呼ばれない当直のときほど、仕事が進む場面はありません。
***
大学生の就職難がメディアでよく取り上げられています。
何十社も就職試験を受けるなんていうことを聞くと、私がその立場だったら確かに生きているのも嫌になりそうです。
毎日受け続けても数ヶ月かかるわけですよね?しかも企業ってそれぞれ目標とか理念とか求めている人材とか違うわけでしょうし。学生さんはそれぞれに合わせて毎回試験対策して受け続けるのでしょうか?凄まじい気力が要求されます。試験を受け続ける根性を何か1つの研究テーマにだけ費やせば、偉業が達成されるに違いありません。
致命的なミスを侵さない限り、職業の安定が保障されている私のようなものの視点からは、大学生の就職難という問題について何を申し上げても「上から目線」とか言われる可能性が高いです。それこそ「格差社会の弊害を語っているのが、実は金持ちばかり」と批判される様に。
ですので、言いたいことには9割方口を噤むことにします。
就活の時間が十分取れないからと言う理由で、大好きな学問をするために英国への短期留学を辞めてしまう学生さん、というのを以前テレビで見ましたが、本当に本末転倒だと思います。
数だけで言えば大企業の倍率が非常に高いだけで、中小企業はむしろ企業が学生を集めるために必死になっている、という図式が成立しているようです。
そして、その統計から「中小企業にこそ就職のチャンスあり」といって学生さんに葉っぱかける専門家の方々はいますけど、個々の学生さんからすればやっぱり大企業に就職したい人が多い。倍率が高いけど、大企業がいい。中小企業は就職しやすいかもしれない。でも中小企業に内定して就職したとしても、何をやっている会社なのかいちいち人に聞かれるたびに「~~~という部品の国内シェアナンバーワンの企業です」という説明をするのは面倒くさいし、格好悪い。親の受けも悪い。親の受けが悪いからといって内定を辞退する学生もいるという。そんな事態を受けて、中小企業は親に対して就職説明会を開催していたりする。私には意味の分からない世界です。一般的に医者は世間知らずと言われているから、世間のそんな動向が、私には分からないのでしょうか。
そもそも大企業志向なのはなぜなのか?ということを考えてみたいのですが、安定した収入、肩書きの他に「楽しても上に上がれるような気がする」ということにあるんじゃないかと思います。それなりに先人が築いたキャリアアップのための道筋ができていて、それに乗っかって努力すれば上にいけるという甘い見通しがあるんじゃないでしょうか。上に上がるのには血が出るくらいの努力が必要でしょうが、その努力の向け方の青写真があるかないかというのは、努力が日常化している人にとっては雲泥の差です。青写真があれば、努力を苦と思わないような人には至って楽な道のりでしょうから。本当に大変なのは「どのように努力したらいいかわからない」ともがいている第一線の研究者のような人たちです。
しかし、日本の新卒採用に海外からの留学生を受ける枠はどんどん広がっているし、いまや英語ができるだけではさっぱりアドバンテージになりません。留学生は英語を生きるためのスキルとして身につけているし、彼らは「プラスアルファ」の特技を持っていることが多いですから。
将来の安定が約束されていそうだから、或いは大企業のほうがチャンスが多そうだから、という妄想で大企業を選択する人は今や少数派と思いますが(おそらく親世代が大量にリストラにあっているのを見ているでしょうし)、分相応の人生戦略を考え直したほうがいいように私も妄想します。
内定をもらえる学生はそれこそ何社からももらえると聞きます。ということは何十社も落ちるような学生さんが、就職留年なりして入社できたとしても、その何社からも内定をもらえるような企業が求める優秀な人材たちに出世の道を取られる可能性が非常に高いです。そのような環境で業績をあげないとならない過酷なストレス下で仕事をし続けることが安定した生活を指すとは私には思えません。
とりあえず、日本に生きていると、ほとんどの方々が屋根のある暖かい部屋に住むことができて、食事もきちんととることができる。就職活動のための塾やセミナーに通うためのお金を親に払ってもらうことができる。新卒じゃないと就職に不利になるからと言って就職留年のための大学の授業料費用100万円以上を肩代わりしてもらうことができる。 それって十分幸せで恵まれていることだと思います。
曽野綾子氏の「貧困の風景」を読んでからNHKの討論番組を見ていたらそんなことを不遜にも考えてしまいました。しかし、貧困は住む世界ごとに定義が変わるので、就職できずに苦しんでいる人々には非常に同情いたします。私がそのような方々にできるとしたら、彼らが急病を患い手術が必要になったときに、必要な麻酔の処置を行うことだけです。
***
そんな就職難に見舞われた大学生に使えるかどうかは分かりませんが、「街場の大学論」に興味をひくことが書いてありました。
大学院生の面接も、学生の社会的成熟度を見るという点では、就職試験と少しも変わらない。私がビジネスマンだった場合にその学生が来年四月から来る「新入社員」として使えるかどうか、それを基準に私は院生を査定している。「使える」というのは何か特殊な才能や技術を「すでに」有しているということにではない。
「まだ知らないこと」を「すぐに習得する」ことができるかどうかである。学部教育程度で身につける学術的な知識情報のほとんどは「現場」では使いものにならない。
だから学部教育が無意味だというようなことを言っているのではない。見なければいけないのは、大学でその知識情報を身につけるときにどのような「ブレークスルー」を経験したか、である。
(途中略)この知識技術を身につけておくと「金になる」とか「就職に有利」とか「偉そうにできる」というような幼児的な動機で勉強している学生は、どれほど努力しても、それこそ体が壊れるほど勉強しても、それによっていかなるブレークスルーも経験することがない。(p201-202)
就職活動が大変すぎて、大学で何を教わる暇があるのか、私にはよく分かりません。
その点、医学生は非常に恵まれています。「就職できないかも」と心配することはないでしょうし、自由時間の相当の部分を学問に割くことができるのですから。