このブログを検索

2013年9月22日日曜日

(旅) 秋の小トリップ・其の壱 (静岡県沼津市)

ということで続編があるかわかりませんが、小旅行シリーズ、其の壱です。
9月になってから、こちらへ行って参りました。



静岡県沼津市にある「若山牧水記念館」です。詩人、若山牧水の生誕の地は宮崎県なのですが、亡くなるまでの数年間、この沼津に終の棲家を構えたということで、この地にも記念館があります。
事前に調べたところ、沼津駅から記念館まで徒歩20分だったので、タクシーを使うまでもないし、バスはよく分からないし、レンタカーは使えないし、レンタサイクルもないし…ということで歩いて行きました。といっても駅から記念館までこれといった目印もなかったので、iPhoneの「Google Maps」を頼りに、最近聴きはじめたブラームスの交響曲第4番(カルロス・クライバー指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏のもの)をBGMにしてずんずん歩いたのでした。


記念館のような施設は大体、夕方17時ころ閉館してしまうものですが、この施設は実に、16時半に閉まってしまうのでした。この日、記念館に到着したのは閉館する20分前。少し涼しくなってきたとはいえ、重たい鞄を持ったまま20分歩き続けると汗だくです。展示物を見る前に呼吸を整えねばなりませんでした。

幸い、展示物の数がそれほど多くなかったので、閉館までの20分ほどで、ひと通り目を通すことが可能でしたが、2時間あったら2時間かけてゆっくり見ることもできただろうなぁ、と思うと、そのうちに時間を見つけて再訪しなければならないような気持ちのままに、記念館を後にしました。


記念館は「千本浜公園」という、千本松原を中心とした海浜公園に隣接した場所にあります。真っ直ぐな松を沢山見ることができます。


千本浜公園は西向きの海岸になっているので、夕日を眺めることができました。


もっと天気が良いと、夕焼け雲と富士山を同時に写真に収められるくらいになるらしいです。日が落ちるまでの1時間ほど。記念館で購入した若山牧水の詩集や、ゲーテのファウスト(新潮文庫版)を、波の音を聴きながら読み進めることができました。


千本浜公園から沼津駅への帰路の途中に乗運寺があります。この寺に若山牧水は葬られたようです。1日に1升も酒を飲んでいたら、矢張り肝硬変になりますよね…。酒は程々にするのが健康にはいいでしょうが、若山牧水が程々の酒しか飲んでいなかったら、氏の詩や随筆、紀行文が今まで残らず、私は読むことができなかったかもしれない…と思うと複雑な気分になります。

***

干支一周くらいの長い間にわたり仲良くしてくださっている友人たちとの会話で、色々なことを学びました。

僕はまだまだ僕以外の人たちに期待し過ぎていて、まだまだ他力本願のようです。

「どんなことでも体験してみないと分からない」というのが、私のポリシーの1つだったのですが、それにしても、何だかいろんなことを体験するのにちょっと疲れてきたので、鴨長明の方丈記のイントロの如く、流れに拘泥せず、ある程度なりゆきに任せてみたいような気がします。
周りの方々の親切な気持ちに感謝できるうちは甘えさせていただこうと思います。ご迷惑おかけしますがどうぞよろしくお願いします。

2013年9月16日月曜日

(映) チャンス (Being There - 1979年, US) - ゆるコメディの傑作です

最近、友人に教えてもらって見る機会に恵まれました。1979年のアメリカのコメディ映画。私が生まれる前の年に公開された映画。

本作を見終わってから知ったのですが、主演のPeter Sellers、本作が最後の撮影となり翌年54歳で心臓発作で亡くなっています。Wikipediaによれば、39歳からペースメーカをつけていたそうです。こんなに仏のような笑顔が出来る人でも、現世における長い寿命は与えられないのですね…、本当に人生は不平等です。死は人を選ばずに迎えに来るのでしょうか。

本作はワシントンD.C.が舞台ですが、劇中、わりと前半にこんなシーンが映されます。



もしかしたら麻酔科の先生の中にも、去年のASAでこの辺りを歩いた方がいらっしゃるかもしれません。左手に169mのワシントン記念塔Washington Monument、そして53歳の男の背中がスクリーン中央に。私も昨年の10月、この辺りを友人と二人で歩いたことを、本作を見て思い出しました。

もしこの風景に幾許かの郷愁を感じる方がいらっしゃれば、本作の130分、無駄にはならないと思います。ハッピーな気分になれる、おすすめの1作です。

(音) 私立恵比寿中学の「中人」(2013年) ~ 無念、ももクロのセカンド・アルバム敗れたり…

ももいろクローバーZのセカンド・アルバムについての記事を以前書きましたが、今日ご紹介するJ-POPアルバムの方が完成度が高く感じられました。アルバムタイトルは「ちゅうにん」と発音するようです。



私は「私立恵比寿中学」(エビ中、と略すらしいです)のライブに行ったことがありませんし、これまで発表された曲も知りませんでした。TSUTAYA DISCASでたまたまレンタルしたこのアルバムで、初めて彼女たちの音楽に触れることとなりました。

ももクロのセカンドとエビ中のファーストアルバムと。どっちが優れているか、という話をしてもまるで意味が無いのでしませんし、そもそもどっちも「所詮アイドルが下手くそな歌うたってるだけだろ」と唾吐く、ステレオタイプ的態度の、食わず嫌いの人が沢山いることも容易に想像できますので、まぁ私的にもどうでもよいのですが、最近いいJ-POPないかなぁ、と何かを探している人には、私は取り敢えず本作を推薦してみたいと思います。

本作の特長
・17曲も入っている
―うち3曲はinterlude、つまり曲と曲との間奏のようなお遊びです。ですのでちゃんとした曲としては14曲でしょうか。interlude3曲の中では#6は白眉の出来で、毎回聞き惚れてしまいます。

・しかもキャッチーな曲が沢山入っている
―下に赤く示しましたが、私的にはこの9曲は大して噛まなくてもいい曲だと思える分かり易い良曲でした。14曲中9曲ですので64%が良曲クラス。というアルバムには近年そうそう出会えるものではないです。

・しかもしかもメタルあり!!
―1曲聴くならどれか、と問われれば#3か#7か#8か#10あたりでしょうか…。其の中でも#7「放課後ゲタ箱ロッケンロールMX」は異色の出来。私はそれほどアイドルの歌に詳しくはないのですが、私がこれまでの人生で接してきたアイドルの曲の中ではキング・オブ・メタルな曲でした。
ピアノのイントロ、其の後に続くドラムス、ギターソロ、シンセ…コーラスの異常なまでのテンションの高さとキャッチーさ、これは本当にメロディック・スピード・メタルの世界ですよ。この曲を聴くだけでもこのアルバムを聴く価値がありそうです。
まぁ、でも歌謡曲的哀愁に溢れた#3と#10の方がアイドルっぽくて分かりやすいですが。昭和の家族への憧憬を強く思わせる名バラッド#13「いい湯かな?」やポップチューン#11、努力している人たちへの応援ソング#16はじりじりはまってきました。

彼女たちはこれからきっと、もっと人気が出るんでしょうね。歌はまだまだ上手くありませんが、それをカバーして余りあるエナジーに満ち溢れた1枚でした。お暇な方はどうぞ。私はもう30過ぎてますが#8「大人はわかってくれない」の歌詞と青春ロックのさじ加減ときたら感涙するしかありませんでした。

歌謡曲的哀愁ポップあり、テクノあり(#9はYMOのカバーです)、ロックあり、メタルありの1作です。今年一番のJ-POPかなぁ…、もしもっといい作品に出会っている方がいらっしゃったら是非教えて下さい。お願いします。


1. Chuning!! (Interlude) 00:48
2. 仮契約のシンデレラ (long ver.) 05:17
3. 梅 04:14
4. あたしきっと無限ルーパー 04:04
5. R-O-B-O-C-K 02:57
6. 高校廃止法案 (Interlude) 02:18
7. 放課後ゲタ箱ロッケンロールMX 04:31
8. 大人はわかってくれない 03:55
9. 体操 04:19
10. 禁断のカルマ 05:30
11. 誘惑したいや 05:37
12. チューニング真っ最中 (Interlude) 00:48
13. いい湯かな? 07:59
14. 手をつなごう 05:33
15. 中人DANCE MUSIC 04:56
16. 頑張ってる途中 04:52
17. あるあるフラダンス 03:06

2013年9月13日金曜日

(映) 風立ちぬ ― 夢のような1作でした

なんで映画館で観たかといいますと、周りで何回かこの映画のことが話題に上ったこと、堀辰雄の「風立ちぬ」をKindleで0円で購入して読み始めたこと、そして最終的にはこのプーチン氏が表紙のTIMEのp43-46で紹介された記事に下記の言葉を見つけたことによります。

The wind is rising! We must try to live! (同記事p44)


日本人なのに、外国人による外国人のための映画紹介の英語の記事が行動の最後の一押しになるとは。ちょっと負けた気がします。


宮崎駿氏監督の映画を映画館で観たのは「千と千尋の神隠し」(2001年)以来ですから、12年ぶりになります。というかハウルもポニョも未だに見ていませんでした。ジブリのアニメを映画館で見るという行為が何となく苦手なのです。


そういえばこの新潮文庫の「人間の土地」の表紙の絵、それと巻末p237からの「空のいけにえ」という文章を宮崎駿氏は担当しています。この本は、以前当ブログで触れたことがありました。
サン=テグジュペリの「人間の土地」は、氏の「夜間飛行」とは異なり、未だに私にとっては身近な一冊になっていないのですが、この「空のいけにえ」の文章が妙に心に残っていたことも、映画館に私の足を運ばせた一因でした。この文章です。

***
風景は、人が見れば見るほど摩耗する。今の空とちがい、彼等のみた光景はまだすり減っていない空だった。今、いくら飛行機に乗っても、彼等が感じた空を僕等は見る事ができない。広大な威厳に満ちた大空が、彼等郵便飛行士達を独特の精神の持主に鍛えあげていったのだった。
(中略)
人類がいまだに空を飛べなくて、雲の峰が子供達の憧れのままだったとしたら、世界はどうちがっていただろう。飛行機を造って手に入れたものと、なくしたものとどちらが大きいのだろうかとも考える。凶暴さは、僕等の属性のコントロール出来ない部分なのだろうか。(同p241−3)
***

この文章が、映画が始まる前から、そして劇中、劇終了後、ずっと私の脳裏にあったものですから、あぁ、これはもう宮崎駿氏が作りたかった映画で一番のものだ、と誠に勝手ながら得心した次第です。これが本当の引退作になってもおかしくないでしょう。また作ると言い出すのかもしれませんが。

この映画には夢も妄想も希望も絶望もありますが、サン=テグジュペリを敬愛する氏の想いを映画にするとしたらこれ以上のものはないでしょう、きっと。
久石譲氏の作った映画のメインテーマ、これも神懸ってますね。音楽を聴きに、もう1回観に行こうかなぁ。

2013年9月6日金曜日

(雑) とても敵わない

久しぶりに須賀敦子氏の著作を読みました。
何年か前に「ユルスナールの靴」を読んだことがありました。其の時は確か、書店で「ユルスナール」という、自分の辞書にない、未知の言葉の得体のしれない雰囲気に引き寄せられるように買い求めたのですが、実際に読んでみると、ユルスナールという単語以上に話しの中身が全く良くわからず、あぁこの本に自分はまだ呼ばれていなかったのだなぁ、と酷くがっかりしたことを覚えています。


今改めて、須賀敦子氏が書く小説ではなく、彼女の自伝的なエッセイの描写に触れると、それは実に微に入り細を穿った記載で、まるでその場に自分もいるかのような魔法をかけられてしまうことに気づきました。

上記「須賀敦子全集 第4巻」に収録されている「しげちゃんの昇天」の一部を引用させていただきますと、

***
学校の図書室は、それまで生徒は許可なしに入ってはいけないことになっていたのだが、あるときから、時間をつくって、すこしでもいいから、本をお読みなさいと言われるようになった。きれいにワックスをかけた飴色の木の床の図書室におそるおそる入っていくと、西洋の本の匂いがして身がひきしまった。ほとんどが私たちには読めない外国語の本だったが、日本語の本もないわけではなくて、私のお気に入りは、登場人物名をナントカナニ吉というような、奇妙な日本語になおした(有名な)ディケンズ全集だった。(p21)
***


また、最近、とある本から、神谷美恵子氏の伝記の存在を知り読んでいました。
マルクス・アウレリウスの「自省録」の翻訳や、ハンセン病患者の施設における自身の体験などをまとめた「生きがいについて」などで有名な方の伝記です。

医師として、母として、妻として、教師として、文筆家として、謙虚に生涯努力を続けたであろう、氏の生き様を前にすると、私は自分の至らなさに頭を垂れるしかありません。女性がまだ今ほど(今、の日本ではまだ全く不十分ですが)社会で活躍することを期待されなかった時代に、私には想像できない程様々な制限の中において、自分に与えられたギフトを最大限発揮するような生き方をしていた女性がいたのです。

私の我武者羅も謙虚さも、まだ全く児戯の如しです。そんな1週間でした。

2013年9月5日木曜日

(雑) 330min + 270min + 180min

早いもので9月ですね。もう5日になってしまいました。これは8月24日の朝撮影したものです。


人と会って人と話す。
私はこれまで、話をすることが得意か苦手か…と問われれば「まぁ喋らなくていいならそれでいいかな…」と、どちらかと言うと苦手な方だと思っていました。
ですが、この1週間ほどの間に330分(5時間半)、270分(4時間半)、それぞれ別の方と一対一でお話する機会をいただき、また別の方々と一緒に180分(3時間)、お話をしました。これは勿論仕事とか実験の時間の中の話ではなく、それ以外に、という状態でのことです。

会って何を話そうか…と思考がよくまとまらなくても、取り敢えず一緒にご飯を食べることにする。食べたり飲んだりしはじめると、よく考えないででた言葉の1つ1つが自分の手を離れていって塊をつくっていく。一粒一粒の水の流れが川を作り海を作るように、個々のピースが上手くはまっていって、気がつくと数時間経っているような状態です。
自分がそのような環境にいられると自覚できることは、大変幸せなことだと日々思うのですが、自分だけでなく、それによって相手の方が多少なりとも、一時的にでもハッピーになってくれるのを感じられると、あぁ、これは、人の中で生きている幸せのうちの1つなんだなぁ、と思います。

***
最近読んでいた岩波文庫の「ヨブ記」(関根正雄訳)は、230ページ程度の薄い本なのですが、今の自分にとって難解でした。朝の電車の中で読んでいても、ちっとも頭のなかに入ってきませんでした。 


と思って、こちらの三浦綾子氏のkindle版の本の十二章めの「苦難の書ヨブ記」を読んだところ、少し理解が進んだ気になれました。この調子で少しばかり旧約聖書についての理解が深まればいいのですが。
旧約聖書の世界を、自分の実体験として体験する日が来るのかよくわからないので、この読書は、もしかすると、ただ自分の知識欲を満足させるだけのものであるような気もいたしますが。

2013年8月27日火曜日

(麻) 麻酔科医が患者さんに行う術前の説明で何が一番大切なのか

最近、ふと、それを再考するきっかけが思いがけず私に訪れたので書いてみたいと思います。

以前、以下の記載をMT Proのサイトで読みました。

手術前に麻酔科医が患者に対して行う説明には多くの情報が含まれている。米バンダービルト大学の精神科医Elisabeth H. Sandberg氏らは,手術情報の提供の仕方で患者の記憶にどのような差が生じるのか,健康な大学生を対象とした研究を実施。その結果をAnesthesiology(2012; 117: 772-779)に報告した。参加者にビデオによる医師の一方的な説明を視聴してもらい,重要と思われた点を自由回答形式で答えてもらったところ,健康な大学生であっても,医師が提供した情報の20%程度しか再生できないとの結果も示されている。(同サイトより引用)

この記載を盲信するつもりはまるでありませんが、麻酔科医としての僕が患者さんに説明してる時に、

あまり僕の意図伝わってないかもなぁ、大変な手術なのに「大丈夫です、全てお任せします」と満面の笑みで言われてもなぁ

と思うことは時々あります。

其の度に、「いや、全てお任せします、じゃなくて本当に大変なんですよ」と追加のお話をさせていただきたくなるのですが、大変な病気を体の内側に抱えていながら、(私に気を使ってくださっているのか否かは不明ではあるけれど)笑顔でいることができるような方に、僕がこれ以上何を言うことがあるんだろう…とも思います。

手術と麻酔が、その施行者たちが想定するうちで最上の出来のものだった場合でも、手術が終わった後、または患者さんの目が覚めた後に、

「無事に終わりましたよ、よかったですね」

と言えない場合があります。勿論これは、手術が終わった直後なのでこれからどうなるかまだなんとも言えない、という話ではなく、術後回診で患者さんにお会いした時には尚更それを口にできない、という場合のことを指しています。
手術は必要だった、そしてそれは完遂された。だからといって、患者さんの不安が消えるわけではない手術のことです。

自分の身内の緊急手術の際に、ドクターから手術や麻酔の危険性を聞く機会が以前ありましたが、そのときのことをふと思い出して考えるのは、

「患者さんに安心感を与えること、否、それは烏滸(おこ)がましいので、少なくとも患者さんの心を前向きにサポートすること(言葉が無力だと感じられる場合には態度で)」

が、大切なんだと思います。
当たり前のことのような気もしますが、そういう当たり前のことを、後輩に対して、きちんと言葉にして教えている人、どれくらいいるんでしょう。沢山いればいいのですが。

後でトラブらないように、歯牙損傷も脳梗塞も心筋梗塞も悪性高熱症もアナフィラキシーショックも術後急性腎不全も失明も嗄声も末梢神経障害も言わなきゃ…と、麻酔について説明する麻酔科医側の立場としては思わないこともありませんが、そういう防戦一方的な態度って、患者さんによってはしっかりと伝わってしまいますよね。

何が大切なことなのか、それを考えることを忘れないようにしていきたいものです。

2013年8月19日月曜日

(音) (映) ブラームスとブラッド・ピットとZとMuseな夏の日

8月も半分過ぎました。空は相変わらず青いのですが、外を歩くとそこら中に蝉の死骸を見つけてしまいます。1週間前にはそんなことはなかった気がしますので、時間は同じ早さで前に進み続けているようです。


1週間が終わり、そして始まりました。今日までのこの1週間は、私個人にとって8月最大の山場でしたが、何とか乗り越えることができたような気がします。時間に換算すると、ルーチン化した技術や知識による活動が90%、新しいチャレンジによるものが10%程度の1週間でしたが、後者の10%を経験させていただけたお陰で、自分にとってどんな課題があるのか、少し見ることができました。機会を与えてくださった皆さんに感謝したいと思います。

***
映画館に行きました。数年ごとに映画に対する愛が戻ってくるようですので、その流れに任せて足を運んでみました。

映画が始まると、どこかで聴いたようなBGMが流れてきました。

イギリスの超有名なロックバンド「Muse」(ミューズ)の現時点での最新アルバムに収録されている「The 2nd Law: Isolated System」でした。

「アルバム制作中に、僕は『ワールド・ウォー Z』の本を読んでいたんだ。だから、ある意味理想的だよ。当時は映画について何も知らなかった。ただ、人から素晴らしい本だと言われて読んでいたんだ」と彼(注:マシュー・ベラミー)はMTV Newsに伝えた。(MTVJAPAN.COMより引用)

ということのようですし、それを知らずにブラッド・ピットが彼らの曲をサウンドトラックに起用したいと思ってのことのようでした。


今日見た映画のタイトルは「ワールド・ウォーZ」(World War Z, アメリカ, 2013年)です。この映画の監督はマーク・フォースターという方で、ダニエル・クレイグの「007 慰めの報酬」(2008年)やジョニー・デップの「ネバーランド」(2004年)といった作品の監督でもあります。

僕は「Z」が何を意味するのかよく分からず劇場に足を運んだのですが、Zombie、すなわちundeadのZだったのでした。究極の世界大戦、という意味で「Z」なのかと思いましたが、そうではなくて、ヒト対ゾンビ、即ち「living V.S. living dead」だったという訳です。
なるほど、ブラッド・ピットほどの男が主演する映画で、「World War Zombie」とわざわざタイトル付け直す訳にいかないですものね。そもそもこの映画の原作自体(World War Z: An Oral History of the Zombie War)というタイトルのようですし。

しかし、この映画。ゾンビ映画か、と思うと途端に見る気をなくす方も多いと思いますが、最初から最後の数分手前まで、全く息をつかせないテンションですよ。前回ご紹介した「アイアン・フィスト」とはまるで次元が違う映画です。映画自体を「単なる暇つぶしでしょ?」と言われる方にとっては全く同じ次元の映画なんですが、好きな映画嫌いな映画などをお持ちの方にとっては、違う次元の映画になると思います。

頭部を撃ったり破壊すると活動を停止する設定自体は、この何十年かのゾンビ映画の伝統に則っていますが、ゾンビに噛まれたヒトがゾンビ化するまで10数秒と極めて早いこと、そしてゾンビになった後の運動能力が極めて高い(つまり異常な速さで走る)こと、などは、これまでのゾンビ映画とやや趣を異にしていると思います。走るゾンビといえば、2005年のゾンビ映画「ドーン・オブ・ザ・デッド」や昔の「バタリアン」などが思い出されますが、それらの映画のようなコミカルさが、この映画にはまるで感じられませんでした。

それにしてもブラッド・ピットがゾンビ映画の主演、プロデュースをする日が来るなんて、想像していませんでした。確かに彼は1994年の映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」で吸血鬼になったこともありますし、翌年1995年の「12モンキーズ」ではウイルス学者の息子である精神疾患的なジェフリー・ゴインズ役を演じたこともありましたから、ゾンビと戦う日が来ても不思議ではなかったのかもしれません。

この映画はあとでもう一度見直したいと思いますが、手垢にまみれたゾンビ映画の新たな地平線の一部を作った作品かもしれない―そんな嬉しい驚きを与えてもらった一作になりました。まともなスプラッタシーンが殆ど無いにもかかわらず怖い映画でした。

***
ブラームスの音楽を聴きに行きました。


曲目は「ピアノ協奏曲第1番」です。1857年。ヨハネス・ブラームスが24−5歳の時に完成させ初演が行われた作品です。まだこの作品に触れたことがない方には、是非とも触れていただきたいのですが(と言っても私自身、この1、2ヶ月前から聴き始めたばかりです)、楽曲自体に孤高の輝きが宿っていることは勿論ですが、下の本を読むと、この曲の作られた背景に言葉を失いそうになります。


少し長いですが引用させていただきますと、


 1856年7月29日、ドイツ・ロマン派の巨匠ロバート・シューマンは、七人の幼児を最愛の妻クララに残して47歳の生涯を終わった。クララは36歳、長女マリエは14歳、末子フェリックスはわずかに2歳であった。
 31日の葬式はブラームス、ヨアヒム、ヒラーら各地から馳せ集った故人を畏敬する人々の手でしめやかに行われた。クララは「埋葬の音楽が聞こえた。彼の遺骸は埋葬される。しかし私は、はっきりとそれは彼の肉体のみで、霊魂は私とともにあるという確信があった。この時ほど、ひとりで生きうる力を与え給えと、神に熱心に祈ったことはない。私の幸福は彼とともに去った。新しい人生がすでに始まっているのだ」と当日の日記に記しているごとく、涙を拭いて、健気にも悲しみの中から雄々しく立ちあがる決心をしていた。
 ヨハネスはクララの疲労を案じて、心の沈みがちなクララを誘って、姉のエリゼとともに子どもら二人を連れて、スイスに保養の旅にのぼった。美しいスイスの自然も、クララを慰めることはなかったが、ヨハネスのさしのべる献身的な純真な愛情は、クララをいかに力づけたことであろう。10月、ヨハネスが両親のもとに発った日には、「今日ヨハネスが発った。停車場から帰宅した時は、葬式から帰ったような思いがした」とクララは記している。この10月の上旬にブラームスは有名な「ピアノ協奏曲第1番 ニ短調」(第1楽章)を完成している。

恩師の死を間近に経験し、その恩師の子どもたちの面倒や勉強の世話を献身的に行うのと同時期に、この作品―完成から150年以上たった今でも世界各地で演奏されているであろうピアノ協奏曲―が生み出されたのです。


人間の努力には限界がないんでしょうか。

2013年8月13日火曜日

(音) Fleshgod ApocalypseのLabyrinth (2013年、Italy) - 順当な出来ですね

今日の記載は、麻酔、それどころか医療にも全く関係ありません。このブログは趣味なので、どなたかに、自分が勉強したことをお伝えしようなどと思って記載したことは一度もございませんのであしからず。誤解されないように重ねてここに記載させていただきました。

***
フル・アルバムとしては3作目になりました。頑張ってますね。2年おきのリリースです。
このバンドの音楽のジャンルはテクニカル・デスメタル、シンフォニックメタルになるようです。本作は「the labyrinth of Knossos (クノッソスの迷路)」をコンセプトとしたアルバムだということです。クノッソス宮殿はクレタ島の昔のお話です。本作の歌詞は、ヴォーカルがデス声なので、余程英語が堪能な方でも耳だけでは殆ど聞き取れないでしょうしクノッソス宮殿の話を全く知らなくても関係ありません。ですが物語を知っていて、歌詞の英語を理解するとより深く楽しめるのかもしれませんね。

ということで前前作「Oracle」(2009年)、前作「The Agony」(2011年)が気に入った方であれば聴いて全く損のない作品に仕上がってます。

参考までに前作収録の「The Violation」を貼り付けておきます。メタルに耐性がない方はボリュームにご注意くださいね。この曲がただの雑音に感じられるようであれば、本作を聞く必要は全くありませんよ。時間の無駄です。

といいつつ、本作において、「The Violation」程キャッチーな曲は見当たりませんし、Carcassのカバーも収録されてません(私が聴いた輸入盤には、ですが)。At the Gatesのカバーでも収録されてると思ったんですが…。
因みに、いつの間にか次の曲のトラックに入っている構成は前作同様です。

このバンドが生み出すギターソロの中で、これまで私が感動できたものが1つもありません。本作にもありませんでした。尤も、ギターソロは期待していませんでしたので、全くがっかりしなかったのですが…

・シンフォニックな男性、女性クワイア(曲によってはサビより女性クワイアがメインなんじゃないだろうか…と疑いたくなるものもあります)
・行軍マーチの如きSE
・禍々しいオーケストレーション
・やたらどでかく録音されている存在感たっぷりのドラムス

そういったものがお好きなメタルファンであれば気に入ると思います。
前作でFleshgod Apocalypseに入った私としては、熱狂的に迎えたけどわりとすぐ飽きてしまった「The Agony」より、本作は噛みごたえがあることを期待しています。それほど即効性のある曲がすぐに見当たらないところからもそんな予感が感じられます。1枚ぶっ通しで聴くと草臥れるのは前作同様です。#11は1曲まるまるピアノですが、それがありがたく感じられます。

強いて言えば、#6の「Pathfinder」あたりが割とキャッチーかなぁ…。まぁ聴いてみてくださいね。

1. "Kingborn" 6:06
2. "Minotaur (Wrath of Poseidon)" 4:47
3. "Elegy" 4:18
4. "Towards the Sun" 5:42
5. "Warpledge" 4:32
6. "Pathfinder" 5:12
7. "The Fall of Asterion" 4:39
8. "Prologue" 1:07
9. "Epilogue" 5:44
10. "Under Black Sails" 7:26
11. "Labyrinth" 4:25
Total length: 53:58

Ne Obliviscarisも今月には初来日するし、このバンドもそろそろ来日してもいいと思うんですが、いつなんでしょう???本当はデスメタルやシンフォニックメタルのファン以外にも気に入られるような音楽性の片鱗でも見られはしないかと、本作にちょっぴり期待したのですが、まぁ次作以降に期待させていただきます。この調子で進化し続ければ6枚目くらいのフル・アルバムで一皮向ける気がします。頑張れ、Fleshgod Apocalypse。

2013年8月11日日曜日

(雑) 灼熱の熱き日は寝るに限る、高村光太郎展他


異常な暑さでしたが、外出できるくらいには体力が回復してきたので、お隣の千葉県は千葉市に行って参りました。

実験を終えた後、行きは東京駅から総武線で千葉駅まで乗り、そこからモノレールに乗り換えて葭川(よしかわ)公園駅で下車。葭川公園駅から千葉市美術館まで徒歩5分…らしいですが、35℃を恐らく超えていたためか病み上がりのせいか、途中セブン・イレブンに避難しつつ歩いて行きました。空腹のまま歩いたせいか、展示を集中して見る前にひと休みふた休み必要でした。


千葉市美術館に何をしに行ったかと申しますと、「彫刻家 高村光太郎展」をみるためでした。親切な友人に教えていただいたので、このような機会を得ることができました。本当に感謝です。千葉の後は岡山と愛知の美術館で開催されるようです。


高村光太郎については詩人というイメージしかなかったので、彼の彫刻については、つい数週間前まで何も知りませんでした。後の知識といえば奥様の高村智恵子が精神分裂病だったということ。精神分裂病は2002年(平成14年)に統合失調症へ名称が変わりましたが、智恵子氏が本当に今でいうところの統合失調症だったのか、私には分かりません。

美術品の展覧会は、まだ数えられるほどしか行ったことがありません。ですが、背景を知っているのと知っていないとで鑑賞するのは、そのどちらにも別々の楽しみがあると思います。今回は前者をトライしてみようと思って、本をいくつか読んでから展覧会に行ってみました。

ということで展覧会に行く前に読んだのは以下の3冊。

1. 高村光太郎 書の深淵、北川太一著 高村規写真、二玄社
2. 高村光太郎 美に生きる、高村光太郎作品詩文、北川太一編/高村規撮影、二玄社
3. 高村光太郎詩集、高村光太郎作、岩波文庫

高村光太郎は偉大な父、光雲の子に生まれています。光太郎氏73歳の文章にこう書き記されています。

自分にとって何よりも確かなことは、私が内面から彫刻家的素質に貫かれているということである。・・・・・・人の顔を見ても、木の枝一本を見ても、思索上の観念構成の組立を見てもそうである。 自伝(昭和30年) 上記1のp190より引用

その氏が作った「光雲の首」(明治44年、29歳)の堂々たること。木で彫った「蝉」3作品(大正13年、42歳他)の生きているか如くに精緻で繊細なこと、「柘榴」(ざくろ、大正13年、42歳)の香り立たんがごとく瑞々しいこと。

そして、智恵子氏の紙絵の1つ1つが愛にあふれていたこと。

「人の首」の中で、高村光太郎はこのように書いています。

人間の首には先天の美と、後天の美がある。この二つが分ち難くまじり合って大きな調和を成している。先天の美は言う迄もないが後天の美に私は強い牽引を感ずる。閲歴が造る人間の美である。私が老人を特別に好むのはこの故もある。写真は人間の先天の美のみを写して後天の美を能く捉えない。だから写真では赤坊だけがよく写る。後天の美を本当に認め得るのは活きた眼だけである。

氏が意図するところかどうか分かりませんが、展覧会で見た人間の彫刻の眼ひとつひとつ。
そのどれにも確かに生命が宿っていることを感じることが出来ました。彫刻を、こんなに時間をかけてありとあらゆる方向から眺めたのは、私の人生では今回が初めてでした。

一心同体と言っても過言ではない妻に先立たれ、戦争の空襲によって自分が魂を込めて作った作品の殆どが焼け、アトリエが焼け、その後疎開した岩手にいた7年間何一つ彫ることが出来ず。
それらの出来事が、新しいものを創造するアーティストにとってどれ程の苦痛なのか、私には想像すら出来ませんが、魂を込めて作った作品に触れることが出来たので、その幸せに感謝したいと思います。

帰りは千葉みなと駅から京葉線に乗って東京駅に帰って来ました。千葉みなと駅からは遠くに海が見えました。風も幾分涼しく感じられました。潮の香りはちょっと分かりませんでしたが。


昼間の熱気が全く冷めていない中、外に出ました。
東京駅の丸の内口を見上げるとこの景色に出会えました。これまでこの景色は何度か眼にしていた筈ですが、今回の景色で、また新しい発見がありました。何が新しいのかを文字にするのは今の私には難しいのですが。

***
このブログは趣味以上でも以下でもないものなので、そろそろ潮どきかな…と思っていたのですが、ありがたいことに続けてもよいという許可? を得ることができました。ですので、もう少し続けてみます。

ということでもうしばらくお付き合いください。

***
有名な曲ですが、久しぶりに聴くと矢張り名曲バラードでした。ということで今日はBon Joviの「These Days」です。昔、友人がカラオケでこの曲を歌ってくれたことを、昨日のことのように思い出します。