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2013年9月6日金曜日

(雑) とても敵わない

久しぶりに須賀敦子氏の著作を読みました。
何年か前に「ユルスナールの靴」を読んだことがありました。其の時は確か、書店で「ユルスナール」という、自分の辞書にない、未知の言葉の得体のしれない雰囲気に引き寄せられるように買い求めたのですが、実際に読んでみると、ユルスナールという単語以上に話しの中身が全く良くわからず、あぁこの本に自分はまだ呼ばれていなかったのだなぁ、と酷くがっかりしたことを覚えています。


今改めて、須賀敦子氏が書く小説ではなく、彼女の自伝的なエッセイの描写に触れると、それは実に微に入り細を穿った記載で、まるでその場に自分もいるかのような魔法をかけられてしまうことに気づきました。

上記「須賀敦子全集 第4巻」に収録されている「しげちゃんの昇天」の一部を引用させていただきますと、

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学校の図書室は、それまで生徒は許可なしに入ってはいけないことになっていたのだが、あるときから、時間をつくって、すこしでもいいから、本をお読みなさいと言われるようになった。きれいにワックスをかけた飴色の木の床の図書室におそるおそる入っていくと、西洋の本の匂いがして身がひきしまった。ほとんどが私たちには読めない外国語の本だったが、日本語の本もないわけではなくて、私のお気に入りは、登場人物名をナントカナニ吉というような、奇妙な日本語になおした(有名な)ディケンズ全集だった。(p21)
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また、最近、とある本から、神谷美恵子氏の伝記の存在を知り読んでいました。
マルクス・アウレリウスの「自省録」の翻訳や、ハンセン病患者の施設における自身の体験などをまとめた「生きがいについて」などで有名な方の伝記です。

医師として、母として、妻として、教師として、文筆家として、謙虚に生涯努力を続けたであろう、氏の生き様を前にすると、私は自分の至らなさに頭を垂れるしかありません。女性がまだ今ほど(今、の日本ではまだ全く不十分ですが)社会で活躍することを期待されなかった時代に、私には想像できない程様々な制限の中において、自分に与えられたギフトを最大限発揮するような生き方をしていた女性がいたのです。

私の我武者羅も謙虚さも、まだ全く児戯の如しです。そんな1週間でした。