・心不全は手術前に介入し治療
・症候性の心室性不整脈は術前介入。無症候性は放置
・AF患者は術前に心拍数調節をする。
・弁逆流疾患は無症候性なら耐術は比較的可能。
・severe ASは死亡率が格段に上昇するため、術前の介入を検討
・術前のPCI/CABGは行わない。
・PCIは周術期に抗血小板療法を中断することこそ、周術期心血管イベントの最大のリスク。
・血管手術ではβブロッカーの術前からの導入、および周術期の心拍数調節が心血管イベントの発症率を低下させる。
こういった文言を前にして、術前コンサルトを受けたときに麻酔科医が行うことは
「心エコー等で心機能を把握し、心電図で致死性不整脈やrate controlされていないAFがないことを確認、NYHA等で運動耐用能を把握。それらで死にそうなものがなければ循環器内科/心臓外科に介入を依頼することなく、そのまま、その心臓に見合った麻酔管理を行う。でも周術期に死ぬような目に遭うかもしれません、と患者さんと家族に説明し同意を得る」
ということになります。
待機手術前日に他科からコンサルトされた場合、それまで飲んでもいないβブロッカーを慌てて導入する効果はないようです。
死ぬかもしれませんが、心臓に何らかの介入をしても死亡率は下がりません。というようなことを術前で緊張されている患者さん(と家族)に説明するのは酷なような気がします。でも癌だったら手術しなければそもそも死期が早まるのかもしれない。死期が早まるかもしれない手術を受けるための麻酔で死期が早まらないように麻酔をかけるっていうのは難しい。が、そこにこそ、麻酔科医の存在価値があるのでしょう。
これまで出されている大規模無作為化試験に屈服し、妄信して、そのまま臨床に当てはめることが正しいことではないと思いますが、何か起こったときには(つまり患者さんが手術台上で死ぬような目にあったら)・・・。
evidenceと患者さんの悪い心臓との狭い隙間で格闘する麻酔科医は、患者さんの戦いを無事にサポートし得た後に、新鮮な空気を思う存分肺いっぱいに吸い込めるようにstruggleする生き物です。
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「心臓外科医の覚悟」(著:山本晋)
私の、医師としてのアイデンティティは、どこにあるのかということを改めて考える一冊となりました。
医療従事者でない人が本書を読むと、どのような感想を抱くのかは分かりませんが、一日の大半の時間を手術室で過ごす、私のような発展途上の麻酔科医には、自分の襟を正さなくてはならないような金言が数多くありました。
・手術でもっとも大切なものは、切ったり縫ったりすることではない。医学用語で言えば、手術適応の判断、これが患者を前にした外科医にとって、もっとも大切な事項であると私は考えている。(99)
・自ら問題を解決する訓練をせず、毎回解答を人に頼っていては、トップになることはできない。(103)
・"社会的に治療する意味がない"と言われ続けてきた患者を前にして、「そんなことを決める資格はない」という結論だった。(109-110)
・困難は現れるたびに大きくなる。そのような困難に出会ったときが、困難突破力を鍛える絶好のチャンスであると思っている。(121)
・患者の生死を分ける手術に臨む外科医には、「人に見られていようがいまいが、決してうかつなことをしない」という当たり前の倫理観が絶対に必要である。(171)
著者の山本先生のレクチャーは、去年の『東京麻酔専門医会リフレッシャーコース』で拝聴する機会がありました。スピーチの仕方からは非常に真面目な先生という印象を受けましたが、この著作を読んで、その考えが確信に変わりました。
初めて行った外勤先で、もし私が麻酔を担当する患者さんの執刀医が、これほど職人気質でプロ意識の高い外科医だったら、私は麻酔をかけることすら許されないでしょう。というか手術室に入ることすら許されないでしょう。というか外勤に来るような麻酔科医の麻酔は「No, thank you」でしょう。
本書に書かれている文字の端々から、氏が通ってきた道の険しかったことがにじみ出ているように感じられますが、実際には文字にすることもできない位の困難を乗り越えて来たに違いありません。