震災初期の報道は非被災地向けの見世物的なもの(これだけ街が洪水で流されました、死亡者は○○名です、など)が多かったが、それによる利益があるとすれば節電や援助活動に協力的な世論の形成が為されたことか。
節電はしているが、私の勤務先の大学病院は計画停電を全く意に介さず(ということもないのだろうけど)、予定手術も緊急手術も稼働率は全く変わっていない。「常に揺れているような気がする」とは多くの人が(医療関係者でさえ)口にする言葉。職場では大地震の再発時にいかに患者さんを、自分を守るかに頭を使い、家との往復においてはどの路線を使えばよいのかに頭を使い、(そして電車に乗れそうもなければタクシーや自分の足を使って帰らなくてはならない。西武池袋線は未だに平常時の40%しか稼動していないので、朝6時半過ぎに家を出ようものなら乗車率300%の地獄が待っている)、仕事帰りに道を歩けば、19,20時には多くの店がシャッターを下ろし、社会主義国家かと見間違うほどの経済活動の停滞ぶりに心を痛め(かといって宴会をしていようものなら、被災者の気持ちも汲まないで、という無言の圧力がなんとなく存在するようで息苦しい)、スーパーに入っては「カップラーメンはお一人様4個まで」と書かれた文字に幻滅し、翻って仕事においては、どんな重症患者でも常にベストパフォーマンスであることを当然のように求められるのである。
今日は医療安全委員会に出席。この1年半で4回目。
批判されるのも仕事のうち。
そう思えば何の苦もない。
重圧を受けて強くなる。
そのような重圧の中で仕事ができることは感謝したい。