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2012年10月11日木曜日

(本) 孤独な散歩者の夢想 - ルソー (光文社古典新訳文庫、永田千奈訳、2012年)

思わぬ掘り出し物でした。
光文社古典新訳文庫は新刊が出るたびに惰性で買っていて、積ん読本化しています。「ねじの回転」も「トム・ソーヤーの冒険」もまだ途中です。私の読書速度だと全然消化できません。

読まないかもなぁ、と思いつつ先日、夏休みのお供の1冊として本書をスーツケースに入れていたのですが、携帯が圏外になってネットも繋がらない状態、というところに滞在したため仕方なく読み進めてみたところ、あれよあれよと読んでしまいました。

本書は1782年発表。ルソー最後の著作で未完に終わっています。

・私の場合、自分自身に知りたいという思いがあるからこそ、学ぶのであり、他人に教えるためではない。他人に教える前に、まず自分のために学ぶことが必要だと常々思ってきた。私がこれまで世俗のなかで自身に課してきた学問は、たとえ私が余生を無人島で孤独に過ごすことになっても同じように学び続けることができるようなものばかりだ。何を信じるべきかが分かれば、何をすべきかもおおかた決まる。(p46)

・この世の人生は試練でしかなく、神がその試練を与えた目的さえ達成できれば、それがどんな種類の試練かは大して意味がない。つまり、試練が大きく、難しく、頻繁であるほど、それに耐えることが価値を生む。その苦難を十分に埋め合わせるだけのことが必ずあると知っていれば、どんなに厳しい苦難に襲われても、平然としていられる。それ以前から熟考を重ねてきたが、そこから得た最大の成果は、いつかこの不運を埋め合わせるだけのことがあるはずと確信できるようになったことである。(p60)

・だが、忍耐、優しさ、受容、公明正大さ、不偏の正義などは自分が生きていくうえでの財産となり、常に価値を高めていくことができ、死をもってしてもその価値が失われることがない。だからこそ、こうした徳の分野での研鑽こそ、私が今後、余生を尽くして実行したい、唯一の有益な探求なのだ。私自身が進歩を遂げ、生まれたときよりも善良になるのは無理にしても、生まれたときよりも徳の高い人間として死ぬことができたら、幸せだと思う。(p68)

内容はタイトル通りなのですが、なんとも言えない悲哀と滑稽さとルソーの人間臭さが感じられる愛着がわく作品。
もっとこの本を味わうためには私がもっとがむしゃらに生きないと。今出会えてよかった一冊。