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2010年8月9日月曜日

右の翼を失ったマゾヒスト

村山談話(1995年)に盛り込まれた「痛切な反省」や「心からのおわび」を踏まえた100年越しの反省を表明するのは結構だが、彼らは根拠とする村山談話自体が正しい歴史認識にたって為されたものなのかを検討したのだろうか?「正しい歴史認識」、という言葉自体が大いに主観的であることはここでは敢えて触れない。人間の数だけ、国家の数だけ「正しい歴史認識」があることは私でも想像がつく。
問題は何に対して反省やお詫びをしたいのか不明なこと。3世代前の祖先の代わりに懺悔し続けることにどれほどの価値があるのだろうか。先祖の魂に泥を塗って何をしたいのだろう。現代日本の自虐的な政治倫理(?)に則った100年越しの反省にどれほどの価値があるのか。近々発表される談話が楽しみである。

対照的だったのはクローリー米国務次官補が広島平和記念式典に関連して出したコメント。
「広島では謝罪することは何もない」


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