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2011年10月10日月曜日

(雑) 今そこにある壁

目の前に、自力では容易に登れそうにない壁があるとき、その壁に対してとれる行動は沢山あります。
何とかえっちらおっちら頑張って頑張って壁を登るのか、叩き壊す手段を考えるのか、そこまで頑張らずとも時間をかけてちょっとずつ削って壁が倒壊するのを待つのか。引き返すのか、大きな回り道をして壁の向こう側に行くのか、その場に居続けて誰かが壁を壊してくれるのを待つか、そこまで依存せずに誰かと手を取り合って一緒に壊すか。それとも壁があることに気付かないふりをするか。壁のこちら側で生活するのを是とするか。もっと登りやすそうな壁を探すか。

そもそも、壁の向こう側に行きたいと思わなければ、目の前の壁を疎ましく思うこともありません。壁の向こう側に行きたい=欲がある状態といえます。

だからこそ悩みます。しかし、壁が「かつて何処かで見たことのあるような壁」だったら、それを登った時の記憶を手繰り寄せればよいでしょう。ですが、これまで乗り越えたことのない、見たこともないような壁であれば、最適な壁の乗り越え方、なんて分かる筈もありません。最適な方法どころか本当に登ったほうがいいのかどうかもわかりません。「登り方マニュアル」をどこかで探しだしたとしても、そこには著者の想像力に基づいた、最大公約数のことしか書かれていないでしょう。人生は人それぞれ違うし、本を書けるほどの知の持ち主でも、想像力には限りがあります。ある人にとっては「誰かが壁を壊してくれるのを待つ」が正解かもしれないし、またある人にとっては「頑張って壁を登ってしまう」のが最適な答えになるかもしれません。

時間が無限にあったら様々な方法を「あーでもない、こーでもない」と試行錯誤するのもよいでしょう。しかし、人生は有限なので、そう悠長なことも言ってられません。

問題は、自分が登ろうとしていた壁の高さを見誤っていたかもしれない、と確信に近い絶望にぶち当たってしまった場合です。遠くからは2m位にしか見えなかった壁が、目の前に立ったらてっぺんが見えないほどの高い壁だった。そんな場合です。そんな時には、誰かの力を借りたとしても登れるでしょうか。「ロケッティア」のクリフ・シーコードやヘリコプターなどの乗り物を使えば可能かもしれませんが、人力のみでは無理でしょう。

しかし世の中の多くのことは、リスクに応じたリターンがくることになっているようにも思います。ローリスクローリターン、ハイリスクハイリターン。宝くじのようにローリスクハイリターンを望むのは、娯楽としてはよいかもしれませんが、人生の本筋でそれをやるのは、私にはちょっと難があります。
メディアや映画、小説では「彼は大変だけどやめないで頑張って頑張って死に物狂いだった。その先に今の成功があった」というのは多いですが、実際には少ない。だからこそ、誰の耳にも心地よい「感動的なよいお話」になるわけですが。あぁ、でもリターンを考えてばかりの人生も嫌だ。

一向に要領をえない文章で大変恐縮ですが、書きながら思考がまとまってくるのを我慢強く待ってみました。

易きに流れるのを嫌悪していたのは誰だったか。
自分の関心の輪に集中せよ、をスローガンにしていたのは誰だったか。
最後の血の一滴まで絞り出す事を信念にしていたのは誰だったのか。
そして今の自分がそれらから遠く遠く遠く離れている事を、誰よりも認識しているのは、他ならぬ私自身だ。

道は自ずから決まっているようです。

2011年10月9日日曜日

(走) Training in Rena (其の百二十七)

10/9 10.0km, 62min 発表原稿を見てスピーチ練習しつつ
total distance: 895.4km (July 34.0km, August 17.0km, September 45.2km, October 10.0km)
total time: 5678min = 94h38m (since 7th, Feb, 2010 走り始めて10/9で610日目)

2011年10月8日土曜日

(雑) ヒトリカイリ

専門医認定試験が終わって数日たちました。すっかり寒くなりましたが、それとともにいつの間にか夏休みも遠い過去です。主に試験勉強で終了してしまいましたが。

大学院生+アルバイト麻酔科医の生活なので、働かないと死にます。そのため、夏休みの期間も仕事はあったわけですが、そこで何故か大動脈解離→全弓部置換術(TAR)の麻酔を明け方まで担当する…という貴重な体験をさせていただきました。1人でTARの麻酔を担当したのは初めてでした(非医療者の方に誤解されるとよろしくない、と思って書きますが、麻酔管理は別段問題なく終了しました)。問題集2冊持って行ったのに…。

でも、その緊急手術のお蔭で…という文脈は緊急手術の事態になった患者さんに大変失礼な言い方かもしれませんが…人工心肺からのウィーニング、ウィーニング後の輸血ポンピング、電解質補正、TEEでの心機能チェック。それらが1人でも何とかなるものなんだ(寧ろ大学で若い先生と一緒にやっていた時よりも、更に真剣に麻酔をやっている自分を発見しました。患者さんにとって自分という麻酔科医が最初で最後の安全弁であり、そして、自分自身にとっても、何かひとつ間違いを犯したとしても誰も補ってくれないという恐怖心がありますので、真剣なのは当たり前といえば当たり前なのですが)、ということが解った一夜でした。もっとも、安全に麻酔し得た最大の要因は、私の麻酔管理の巧拙よりも、注文した血液製剤がきちんときてくれたことと、患者さんの心肺腎機能が高齢の割に丈夫だったということの2点に尽きますが。
困ったことは以下の5点でしょうか。
心外で使う薬剤(ミルリノン、カルペリチド、ニコランジルなど)の場所がよう分からん、メーカの違うTEEだとボタン操作がよう分からん、腹減ったけど外に出られない、トイレに行きたいけどいつ行ったらいいんだろ、精根尽きたため当直翌日は活動性が極めて低下。

専門医試験が終わったからといって、麻酔管理が格段に巧くなる訳ではなく、「あぁ、なんでA-line入らないんだろ」とほんのり絶望する日々が続きます。

兎も角も、「~~先生流」とか「○○先生はここが巧いから真似しよう」とか「△△先生はこうやっていたけど、あれは何でなんだろう」といった上司同期後輩先生方の様々な様々な様々な実践を模倣し文献的根拠を渉猟する。そうして繰り返し積み上げた数年のものが全部、意識的無意識的に渾然一体となって今の麻酔科医としての私を形成しているのは間違いない。一人で麻酔していると、浅薄ながらも存在する麻酔科医としての積み重ねを忘れがちになりますが、ほかの麻酔科医から見たらどうなのか、外科医から見たらどうなのか、非医療者から見たらどうなのか、非日本人から見たらどうなのか、それを折に触れて点検する必要があると思いました。

「1人でやる方が気楽でいいじゃん」と思ったことは過去に幾度もありますが、私の場合、その感情は「何かあったら誰かに援護してもらえるだろう」という甘い空想に支えられていたのだと思います。「誰か」は助けてくれるのかも知れませんが、自分でしたことは自分で責任をもつ必要があるし「~~先生はこうやっていた」というセリフは、上手くいっているときはそれで良いんでしょうが、上手くいかなかったときに、第三者からの視線や批判に耐えうるのか、それを意識しなければいけない。「誰か」は助けてくれるのかも知れませんが、「誰か」は容赦無く攻撃してくる。その可能性を忘れてはいけない。

勿論、私の想像力には限界があるので、実践の段階においては、あくまでその想像力に限定された低い次元の改善になってしまうでしょう。ですが、問題意識がなくなった瞬間に、麻酔科医としての自分の成長はなくなる、ということを覚えていようと思いました。

2011年10月6日木曜日

(音) 人類最凶鋼鉄盤、CryptopsyのNone so Vile (Canada, 1996年)

3日続けてデスメタルです。別に強化週間でも嫌がらせでもありません。

Elisabetta Sirani作「Herodias With the Head of John the Baptist」の芸術的な生首ジャケットと裏腹な、もしくはそのまんまな強烈テクニカル・デスメタルアルバムです。バンドの2ndアルバム。この作品について今更私みたいなひよっこが何を付け加えることもなく、そして、デスメタルという肩書きも不要なクリプトプシーワールド全開な一作です。

そういえば、よく、「墓場に持っていきたいアルバム」っていうのを聞きますが、私ならその何作あるか分からない作品のうちの1作に本作を挙げます。ほら、アルバムジャケットも生首だしちょうどいいんじゃないでしょうか。

そういえば、よく、「俺の葬式にはこの曲を流してくれ」っていうのも聞きますが、私なら本作の「Phobophile」を流して欲しいです。大音量で。ですが無理でしょうね。ピアノのイントロは皆さん静かに聴いてくれるでしょうけど、0:34~あたりからなんかおかしいな~と思い始めて0:49~で怒髪天でしょうね。もし参列者に高齢のお婆様がいたらVFを起こすかも知れません。自分の葬式でACLSをしてもらいたくありませんし、ましてや死んでまで人様に迷惑を掛けたくありません。やっぱなしなし。それよりも自分が70,80歳まで生きるとして、その時もPhobophileを聴いているのでしょうか。それこそ謎です。髪はとっくに抜け果ててるでしょうから、スキンヘッドでヘッドバンキングするんでしょうか。環軸椎亜脱臼で四肢麻痺になりかねませんね。

そういえば、よく、手術室で音楽が流れていますが、このアルバムを聴きながら弓部置換術とかできる外科の先生っているんでしょうか。ABBAとかCarpentersとかThe BeatlesとかMozartとかなら分かりますが、この転調に転調を繰り返す複雑怪奇ヘドロ系デスメタルを聴きながら手術できる(しかも普段の1.5倍くらいの速さと巧さで)外科医に死ぬまでに一度でいいから会ってみたいです。あぁ、でも執刀医だけ好きでもダメだろうな…執刀医&前立ち&器械出し看護師&外回り看護師が全員このアルバムを気に入る(気に入らないにしても毛嫌いしない)確率なんて限りなくゼロに近い…。そして、もしそうだったとしても、それはそれで嫌だ。「ちょっと!!今の”Graves of the Fathers”の絶叫、聞き逃したからもう1回リピートしてよ!!」みたいな会話が日常的に行われる手術室ではやはり働きたくない気がします。矢張り、これは妄想にとどめておこう。

初めから脱線してしまいましたが、美麗なピアノのイントロから一気に阿鼻叫喚な奈落の底に叩き落される#6は、このアルバムの中で一番のハイライト、かつメタル史上に燦然と輝く名曲です。

本作品では一番長い#8。その最後も聞き流しちゃまずいです。

「go ahead and run! run home and cry to mama!」

というセリフはこれまたホラー映画のゴールデンタワー、「死霊のはらわた3」から取られております。サム・ライミ監督の「死霊のはらわた」好きにはたまらないのでありました。スパイダーマンシリーズだけでサム・ライミを知ったと思ってはいけません。サム・ライミといえば「死霊のはらわた」。

話がずれましたが、私的に名盤と考える理由は、デスメタルというものに殆ど免疫のなかった大学2年生の頃に、この作品に初めて出会い、そしてそのまま一度の拒絶反応もなく、今日まで折々に愛聴しているという事実、そして聴けば聴くほどその偉大さに心から敬服するからです。そしてまた、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムのそれぞれの音がよく分離されていて(そしてどの音も馬鹿でかく五月蝿い)非常に心地よい。ごもごもめにょめにょ、と絡みつくようにくぐもったサウンドというものもこのジャンルではよく見かけますが、本作はその対極で非常に自分好みなプロダクションになっています。まぁ楽器と声が分離されていても、ヴォーカルは「ヴォエェヴォヴォ、ヴォヴォォッォォォヲ、グァー」としか聴こえませんし、歌詞は全くナンセンスです。私は初期にこそ、何度か歌詞を見て、どこを歌っているのか追って見ましたが、一度として成功しなかったので、もうとっくに諦めました。Septicfleshが排水口ヴォイスだとしたら、こちらは下水道ヴォイスです。勿論褒めてます。

1. "Crown of Horns" – 3:57 2:55-のちょいギターソロがグッド
2. "Slit Your Guts" – 4:02 一般受けが最も期待できるポップデスソング。0:53-、3:05-のギターソロがグッド
3. "Graves of the Fathers" – 4:11
4. "Dead and Dripping" – 3:53
5. "Benedictine Convulsions" – 4:00
6. "Phobophile" – 4:38
7. "Lichmistress" – 2:31
8. "Orgiastic Disembowelment" – 4:51

当然全曲素晴らしいのですが、そんな中でも特に素敵なのが上記3曲。8曲あわせても全部で32:04しかありません。ですが、音が濃密過ぎて、聴き終えた時の疲労感、徒労感は恐らくその何倍もあるでしょう。デスメタル初心者は「俺の耳って意外にスゲーじゃん」と大いなる達成感とともに涙を流すでしょう。
このアルバムの音塊を、ただの雑音ではなく極めて高次元で整合性の取れた、美しいアンサンブルだと思える日がくれば、それはデスメタルへの大いなる入り口です。歌詞が聞き取れなくても、そもそも人の発する声なのかどうかが分からなくても伝わる感動、というものがここには確かに存在します。

「あぁ、歌って別に人間の言葉で歌わなくてもよかったんだ」

私が、デスメタルを聴き続ける理由の一つは、この作品の衝撃とレベルの高さを凌駕するものに、いつの日か出会えるかも知れない、という淡い期待感からかも知れません。いつか、徳永英明の「VOCALIST」シリーズで「Phobophile」がカバーされる日が来ることを夢見て、今日は終わります。

心臓が弱い人は要注意。

2011年10月5日水曜日

(音) 無慈悲でひんやりとした魔界 - Septicflesh の The Great Mass (Greece, 2011)

2日続けてデスメタルネタですが、ちゃんと大学院には行ってます。

ギリシャアテネのシンフォニック・デスメタルバンドのスタジオ8作目。活動期間は1990-2003、一度休止して2007年から活動再開。オケパートはチェコのプラハ・フィルハーモニックオーケストラのようです。Septicfleshを聴くのはこのアルバムが初めて。「敗血症のお肉」なんて麻酔科医が一度聴いたら忘れられないバンド名です。

アルバムジャケットからして禍々しく只ならぬ雰囲気ですが、内容も全くそれに引けをとらない強力なものになっています。
Stratovariusの「Destiny」のイントロのような美ソプラノヴォイスから、冷酷無慈悲な重金属サウンドにあっさり道を譲ってしまう#1で一気にSepticfleshの世界に引き込まれます。
オーケストラと共演しているので、近年のDimmu Borgirが好きなメタルファンにも取っつき易いところだと思いますが、といってもDimmu Borgirのようなポップさや色気はなく、オケもヴォーカルもリフも、ただただ冷たい音像になっています。ですが非常に聴きやすい。ミドルテンポ~やや速い曲が多く、それでも飽きのこない、聴かせる内容になっていますので、メロディが良いためだと思います。そして何といっても何といっても排水溝に吸い込まれていきそうな歪んだヴォーカルがたまりません。
全体的な音像としては、今夏、私が大いにハマったFleshgod Apocalypseの「The Agony」をパワーはそのままに、ちょっと禍々しくしてメリハリつけて暗~くしてみました、という感じでしょうか。
宗教曲のように荘厳なコーラスが眩しいドラマティックメタル#2は一番人気がでそう。初心者に優しい(つまりブラックメタルやデスメタルに何度かチャレンジしたけどその度に挫折するような私のような人間に優しいということ)取っつき易い正統派メタル寄りなのは#3, #7あたりでしょうか。オーケストラをフィーチャするバンドの曲は長尺になりがちなのですが、このアルバムは1曲1曲がコンパクトになっていて、アルバム通しても43:35ですので、そこも高評価。また、オーケストラ自体がメインになるわけでもなく、あくまでも曲を構成する一つの部品のように作用しているので、「俺はオーケストラじゃなくてメタルが聴きてぇんだよぉ」と宣(のたま)う方々にも大いにアピールしそうです。

1. "The Vampire from Nazareth" 4:08
2. "A Great Mass of Death" 4:46
3. "Pyramid God" 5:13
4. "Five-Pointed Star" 4:33 本作の中では疾走している方ですね
5. "Oceans of Grey" 5:11 女性ソプラノと排水溝ヴォイスとオケの絡みが絶妙。今のところ一番好き
6. "The Undead Keep Dreaming" 4:29 呪われそう。
7. "Rising" 3:16  一番ふつーのメタルっぽい曲。ギターリフにしても歌にしても。ちょっと浮いてるかも
8. "Apocalypse" 3:55
9. "Mad Architect" 3:36
10. "Therianthropy" 4:28  

全編通して時々顔を出すクリーンヴォーカルがX JapanのHIDEみたい…に聞こえるのはおそらく私の耳がおかしいせいでしょう。
1曲1曲が素晴らしく、色分けする意味は乏しいです。これといってスキップしたい曲も見当たらず、アルバムとして高評価したい。もっと日本でも売れてもよさそうです。たった1000円で覗ける魔界ワールドなのに。

また過去の作品に遡って聴かなくてはならない要チェックバンドが増えたのは嬉しいことなり。

2011年10月4日火曜日

(音) ぴろぴろギターの本気デスメタル~DeicideのThe Stench of Redemption (US, 2006)

はじめに断っておきますが、私はデスメタルやブラックメタルも聴きますが、悪魔崇拝者ではありません(と言ってもどちらのジャンルにおいてもまだヒヨっ子レベルなのですが)。

キリストを冒涜する歌詞ばかりを書き続け(このアルバムだって#2なんて曲名だけでキリスト教信者に刺されかねません)、ライブ会場は爆破テロにあったりもしているフロリダのデスメタルバンド、8作目のスタジオアルバム。はっきり言って殆どの人にとってはただの五月蝿い、本当に五月蝿いだけの爆音の雑音だと思います。ですが、ここに提示されている音楽はそもそも一般人を完全に無視しているだろう音楽なので、そんなことはどうでもいいんでしょうね。

大学生の頃に中古盤で手にとった彼らの2ndアルバム「Legion」(1992年)はGlen Bentonの地底の奥底から発せられる唸声のようなヴォーカルに「なんじゃこりゃー」と仰天し、私の体は全く受け付けず、「あぁ、やっぱりデスメタルって敷居が高いんだな…出なおしてこよ」と自分の音楽への姿勢を謙虚にするに十分な1作でした(Legionは今も実家のどこかで眠っている筈です)。

そんな2ndアルバム発表から経つこと14年。私も2ndアルバムを初めて聴いてから10年。本作は私の耳がおかしくなったのか、単に年をとったからなのか、アンチクライストな思想を抜きにしても、非常に魅力的で聴きやすいアルバムになっています。勿論、デスメタル、というジャンルの中で、ですが(そういう音楽に免疫がない状態で聴くと、ショック死するかも知れません)。私が聴きやすいと感じる理由は、相変わらず地を這うようなデスヴォイス全開の、超気合の入ったデスメタルでありながら(?)、歌(唸声?)の合間に極上のギターソロがたっぷり詰まっているからです。その意味ではArch Enemyなんかのファンにもっと聴かれてもいいように感じます。

#1は2:27- の極上ギターソロで胸を鷲掴みにされた後は、#3は3:03-の猪突猛進型激烈ソロや、へッドバンキングを誘発して止まない#4のドラミング。#4の2:22-、#6の1:32-&3:15-、#7の1:30-、#8の1:40-、等々、殆どの曲において御馳走のようなギターソロが封入されており、ほんっとうに冴えまくりの弾きまくり。デヴュー当時からのツインギターのHoffman兄弟(Eric Hoffman/ Brian Hoffman)に代わって加入したRalph Santolla(2005-2007年、2010年-)の影響が非常に大きいんだと思いますが、漆黒のヴォーカル&曲調に、非常にマッチしたギタープレイになっています。

このメロディックデスメタルファンの耳にも十分通用するギターソロを取っ掛かりとして、DEICIDEワールドに慣れていき、その勢いでHoffman兄弟の頃のアルバムに徐々に遡っていって、いつかゴリゴリギターでメロディ軽視のデスメタルも全部楽しめるようになればいいなぁ、と本気で思う日々。
…誰に強制される訳でもないのに、何で聴いてんのかな。

1. "The Stench of Redemption" 4:09 
2. "Death to Jesus" 3:53
3. "Desecration" 4:31
4. "Crucified for the Innocence" 4:35
5. "Walk with the Devil in Dreams You Behold" 4:58
6. "Homage for Satan" 3:59
7. "Not of This Earth" 3:19
8. "Never to Be Seen Again" 3:24
9. "The Lord's Sedition" 5:41

どれもいいのですが、今はやっぱり#1。

2011年10月3日月曜日

第50回専門医認定試験の結果、速報

筆記 457人 83.8%
口頭 460人 79.8%
実技 436人 90.4%
(数字は公開された受験者数)
第49回に比べて、口頭試験と実技試験の合格率が低下したようです。矢張り私個人の手応え同様、口頭試験が難しかったのですね。

因みに私は旅先からダンボールに荷物を詰めて自宅に送ってしまい、受験票もその中。微妙に覚えにくい番号だったため、速報を見ても合格しているのかよくわかりません、ということに速報を見て気づきました。荷物を受け取り次第、確認しようと思います。

全国の受験生の皆様、お疲れ様でした。

補足:結局、本年新しく麻酔科専門医に認定された人の割合は66.6%だったようです(学会Newsletterによると)。(2012年1月8日追記)

2011年10月2日日曜日

(雑) 古いお寺にただひとり


試験が終わってせいせいしたので京都にやって来ました。
これは東寺の五重塔。夜明け前で真っ暗でしたが。

東寺の御影堂は、弘法大師空海の住房だったところと言われていますが、毎朝6時から生身供という法要が行われています。私も参加してみたのですが、法要の参加者たちは熱心に熱心に読経していました。
読経の最後には、弘法大師空海が持ち帰ったと言われる「仏舎利」を僧が、法会の参加者の頭にお授けくださるのですが、私は、前に進み出る事も出来ず、座した場で、頭を垂れたまま。仏舎利を授けてもらうなんて畏れ多く、堪らず外に出てしまいました。

自分にはまだ無理だ…。

頭を垂れるだけじゃないか…。なぜそんなことができないのだろう。

2011年10月1日土曜日

(本) 老人と海 ― アーネスト・ヘミングウェイ (1952年)

読んだのは、福田恆存訳、新潮文庫版です。
小学生5,6年生頃だったと思うのですが、一度この本は買いました。ですが途中で脱落。
私にはそういう類の本が少なからずあるのですが、この作品もそのうちの一冊です。

ボロ舟ででっかいマカジキと格闘し、漸く捕まえて帰港中、今度は鮫に襲われ続け…港についた頃にはマカジキの頭、尻尾、骨格しか残っていなかった、でもそのマカジキは5.5mもあるどでかいものだった…。というお話は有名な話なのかも知れませんが、今回再読するまで、漁に出てマカジキと遭遇したあたりまでの記憶しか、私にはありませんでした。

・原書で読むと、英文の中に「無」だけが”nada”というスペイン語で表現されている。その”nada”という語感、言葉の響きが、虚無感を惻々と伝えてくる。《ヘミングウェイはこんなにも虚無思想に浸る一面を持っていたのか》―私はそう感じたばかりか、”nada”という発音の響きが年中耳でこだまするほど、長いことこの言葉の虜になった。 (もう一度読みたかった本、柳田邦男、p119)

という記載に遭遇したのが、今回再読するきっかけになったのですが、

・「うまい漁師はたくさんいるよ、えらい漁師だってたくさんいるよ、でも、お爺さんだけは特別だ」 p22
・「鳥ってやつはおれたちより辛い生活をおくっている、泥棒鳥はべつだがな、それにでかくて強いやつはべつだ。けれど、なんだって、海燕みたいな、ひよわで、きゃしゃな鳥を造ったんだろう、この残酷な海にさ?なるほど海はやさしくて、とてもきれいだ。だが、残酷にだってなれる、そうだ、急にそうなるんだ。それなのに、悲しい小さな声をたてながら、水をかすめて餌をあさりまわるあの小鳥たちは、あんまりひよわに造られすぎているというもんだ」p29
・あれ一匹で、ずいぶん大勢の人間の腹を肥やせるものなあ、とかれは思う。けれど、その人間たちにあいつを食う値打ちがあるだろうか?あるものか。もちろん、そんな値打ちはありゃしない。あの堂々としたふるまい、あの威厳、あいつを食う値打ちのある人間なんて、ひとりだっているものか。そう考えてくると、おれにはなんにもわからなくなる。まあ、太陽や月や星を殺さなくてもいいというのは、なんといってもありがたいことさ。海をたよりに暮らし、おれたちのほんとの兄弟だけを殺していれば、それでもうじゅうぶんだ。p85-6
・希望を捨てるなんて、馬鹿な話だ、そう彼は考える。それどころか、罪というものだ。いや、罪なんてことを考えちゃいけない。ほかに問題が山ほどある。それに、罪なんてことは、おれにはなんにもわかっちゃいないんだ。おれにはよくわからない、罪を信じているかどうかもはっきりしないんだ。たぶん罪なんだろう、魚を殺すってことは。たとえ自分が食うためでもあり、多くの人に食わせるためにやったとしても、罪は罪なんだろうな。でも、そうなれば、なんだって罪だ。罪なんてこと、考えちゃいけない。第一、もう手遅れだし、そういうことを考えるために、お金を頂戴している人間もたくさんいることだ。罪のことは、そういう連中に考えてもらったらいい。お前は漁師に生まれついたんだ。魚が魚に生まれてついてるようにな。p120

のような言葉に出会うことができ、そして訳も読みやすく、なんでこれを20年弱昔の自分には読了できていなかったのだろう…と不思議な気分になりました。恐らく読みきったとしていても、上記のような文章をスルーするばかりで、その他のいろんな文章も身に染みる程にはならなかったでしょう。今回偶然にも読了できたのはラッキーでしたが、もしかするとまだまだこの作品から得られなかった知恵や何かがいっぱい潜んでいそうなので、時間を置いて記憶の彼方になった頃に再度読んでみようと思います。と書いたことすら忘れた頃に。

(雑) ラベルをブログ右側に設置

なぜ置いてなかったのか不思議なのですが、ラベルを置いてみました。

麻酔科専門医試験の受験者の方に見ていただく機会もそれなりにあったようですので、右側のラベルをクリックすると、専門医関連の知識が取り出せるようになっております(そういえば口頭・実技試験のラベルも先日作ってみました)。もし使用に耐えうると判断されればご自由にお使い下さい。
当然ながら当ブログで提供できる情報は非常に限られておりますので、何らかの参考になればよいな…程度ではありますが。
といっても来年、再受験するような事態になったときに自分が少しでも楽なように…という布石です。そして再受験になるようであれば、もう少し記載の内容や精度が充実する筈ですが、そうなった場合には「あのブログみると落ちるぞ」という話にもなるかも知れないので、複雑な気持ちでもあります。