた専門医等の養成
「都会と地方の協調連携による高度医療人養成プログラム」3大学合同FD
「専門医”等”」という言葉や都会に対する「地方」という単語の使用法に若干の違和感を感じてしまいます。
都会の対義語は「田舎」でしょう。
でも「田舎」という単語には、「都会」者の田舎者への軽蔑心や、「田舎」に所属する人の自虐心をくすぐる可能性があるから(つまり差別的用語だから)あえて使用しなかったのかもしれません。そういえば、メディアでも「都会と地方」という単語で財政問題を語る機会が多いような気もします。田舎というのは、所属している構成メンバーが「俺が住んでるところは田舎なのだ」、という認識があっても都会者から「秋田って田舎だよね」と言われるとちょっとむっとしてしまう、そんなセンチメンタルな場所なのです。逆にそんな文脈で語られて「むっと」してしまう場所が、田舎の田舎たらん定義なのかもしれません。
私の「日本国内における田舎の定義」はシンプル。
「コンビニに駐車場があるか否か」
その定義を当てはめると、私が住む練馬区は田舎と都会が混在した場所です。だから秋田駅前は都会なのです。
話が脇道に逸れました。
今いる所謂「都会」の大学病院から母校である「地方」の大学に研修で行くのです。
大宮駅から30分も走ると車窓から見える光景に雪の白が混ざってきます。
この秋田新幹線は秋田県民には有名なことですが、「東京から盛岡まで2時間」「盛岡から秋田まで2時間」の電車です。盛岡以降は在来線の線路を使用するため、走行速度が「新幹線のそれ」とは思えないほど著しく低下します。しかも対向電車とすれ違えないため、「待ち合わせ停車」というものがあったりします。挙句の果てに大曲~秋田間は新幹線が逆向きに走行します。(これを読んでもし興味をしめす鉄ちゃんがいたら、是非体験してみてください。東北の新幹線は赤字路線ばかりと聞きますので、JR東日本の収益健全化に貢献できると思います)。
ともかくも秋田までの4時間。平日の昼間に貴重な4時間を頂いたので、本を読みます。
シリーズ<人間論の21世紀的課題>3 医療と生命 (ナカニシヤ出版)
これは私が倫理的なことを考える真摯な態度をもつ医師、だからという理由からではなく、「小論文試験対策」からです。
その本の56ページに興味深い記述を見つけます。
・フェミニズムによれば、子どもが欲しいという欲求は社会的に構築されたものである。「子どもをもって一人前」という社会的な規範のために、不妊の女性は、身体的、精神的、金銭的に負担の大きい治療を受けるよう駆り立てられている。社会が女性を生殖へと強制し、医療がそれを手伝っているという図式をあらためて考える必要がある。
社会的に構築された欲求は、子どもを設けることだけに留まらない問題です。日々、様々なメッセージを他人や社会から受け取って生きている私たちは、「自分の欲求」と自分で認識しているものが「本当に自分の欲求なのか」をよく考える必要があると思いました。社会から繰り返し繰り返し送信されている信号が、本来は露ほどもなかった欲求を増幅させている可能性については、時々振り返っても良いと思います。
問題は「生殖補助医療”の”問題」ではなく、問題以前の問題、「生殖補助医療”は”必要なのか」です。私は生殖補助医療に懐疑的な姿勢をもつ人間ではありません。が、臓器移植や進行癌の治療など、麻酔科医の私の身の回りにも、このような「そもそもそれがその患者さんに必要なことなのか」という問題は割と多い。そして医療者同士のカンファランス(会議)では、それは「もうクリアされている問題」と誰もが考えてしまい、思いを馳せることすらなくなってしまう。こういうことは医療を提供することに慣れてしまった医療者が陥りやすい落とし穴なのかもしれません。
問題は「生殖補助医療”の”問題」ではなく、問題以前の問題、「生殖補助医療”は”必要なのか」です。私は生殖補助医療に懐疑的な姿勢をもつ人間ではありません。が、臓器移植や進行癌の治療など、麻酔科医の私の身の回りにも、このような「そもそもそれがその患者さんに必要なことなのか」という問題は割と多い。そして医療者同士のカンファランス(会議)では、それは「もうクリアされている問題」と誰もが考えてしまい、思いを馳せることすらなくなってしまう。こういうことは医療を提供することに慣れてしまった医療者が陥りやすい落とし穴なのかもしれません。
また話が逸れてしまいました。
ともかくも秋田に向かいます。白が混じっていただけの車外の景色は「白しかない景色」にいつの間にか変わっています。田沢湖駅を過ぎると雪が横向きに(地平線と同じ向きに)降っています。
研修では3大学の研修医、指導医が学んだことの成果・改善点を発表することがメイン。色々な視点から、色々なことを必死に考えて努力している先生方の話を聴くことで、人の数だけ世界があることに改めて思いを馳せることができた一日でした。