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2013年3月26日火曜日

(本) さりながら − フィリップ・フォレスト(2008年、白水社、澤田直訳、原著2004年)


 すべてはいつもこんなふうにして始まる。どん底に触れ、思考や感動や感情との消耗するやりとりはもう終わりだと思い、もはや空虚に身を委ねるしかないと思ったときに、それは始まるのだ。私は自分の人生でまさにそのような地点に達していた。さらに、私が以前の本で語った諸々の理由もあった。娘の死、成功の見込みのない計画。私は経験に何がなんでも忠実であろうとしたが、もちろんそんなやりかたでまともなものなどできないことを最初から十分承知してもいた。書くことは、私にとってはいわば旅立つこと、白昼に消えてなくなることだった。私はそれに成功した。期待を遥かに越えた仕方で成功した。人生が私を待っていると想像できるような場所は、もはやどこにもなかった。p19-20

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来週から4月です。はやいものです。
この1週間ほど、矢のように時間が過ぎたような、そうでないような。時計が示す時間の流れをこれまで通りに感じるのが困難だったような。そんな1週間だった気がします。麻酔をする。実験をする。懐かしい友人に会ってご飯を一緒に食べる。そういったことを普通どおりに行えるということがとても幸せなことなんだ、ということを身体で感じる時間でした。

それでも、今失った存在によって空いた心の隙間が、時間の流れによっていずれ何ものかによって埋められるだろう。そういう予感がするのは、そう感じられるだけ自分が生きてきた証かもしれません。そういう予感を、予感として客観的に感じられるのは、幸せなことかもしれませんし、今までの生き方が間違っていなかった証左の1つであるのかもしれません。

ただ、事実を受け止め、それに纏わる物語を振り返り、それによって喚起される感情をじっくりと味わう。

そうすることが一生懸命生きているということのような気がします。色々と上手くいかないこともありますが、一方で上手くいっていることもあります。大切なことは、それら1つ1つに対して、自分がどのような物語を作りたいのか、ということでしょうか。誰かを責めても仕方ないし、そもそも責めるつもりもないのですが、運が悪いといっても仕方ないし、なんで自分ばかりなんて言っても仕方ないです。そもそも自分ばかり運が悪いわけ無いですからね。今の自分がいる環境で想像できる範囲でやれることは全てやりつくしての結果であれば、少なくとも自分に悔いは残りません。それだけでも大分幸せなことでしょう。後は、言い古されたことですが、時間の流れを待つことにします。すみません、抽象的な言い回しに終始してしまって。


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