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2012年3月7日水曜日

(本) 異邦人 - カミュ (窪田啓作訳、新潮文庫、1954年)とThe Outsider - Albert Camus (translation by Hamish Hamilton 1982)

何故か気になったのは下記。

・もはや私のものではない1つの生活、しかし、そのなかに私がいとも貧しく、けち臭い喜びを見出していた1つの生活の思い出に私は襲われた。夏のにおい、私の愛していた街、夕暮れの空、マリイの笑い声、その服。この場で私のした一切のことのくだらなさ加減が、そのとき、喉もとまでこみ上げて来て、私はたった1つ、これが早く終わり、そして独房へ帰って眠りたい、ということだけしかねがわなかった。(p.111-2)

友人に絡んできたアラビア人を銃殺。逮捕され法廷では殺害した理由を、太陽のせいだ、という。その場面が有名な作品なので、ストーリーテリングは不要でしょうか。今更ですが、私自身は人生で初読了。薄い文庫本なのに、日本語がちょっと読み難い。半世紀以上前の訳だから仕方ないのかな。そう思って英訳版を注文。だって原著のフランス語版は私には読めません。届いた英語版で、早速同じ箇所をチェックすると、

I was assailed by memories of a life which was no longer mine, but in which I'd found my simplest and most lasting pleasures: the smells of summer, the part of town that I loved, the sky on certain evenings, Marie's dresses and the way she laughed. And the utter pointlessness of what I was doing here took me by the throat and all I wanted was to get it over with and to go back to my cell and sleep.

どちらの訳者も同じように訳しているように見えます。

***
犯罪の加害者を断罪することに慣れてしまっているこの世界においては、疑問にすら思うことは少ないのかもしれませんが、本書を読むと、こちら側(逮捕されないで普通の生活を送っている状態)と、あちら側(法に触れて身体の自由を拘束される状態)の距離について考えます。私がこちら側にいるのは、たまたま人を殺さずにいるから、たまたま誰かのお金を盗まないから。たまたま放火しないから。たまたま、法に触れる様なことを特別に欲することなく、麻酔をしたり細胞を相手に実験して生きていられるから。こちら側にいるとあちら側が遠いのか近いのか。その距離はよくわかりません。わからないまま一生涯を終えるのが、所謂幸せってやつなのでしょうか。しかし、生まれてこの方、そういった、あちら側へのパスポートとなるようなことを本気で欲することなく、かつ、実行しないで来られたのは、よくよく考えるとラッキーだとしか思えません。生まれてくる環境が選べない以上、そもそも人の人間性の高さというものが、その人が自分の意志で努力できるようになるかどうかという以前の段階で決着がついてしまっている可能性も結構高いんじゃないだろうか。そう思うとどんなひどい事件を見聞きしても、自分が深く関わっていない状態でこの口から吐き出される言葉は虚ろなばかりのような気が。うーん、こんなことでもやもやするなんて思春期みたいだ。

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