38,5億円の興行収入をあげた大ヒット作なので今更説明は不要か。
遅まきながらDVDで観る。
原作は未読のため、比較は不可能だが、映画は最初から最後まで一気に見せる面白い作品だった。
大義はどうであれ、結局のところ、皆が他人からの承認を得るために殺人、復讐、いじめを繰り返している。この映画の登場人物の様々な感情の流れをみていると、その「承認欲求」が何よりも強い。嫌悪、嫉妬、殺意はそれら自体強い感情だが、他人から認められることに比べたら大したことはないのである。人間が、孤独をどれだけ忌むものとして扱っているかわかる。
学校の教室がいかに密室空間で、外からの介入を拒む性質のものであるかをリアルに思い出すことができた。その場を支配するのは正義とか道徳とかではなく、「いかに仲間外れにならないか。または、いじめられっこにならないか」というご都合主義である。そのためには、凡庸な生徒であれば、たとえ間違ったことだと初めは思っていても、被害者にならないために、加害者に与する方を選択する。
当然である。
いじめられて意に介さないのは、そのような加害者同士の脆弱な人間関係(いじめる対象が共通である、というだけのつながり)とは、次元の異なった場所での価値観にしか重きを置かないような、第三者から観察すればタフなキャラクターの人間のみである。たいていの人間は「友達は少なくたっていいじゃん」とか「いなくたっていいじゃん」と息巻いても、全く社会と隔絶することには恐らく耐えられないのである。その耐えられない孤独を避けるためのルールが、この教室においては、「殺人者を苛め抜くこと」なのである。それは私の生活から考えれば異常な状態であるが、だからといってそれを手放しにイカれている、と断罪することもできない気がするのである。まして自分がこの教室の生徒の一人であれば、である。自分が構成員の一人であれば、その生存・安全を保ちつついじめをなくすなど極めて困難である。