このブログを検索

ラベル 本に関連する話題 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 本に関連する話題 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年7月21日金曜日

カレーは世界を元気にします(宮森裕和著)に元気をもらう

 私はゴーゴーカレーを10年以上前に1,2回しか食べた記憶しかありませんが、読んでいると食べたくなってきます。本の装丁もカレー色だし。

エラーが出たとしても責めるのではなく、また、謝って済ませるわけでもありません。仲間とともに全員野球で必ず取り返す!それが重要なのです。 p123

誠実かつ本気で課題に取り組む姿勢があるキャプテンの店は確実に伸びますが、そうではないキャプテンの店はまず伸びません。「人手不足なので、キャンプには行けません」と言って欠席するキャプテンも中にはいますが、そういうところは結果が出ていません。 p125

仕事をする上で、パッションと当事者意識が大切。目の前のことにいかに集中するか。元気をもらえる1冊でした。

2022年7月11日月曜日

真似ることの大切さ

日本ペインクリニック学会第56回学術集会に、現地参加してきました。
拙いながら演題を出せたのは職場の皆さんのおかげ。
参加させてくださった職場の皆さんに心から感謝。

幸い大会2日目の学会会長講演を拝聴できました。素晴らしい講演。
その中で、私が以前読んだ村上春樹氏の著書「走ることについて語るときに僕の語ること」を引用しておられ、もう一度、氏の著書を読みたいと思いました。感謝。


それ以外に、講演の中で私が素晴らしいと思ったことは
・繋ぐ痛み治療
・型にはめることの大切さ
・難治性疼痛患者:患者背景を知ることが最も大切
・WHOから発表された小児慢性疼痛のガイドライン2021


上記の中で「型にはめることの大切さ」といえば、最近読んだ佐渡島庸平氏の著書「観察力の鍛え方 − 一流のクリエイターは世界をどう見ているか」の中でp75にこう記されていました。

以下引用

4 徹底的に真似る 型に気づく

 繰り返しになるが、優れた仕事に必要なことは、ホームランではない。当たり前を積み重ねることだ。だから、突飛なアイディアを思いつくことよりも、基本を身につけることが、一番重要だ。

 どんなフェーズにいる人も、まずは「真似る」。

引用終わり


学会に参加して、私はまだ、オリジナリティを出す段階ではなく、真似ることで成長する段階であることを再確認しました。挑戦することを恐れずに。

2019年3月28日木曜日

下肢の末梢神経ブロックについてのレビューなど

RAPMの2月号なので、もう読んでおられる方もいるかと思いますが、今現在無料でアクセスできます。


下肢の皮膚、筋肉、骨の神経支配についてのきれいな図、ブロック施行時に局麻に添加するadjuvantのEBM、LASTへの対応など盛りだくさんの全38ページのレビューです。無料で読めるとはすごい太っ腹。来月行われるJ-RACEの対策にも使えるかもしれません。

***
第3回タイカダバーハンズオンセミナーに参加してきました。X線透視下/超音波ガイド下神経ブロックなどの手技の修行を、カダバーを利用させていただいて行える稀有なセミナーです。

https://www.jpcit.jp/event_20190307-10_3rd-cadaver.html

私はbasic courseで参加させていただきましたが、椎間板造影、神経根ブロック(腰部、胸部、頸部)、椎間関節ブロック(腰部、胸部、頸部)、大腰筋筋溝ブロック、腹腔神経叢ブロック、ガッセル神経節ブロック、脊髄刺激療法(SCS)、RACZカテーテル手技、DISC-FX手技などについて教えていただきました。

来年も開催予定で、2020年3月5-8日予定のようです。可能であれば来年も参加したいと思います。

***
あとは、第43回東北ペインクリニック学会で一般演題の発表と、北関東甲信越ペインクリニック学会第8回に参加してきました。

一般演題・教育講演その他演題すべてがなるほどなるほど、と勉強になり楽しかったのですが、なかでも東京大学の笠原諭先生のご講演「慢性疼痛に対する俯瞰的評価とペインクリニシャンによる治療介入」が大変興味深い内容でした。
講演の中では、慢性疼痛患者さんにはパーソナリティ障害がある方もおられるため、医療面接のやり方にコツがある(勿論それで全てうまくいくわけではありません、ということも記載させていただきます)、ということをおっしゃられておりました。

推薦図書の1つに以下の書籍を挙げておられましたので、読み始めました。3024円です。

医療スタッフのための 動機づけ面接法 逆引きMI学習帳. 北田 雅子 (著), 磯村 毅 (著)

***
本といえば、

わたしの信仰: キリスト者として行動する フォルカー レージング (編集), Angela Merkel (原著), Volker Resing (原著), アンゲラ メルケル (著), 松永 美穂 (翻訳)

に興味を惹かれて読み始めました。

健康な人は、自分の人生を自由に形作れるのはーわたしたちの足が導かれた広いところを踏破するのはー当たり前のことではないのだと、日々新たに自分に言い聞かせるべきです。別の状態もありえるのだということを、決して忘れるべきではありませんー人生は美しく、完璧な面だけを持っているのではないのです。そのことを常に意識に中に呼び起こすことがとても重要だと思います。なぜならそれによって人生の展望を狭めずにすむからです。 p48

長きにわたって首相をつとめている方が、どのような言葉を発してきたか。その精神が強靭でなければ(強靭という言葉では到底足りないと思いますが)到底つとまらない仕事をしながら、何を考えてきたのか。

最後まで読むのが楽しみな一冊です。

2019年2月17日日曜日

「福岡市を経営する」を読む、慢性疼痛学会に参加する、ケタミンは開胸術後慢性痛を減らさない

久しぶりに一冊全部読みました。

36歳で福岡市長になって現在三期目を務めていらっしゃる高島宗一郎氏による著作です。
36歳で市長になるってこと自体、驚愕ですが、自分で道を切り開いて目に見える成果を出しているところがまた驚愕です。

以下メモ。

なげやりと思われるかもしれませんが、これは決して「なるようになるさ」という行き当たりばったりのような意味ではありません。どうぞ私の命をこの世の中のために使ってください、という感覚なのです。私の居場所はどこでもいい。私に役割があるのであれば、運命がその役割に私を配置するでしょう。その置かれた場所で、全力を尽くすのみです。p74

だから、明日死ぬかのように今日を生きる。p75

ただ技をかければいい、ただギブアップが取れればいい、ということだけでなく、痛みや喜び、苦しみ、葛藤といった感情が伝わるレスラーこそが一流なのです。さらに「人生」まで伝えることができるレスラーは超一流です。p81

街を変えるには「よそ者、若者、バカ者」という3要素が必要と言われます。私は見事にすべてに当てはまります。p169

上の世代は、自分たちで道を切り開き、今の日本の繁栄をつくりました。心からリスペクトしています。私たちの時代も、繁栄を誰かが運んできてくれるわけではありません。自らの時代は自らで闘って勝ち取るもので、相続を期待するものではないのです。p201

チャンスはいつやってくるのかわかりません。それでも、いつそのときが来てもいいように緊張感をもって準備をしておくことが大切です。p248

***
第48回慢性疼痛学会(岐阜市)に行ってきました。久しぶりに一般演題で発表の機会をいただきました。会場の岐阜市まで、実に7時間かかりました。

行かせていただいた成果としては、2日間缶詰で以下の項目について、シンポジウムや教育講演、セミナーを受講できました。発表者の真摯な思いが伝わってくるものばかりでした。

・慢性痛はゼロを目指すべきか
・頭痛(一般演題)
・脊椎脊髄疾患術後遺残症状(痛み・しびれ)のメカニズムと対策
・パーキンソン病の姿勢・腰痛・手術
・周術期疼痛管理におけるtransitional pain serviceの役割
・痛みの構造で考えるオピオイドの選択
・臨床研究法を視野に入れたビッグデータ解析
・タペンタドール
・薬物依存
・がん患者の非癌性疼痛や慢性疼痛のオピオイド
・FBSS(failed back surgery syndrome)に対するインターベンショナル治療
・ガバペンチノイド(ミロガバリン)の可能性と課題
・腎機能障害時の薬物選択と運動器疼痛の治療効果判定
を聴講しました。

また、学会の後に行われた第4回日本ペインクリニック・インターベンショナル治療研究会にも参加し、他施設の治療経験や経皮的椎間板治療について知ることができました。

***
上記学会に行くちょっと前に読んだ論文。

Ketamine infusion for 96 hr after thoracotomy: Effects on acute and persistent pain (Eur J Pain. 2019 Feb 4. doi: 10.1002/ejp.1366. [Epub ahead of print] PMID: 30719817)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/30719817

開胸術は術後慢性痛の頻度が高いものの一つとされています。この論文では、NMDA受容体拮抗薬であるケタミンが、そのような痛みの頻度を減らすか、について検証しています。プロトコルとしてはケタミン0.1mg/kgボーラスした後に、0.1mg/kg/hを術開始10分前から96時間投与し生食持続投与群と比較した前向き二重盲検試験です。結果、ケタミン投与群は、術直後のオピオイド使用量を有意に減らしましたが、手術後6週間〜12ヶ月の痛みを低下させることはなかった。ということです。

***
この2−3日は、自分の中にパッションがたくさんあることを再認識することができる貴重な期間となりました。支えてくれた皆さんに心より感謝いたします。


2018年9月9日日曜日

ヘッセのシッダールタ再読

高橋健二氏訳、新潮文庫のシッダールタを久しぶりに再読しました。146ページに以下のようにあります。

"「さぐり求めると」とシッダールタは言った。「その人の目がさぐり求めるものだけを見る、ということになりやすい。また、その人は常にさぐり求めたものだけを考え、一つの目標を持ち、目標に取りつかれているので、何ものをも見いだすことができず、何ものをも心の中に受け入れることができない、ということになりやすい。さぐり求めるとは、目標を持つことである。これに反し、見いだすとは、自由であること、心を開いていること、目標を持たぬことである。おん僧よ、おん身はたぶん実際さぐり求める人であろう。おん身は目標を追い求めて、目の前にあるいろいろなものを見ないのだから」"

さぐり求める、ではなく、見いだしたい。今の自分はどうでしょう。

2015年10月13日火曜日

(麻) 「ビジュアル麻酔の手引」発売されました

「The Anesthesia Guide」の翻訳本が発売されました。
「ビジュアル麻酔の手引」というタイトルになっています。


シンプルな装丁です。
幾つかの章で、私も翻訳を分担させていただきました。

臨床麻酔の広い範囲をカバーする本になっています。
手にとっていただければ幸いです。

2014年11月20日木曜日

(雑) シッダールタに学ぶ

高橋健二氏訳のシッダールタ(1922年ヘッセ著、1959年訳、新潮文庫)の、物語の最後に近い部分にこのような記載があります。

***

「・・・そうすれば、いっさいは私にとってよくなり、私をそこなうことは決してありえない。抵抗を放棄することを学ぶためには、世界を愛することを学ぶためには、自分の希望し空想した何らかの世界や自分の考え出したような性質の完全さと、この世界を比較することはもはややめ、世界をあるがままにまかせ、世界を愛し、喜んで世界に帰属するためには、自分は罪を大いに必要とし、歓楽を必要とし、財貨への努力や虚栄や、極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを、自分の心身に体験した。―おおゴーヴィンダよ、これが私の心に浮かんだ思想の二、三なのだ」
・・・
中略
・・・
だが、これ以上それについてことばを費やすのはやめよう。ことばは内にひそんでいる意味をそこなうものだ。ひとたび口に出すと、すべては常にすぐいくらか違ってくる、いくらかすりかえられて、いくらか愚かしくなる。―そうだ、それも大いによく、大いに私の意にかなう。ある人の宝であり知恵であるものが、ほかの人にとっては常に痴愚のように聞こえるということにも、私は大いに同感だ」(151-2頁)

***
Dream Theaterのバラード”The Spirit Carries On”。


I may never find all the answers
I may never understand why
I may never prove
What I know to be true


But I know that I still have to try

***
自分の思うスピードで出来たことが何1つなかったような気がする33歳でしたが、亀のような速度でも、少しずつ少しずつ人生が良い方に進んでいることを期待。

2014年10月14日火曜日

(麻) 臓器循環を決める血圧とは

というお題で書かせていただいた文章が、LiSA10月号のp.958-9に掲載されました。ご批判いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

2014年5月29日木曜日

(本) たましいの場所 (早川義夫氏、筑摩書房)を読む

56日ぶりの更新です。

p149-150にこう書いてあります。

***
 どうしたらいい文章が書けるのだろうか。何かいいヒントはないだろうか。

 小林秀雄「文を飾ったって文は生きないんです。チェホフが言ったように、文は率直に書くべきなんです。雨が降ったら雨が降ったとお書きなさい。それが出来ないんですね。雨が降ったら雨が降ったではすまないんですね。なんかつけ加えたいんです。しゃれたことを。雨が降ったら雨が降ったと書けばたくさんだと思って、立派な文章を書ける人が名人というんです。そういう人は、文を飾るんじゃないんだけれども、文章に間があるんです。リズムが。それで読む人はその間に乗せられるんです。知らないうちに」

 外山滋比古「新しいつもりで書いたところから文章は古くなる。腐り出す。古いものはもう古くならないが、新しいものはどんどん年をとる。大工は生木で家を建てない。正確な文書を書こうとしたら、多少、保守的にする覚悟がいる」

***

齋藤孝氏の昔の著作の中に、丹田についての記載があったことを思い出しました。臍の下に重心を置いて動くと確かに他者から見て安心感、安定感はあるかも…でもちょっとにこにこしながら浮足立ってるかのような軽やかな足取りで手術室をあちこちふらふらしているくらいの方が、手術麻酔をする麻酔科医としては、いいような気がします。多分そのほうが周りの方々が話しかけやすいだろうし、愚痴も言いやすいだろうし。そういう麻酔科医になりたいなぁ。

***


ネモフィラと太平洋と空。青の三重奏。国営ひたち海浜公園です。


なんじゃもんじゃの木。深大寺の境内で。


シャガの花。神代植物公園にて。


あべのハルカスと天王寺動物園。通天閣から。

2014年3月5日水曜日

(本) このままいけば今年1位の本です- 嫌われる勇気―岸見一郎、古賀史健 (2013年、ダイヤモンド社)


ベストセラーらしいですよ。この本。と言ってもどこのどなたが買って読んでいるのか私は存じませんし、少なくとも私の周りでこの本読みました!という人にまだ出会っていません。恐らくこの本を読んで溜飲を下げた方がいたとしても、その方が、私に面白かったですよ!と、そう簡単には言ってはくださらないでしょう。そういう種類の本だと思います。

***
昨年、まさか、というタイミングで、自分の人生にとっての一山(?)を超えた時とその後数ヶ月。私はずっと考えていました。

これを乗り越えたのだから、もう、大抵のことは大丈夫だろう、これに比べて大変なことはそうそうないだろう、と。

でもそれが甘い見通しだったことは、今の自分にはよく分かります。何故なら、「大変なことがそうそうない」状態のままに今日まで来ていたら、この本を、今、手に取ることは恐らくなかったでしょうから。生きている限り、色んな「困難に感じることがある、それが本当に困難かどうかは別として」ということでしょう。今、それを身を持って体験していますが。

ここまで読まれた方がいたとして、私が何を書いているか意味不明に感じる方はおそらくそれなりの数でいらっしゃると思います。特に医者、特に麻酔科を仕事としている若い先生方の中には、もしかしたら多いかもしれません。

***
という前ふりをさせていただいて、いろいろと自分の心に引っかかった箇所を引用させていただきます。


賞に応募して、落選するならすればいいのです。そうすればもっと成長できるかもしれないし、あるいは別の道に進むべきだと理解するかもしれない。いずれにせよ、前に進むことができます。いまのライフスタイルを変えるとは、そういうことです。応募しないままでは、どこにも進めません。 p55-56

そうすることによって、わたしは他人より優位に、そして「特別」になれるわけです。病気になったとき、怪我をしたとき、失恋で心に傷を負ったときなど、少なからぬ人がこのような態度によって「特別な存在」であろうとします。
―自らの劣等感をさらけ出し、あたかも武器のように使うわけですね?
―ええ。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。 p89

大切なのはここからです。「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります。世界を危険な場所だと思うこともなく、不要な猜疑心に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。 p99

人は、対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。 p107

そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係ありません。あなたが正しいと思うなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結すべき話です。ところが多くの人は権力争いに突入し、他者を屈服させようとする。 p107

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要があるのです。 p140

「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」。 p205

そういえば以前、カート・ヴォネガットという作家が、同じような言葉を引用していましたよ。曰く、「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」 p229

そう、われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ”勇気”が足りていない。すべては”勇気”の問題なのです。 p229

ほんとうは自己受容や他者信頼、または他者貢献ができていないことが問題なのに、どうでもいいはずのごく一部にだけ焦点を当てて、そこから世界全体を評価しようとしている。それは人生の調和を欠いた、誤ったライフスタイルなのです。 p247

過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。 p271

人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。 p275

「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。 p280

「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。 p282

***
うーん、やっぱり、この人生はこれでいいんだ。明日もがんばろ。

ということで、今現在、悩みが1つでもある人にはおすすめしたい本です。1575円とこの本を読む数時間、決して無駄にはならないと、今の私には思える1冊でした。

***
そういえば、このブログものべ30万人の方に訪れていただいたようです。袖すり合うも他生の縁、ということで皆様に感謝です。意味があるのか無いのか分からないようなブログのままに続けていきたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いします。

2014年1月14日火曜日

(音) Stone Sourのバラッドが思いがけず素晴らしくて

気がついたら1月も半分終わろうとしています。


今年は大晦日の夜から年始にかけてゆっくりとお休みをいただきました。自分の実家で年を越したのは恐らく9年ぶりです。初期研修医の時は2年とも病院で年を越しましたし、確か喀血の患者さんを救急外来で診察しました。麻酔科医になった初めの年は新年直前まで脳外科か何科かの麻酔をしていた気がしますし、その次の年も確かオンコールで病院から連絡を頂いて麻酔をしに病院に行った気がします。

今年はご温情に甘えて過去最高にのんびり過ごしました。近々行う予定の実験の予習とか、論文の執筆を進めたりもしましたが…まぁ殆ど朝から晩まで酔っぱらっていました。こんなこと、人生に1回くらいはあってもいいんじゃないかと思います。


元旦の夕日を撮影してみましたが…。iPhoneのカメラだと私の技術ではうまく撮影できません。


これは1月3日の夕方の西の空です。
冬は空気が澄んでいるためか、太陽が高く昇るような時間になっても遠くの山々まで見えます。冬至を過ぎて、日が少しずつのびてきていることに喜びを感じます。

***
サン=テグジュペリの「人間の土地」(堀口大學訳)、何度目かの読書を終えました。


 たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。- p224 より


この本、読む度に少しずつ身体化してきましたが、まだ消化不良です。あと数回読めばマイ殿堂入りするはずです。何故そこまでこだわっているのかよく分かりませんが。
2014年は「カラマーゾフの兄弟」を読了したいと思います。他には、年が明けてから購入した30冊ほどの本。2013年に購入していながら読めなかった数十冊の本。全て読みつくしたい。

***
そういえば新年になってStone Sourの「House of Gold & Bones Part 1」(2012年発表)を初めて聴きました。レンタルです。


ジャケットはデスメタルみたいですが、美歌メロ満載の聴きやすい純然としたハードロックアルバムです。


このバラード「Taciturn」がとてもよいです。シンプルな作りですが、何と言ってもコリー・テイラーの歌が上手いです。新年早々いい曲に出会えました。

ということで、新年になっても特に新しい試みをしないままにこのブログも続きます。学位がとれようがとれまいが、学生生活は来年の3月で終わりです。そして今年、また何か私の人生にとって新しい決断をするはずです。

今年もどうぞよろしくお願いします。

2013年12月31日火曜日

(本) 自分の仕事をつくる、ということ



 仕事を通じて、自分を証明する必要はない。というか、それはしてはいけないことだ。
 最大の敵は、常に自意識である。個性的であろうとするよりも、ただ無我夢中でやるほうが、結果として個性的な仕事が生まれる。
 仕事とは自分を誇示する手段ではなく、自分と他人に対するギフト(贈与)であり、それが結果としてお互いを満たす。これは理想論だろうか。
 贈り物は難しい。押しつけでは意味がないし、足下をみるなんてもってのほかだ。その人が欲しているけれど誰にも明かさずにいる、あるいは本人自身もまだ気づいていない何かを、「これ?」といって差し出すことが出来たら、それは最高のギフトになる。p. 274

理想論ではなく、この文章は、そのまま真実をあらわしていると、今の私には思えます。

***
今年最後の音楽。ドイツのハードロックバンド、Fair Warningのセカンド・アルバム「Rainmaker」(1995年)収録の「Burning Heart」を貼っておきます。歌も絶品ですが、2:27-のギターソロは今聴いても色褪せてないですね。


'Cause baby, I know? we must make a move
This world's running out of time
There's a force that keeps pushing me on
I can feel it inside?

This burning heart? sets my soul on fire
And the power of hope is rising up through my veins
This burning heart? drives my souls desire


***
2014年も、このコンフォートゾーンから少しでも踏み出して、今は想像できない世界に行けますよう。
自分が無我夢中でできることに出会えれば、それは最高の幸せだと思いますが、出会えないとしても、無我夢中で毎日を生きられれば、それもまた最高の幸せだと思います。まぁ衣食住足るだけで儲けものです。他は全ておまけです。

今年も大変お世話になりました。皆さんにとってもよい新年になりますよう。

2013年11月30日土曜日

(旅) 秋の小トリップ其の四の3 (宮崎県西臼杵郡高千穂町から大分県由布市) 〜 旅のボトムとトップと

11月も今日で終わりですね。今日は、10月に訪れた九州の旅行記の続きをアップしておきます。

***
ということで、高千穂峡で発見した、若山牧水の歌碑から再開です。


文字が読めないと思いますが、下のように記してあります。


幾山河、越えさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく

若山牧水の短歌の中でも、最も有名なものの1つです。このように、全国各地に氏の歌碑が建てられているようですので、1つ1つ回ってみたいものです。

***
その後は、高千穂町では定番観光コースである「天安河原(あまのやすがわら)」へ。古事記の「岩戸隠れ」の舞台ですね。


仰慕窟(ぎょうぼがいわや)。


このあたりで大体、九州に上陸して43時間でした。

***

どんな旅でも、いい旅だなぁと成功したように感じたり、失敗したと感じたり。そういう気持ちになることってどんな人にもあると思うのですが、この後の何時間かは、私にとって所謂、失敗な時間でした。


宮崎県から熊本の阿蘇山を抜けて大分県に入りました。

宿を由布市にとっていたのですが、由布市街地に入るときには超渋滞。一刻も早く高千穂から由布市に行って温泉に浸かろう、そして由布市に入ってからなにか食べようと車をずっと運転していたために昼ご飯も食べそびれてしまったので、お腹ペコペコの状態で漸く辿り着いたその宿。


・・・。

何故か温泉はないし、市街地からちょっと離れてるし、夕飯付きじゃないし、部屋の内装はやたらと乙女チック(写真は残っていませんが、バスとトイレの壁にはキラキラしたラメが入っていました)だし、ホテルの中に売店はないし…と、一体誰が予約したんだこの部屋、と愕然。

でも、お腹はペコペコだし、かといって、車で外出すればまた無限渋滞に巻き込まれること必定…と思うと、考えるのがだんだん億劫になってきたので、取り敢えず、ホテルの自販機にあったアサヒスーパードライの350ml缶を開けます。

・・・。

・・・。

空腹がビールで満たされたくらいに時間が経つと、先ほど訪れた天安河原付近のお店で買い求めた地ビールが丁度いい塩梅に冷えていましたので、立て続けに2本開けます。


***
しかし、やはり変だ…なぜ遥々(はるばる)東京から大分まで来たのに部屋に篭ってビールを飲んでいるのか…しかしもう外は暗いし、歩いて30分位かかるであろう街まで歩く元気もないし…、と連々と思いながら、今回の旅立ちの時に羽田空港で偶然見つけたこの本を読んでおりました。


よしもとばなな氏の「なんくるない」(新潮文庫)です。

***
 ああ、なんだかいいなあ、急に来たところでこんないい人たちに会って、あったかい人と寄り添って空を見ているなんて夢みたいだ、いい気持ちだ、そう思った。
 この人生はやっぱりこれでいいと思えた。その証拠みたいなものが、たまにこうやって降ってくるから。
 急できらきらしていて、ちょっとわくわくさせるようなことがちゃんとあるうちは、まだまだ気持ちよく手をふって歩いていくことができる。でもそれは追いかけていくと猫みたいにささっと物陰に隠れてしまう。追いかけはしないけれど、私はいつでも待っていた。びっくりするようなそういうことを。 p155
***

こんな素敵な文章が、本のあちこちに散りばめられている本です。その本に収録されている4篇の小説を読み終えると、何故か、ばなな氏の他の著書や、これまた何故かアーネスト・ヘミングウェイの小説が読みたくなって、いてもたってもいられなくなり、書店が由布院駅の近くにあることをウェブで調べて突き止めた後、駅に向かって只管(ひたすら)走りました。


駅はたしかにありましたが、周りは漆黒の暗闇。観光地の夜は更けるのが早い、早すぎます。確かこの時、まだ20時頃だったと思います。

***

由布院でソフィア・コッポラの映画「Lost in Translation」(2003年、米)を何故か思い出すような気分になり、温泉にも浸かれず、読みたい本も読めず…。しかも困ったことにお腹がいよいよ空いてきました。


へなへなと枯れた気分のままに、ホテルへの道を少しばかりしょんぼりした気分のままに、往路の1/3程度の速度でのろのろと歩いていると、お蕎麦屋さんがありました。もしかしたら既に店仕舞いしているけど店内でその日の売上なんかを計算するために人がまだいて、明るく照らされているだけかもしれない…と思いつつも、お店の扉を開けると女将さんらしき方が笑顔で迎えてくださったので、お店の中にお邪魔して、由布院の地ビールをいただきました。


大分名物の鶏天。


由布院で作っている豆腐。


このお店、オリジナルの麦焼酎のロック。


そしてお蕎麦屋さんのお蕎麦。


がらがらに空いているお蕎麦屋さんで、女将さんに沢山の美味しいものを教えていただき、そして色んなお話をさせてもらって、漸くこの日、私は目が醒めたような気分になりました。そうか、あの乙女なホテルを予約したのは、こんな素晴らしい経験をさせてもらう為だったのか…矢張り人生は何があるか分からないものなんだな…と思える1日でした。open mindで居続けることはとても大切なことなのだ。自分が知らない何かに出会うために。

2013年11月24日日曜日

(雑) peri-birthday periodの景色 - TOKYO SKYTREE and my mind

車窓から。恐らくスキー場だと思いますが、まだ雪がありませんでした。


これは首都高から撮影したスカイツリーです。車の助手席から撮影するとなかなかうまく撮れません。


これは上野駅から数分、散歩すると出会える景色です。電線が沢山行き交っているので、奥に鎮座するスカイツリーが、宛(さなが)ら合成写真のような趣を醸成していました。この道は、以前も歩いた筈だったのですが、今日はじめてこんなに存在感のあるスカイツリーに出会えることに気づきました。


ちょっと遠くから撮影。


***
 あっという間に33歳になってしまいました。
なってしまいました…と書くと、32歳までの人生においてやり残したことが沢山あるような、そんなネガティブな印象を人さまに与えてしまうかもしれませんが、私の32歳は十分満喫しました。私の人生では常にそうなのですが、戻りたい過去は1つもありません。それは自分なりに―あくまで自分なりに―今日、この1日を大切に生きようと思って生きているからなのかもしれません。memento mori、carpe diemなのです。

勿論、大切に生きようと思っているのに、心と体が思うように動かなくて、今日という日をもっと大切に出来たかもしれない…と思う日もあります。というか沢山沢山あります。

それでも、自分は刻一刻と死に向かっているのは紛うことのない事実です。そしてそれは、今の私にとって、私の人生において100%確実に起こると思えるたった1つのことです。これは将来を悲観している為にでている言葉ではありません。人は皆死んでしまいます。本当に。

私の32歳は、私の人生において1番酔っ払っていたかもしれませんし(アルコールだけではなく、人や自然や音楽や実験や麻酔や絵画や本や映画、その他のことです)、1番お金を使ったかもしれませんし、人さまから見たら1番停滞していた1年かも知れません。

それでも、私の人生においては、1番、沢山の言葉を―心からの幸福を感じながら―周りの人たちと交わした1年でしたし、「ありがとうございます」という言葉を、きちんと声に出して、文字にして、伝えることができた1年でした。

今年影響を受けた本のうちの1冊。ヘルマン・ヘッセの「幸福論」(新潮文庫版、高橋健二訳)の文章を引用させていただいて、今日は終わり。

***
人間が生活の苦難や危険のただ中にあってもそういうものを楽しむことができるかぎり、つまり、自然や絵画の中の色彩の戯れや、あらしや海の声の中の呼びかけや、人間の作った音楽などを楽しむことができるかぎり、また、利害や困難などの表面の奥で、世界を全体として見たり感じたりすることができるかぎり、つまり、たわむれる若いねこの頭が描く曲線から、奏鳴曲の変奏演奏にいたるまで、犬の感動的なまなざしから、詩人の悲劇にいたるまで、連関があり、無数に豊富なつながり、相応、類似、反映が存在していて、絶えず流れるそのことばから、聞くものに喜びと知恵、冗談と感動の与えられる、そういう全体として世界を見たり感じたりすることができるかぎり、―それができるかぎり、人間は、自分というものにまつわる疑問を繰返し処理して、自分の存在に繰返し意味を認めることができるだろう。 p42
***

もしかしたら、少しは大人になれた1年だったかもしれません。
私の中の謙虚、感謝、諧謔を育んでくださった皆さんに心から感謝したいと思います。どうもありがとうございます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。

2013年11月20日水曜日

(旅) 秋の小トリップ其の六 (東京都八王子市) 〜 マーラーの第9番と高尾山の紅葉とICUブックと

いつの間にか11月も3分の2が終了です。クリスマスらしい雰囲気を、街のあちこちで感じられるようになってきました。


既に相当昔のことのように感じられますが、アレクサンドル・ラザレフ指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による以下の楽曲の演奏を体験しました。

・チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲(Vc:横坂源)
・マーラー:交響曲第9番ニ長調

金聖響氏、玉木正之氏による「マーラーの交響曲」(講談社現代新書)でこのような文字に出会えば、期待が高まらないはずがありません。


「これは永遠という別の世界からやって来た作品」といったのは、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンで、音楽教育者や音楽解説者としても有名なバーンスタインとは対照的に、あまり言葉を駆使しない彼も、この作品だけは珍しく凝った表現で評価しています。p280

あの、最終楽章の、最期の「音」。途切れ途切れになって、死に絶えるような消え方、そして消えたように感じられた後も60秒近くタクトを持った手を下ろさなかったラザレフ氏。

その音を体験した後、暫くの間、歩くことがようやく可能な程度に、放心状態になりました。

***

ということで、香川県の大窪寺、小豆島の寒霞渓についで、高尾山の紅葉を狩りに行く機会に恵まれましたので、記録しておきます。


新宿から京王新線に乗って「高尾山口」まで50分程度…で高尾山の麓に到達できました。もっと遠いと思っていたのですが、あっという間です。ここ最近、麻酔の仕事でお世話になっているどの病院よりも近くに、高尾山はありました。
それだけ近くにある山ですから、当然のように沢山のひとひとひとです。ケーブルカーに乗れば、山頂の手前40分ほど(徒歩でおよそかかる時間です)の場所まで6分で連れて行っていただけるのですが、ケーブルカー乗車まで60分以上待ちます、と言われては、待っていられません。自分の2本の足で歩いて登った方が早かったのです。

以下、撮影した順番に並べておいておくことにします。









これは山頂から、西の方角の山々を撮影したものです。正午くらいだと大気が霞んで、しかも逆光になってしまい、遠くの方まで見えませんでした。条件が良いと富士山がくっきり見えるらいいのですが。


これはリンドウ…でいいと思うのですが。もし間違っていたら教えて下さい。




これは北原白秋の歌碑です。

我が精進 こもる高尾は 夏雲の 下谷(したたに)うずみ 波となづさふ

と詠んだものです。



下山したのは14時ころでしたが、その後もあちこち歩き続けていたら、この日の歩数は珍しく20000歩を超えました。

***

 そういえば注文していたICUブック第4版が先日届きました。私は第2版からICUブックを読み始めましたが、今回はじめて原著を購入しました。iPhoneやiPadで読めるe-Bookつきバージョンです。10000円くらいで買えますし、英語は平易ですので、翻訳を待っている時間があれば原著で買うことをおすすめいたします。


p217からp237まで、crystalloidかcolloidか、という章があります。
p234では、このようにまとめられています。簡単に日本語に意訳しますと

1.  normal saline (0.9% NaCl)はノーマルではなく、代謝性アシドーシスの原因になる。
2. 等張の晶質液は血漿容量より間質容量を増加させるし、大量投与によって厄介な浮腫が引き起こる。
3. 血漿容量を増加させるという点では、膠質液は晶質液より優れている。
4. 生命の危機的状況にある患者(severe sepsisやseptic shock状態など)では、高張膠質液(ハイドロキシエチルスターチ)の使用により腎傷害の危険性が高まる。ただし、腎傷害は、より軽傷な患者(術後の患者など)では通常見られない。
5. 「膠質液か晶質液か」論争は不毛である、なぜなら、単剤でどんな循環血液量減少患者も蘇生できるような魔法のような輸液製剤はない。

無難といえば無難なまとめですが、手術室で麻酔を担当する麻酔科医としては、誰にでも通用する術中輸液のレシピなんかない、ということだけ思い出せればいい気がします。
個人的には○○ml/kg/hという輸液法はとうの昔にやめてますし、ヘスなどの膠質液にも以前ほど有用性を見いだせなくなっています。
それは今そんな気分だから、と言ってしまえばそれで終わりなのですが、「この状態ならこれ!」みたいなことを、おいそれと口にできなくなるくらいに麻酔科医として成長したのではないか、と思い込むことにしています。成長の伸びしろはまだまだあるでしょうし、麻酔科医を辞めるその瞬間まで、毎日毎日なにか新しいことを学ぶでしょう。この第4版は、そんなことに改めて思いを馳せることを可能にしてくれた1冊でした。

2013年11月13日水曜日

(雑) All it needs is courage.. imagination...and a little dough.

チャールズ・チャップリンの映画「ライムライト」(1952年)での名言として有名です。先日、友人との会話の中でふと出てきたことを思い出したので書いてみました。

勇気、想像力、少しのお金。

わたしは「愛と勇気とサムマネー」と記憶していたのですが、違いましたね。

***


上野駅から歩いていける場所にある東京都美術館で10月8日から開催しているターナー展に、先日、行ってきました。ご近所の国立西洋美術館ではミケランジェロ展も開催されていますし、東京藝術大学大学美術館では「国宝興福寺仏頭展」も開催されています。上野公園界隈は、何とも懐の深い場所です。

***


ミケランジェロ展には、ターナー展よりも前にお邪魔したのですが、彼が描いたシスティーナ礼拝堂の天井画(1508-1512年)と、祭壇の壁画(1536-41年)の制作年代は、全く異なるということを知りました。


ミケランジェロ展の帰りに購入したこの本「ミケランジェロ - 木下長宏著、中公新書」の中でこのような文章に出会います。

***

 だから、われわれは、ミケランジェロの作品の前に佇(た)って、まず、その問いに耳を傾けなければいけない。前もって答を用意して作品に向かうほどつまらないことはない。そうして、作品の前に佇ち、彫刻の場合はとくにその作品の周りを廻ってみることが不可欠だから、作品と向かい合い作品を巡って観ながら、その問いかけるものに耳を傾けるとき(美術作品を観ながら耳を傾けるのである)、突然目くるめくような、言葉にならない感動に包み込まれる―そんな瞬間が訪れる。
 そのとき、作品が問いを発しているのか、それを観ている自分が問いかけているのか、どっちがどうなのか、一瞬はっきりしないような感動に包まれている。
 おそらく、その作品を制作している作者本人も、その制作途上の作品(未生の作品、まだ形になりかけの物体)が問いを投げかけているのか、その石を削っている自分が問いを石へ投げ出しているのか、区別がつかない経験をしているにちがいない。 p.119

***

別の時に、ガンディーの「獄中からの手紙」(森本達雄訳、岩波文庫)にある文章に再会しました。



奉仕の生活は謙虚な生活になるはずです。他人のために自らの生命を犠牲にささげようとする人には、自分のために陽当りのよい場所を確保する暇(いとま)などほとんどありません。ヒンドゥー教にまま見られてきたように、無為無気力を謙虚さと思い違いをしてはなりません。[そのような思い違いがあったればこそ、無気力や偽善がしばしば、謙虚さの名のもとにはびこってきたのです。]真に謙虚であるということは、全身全霊を人間性(ヒューマニティー)への奉仕に向けた、不断の精進努力を意味します。神はひとときも休むことなく、たえず働きつづけています。 p82-3

***


いろいろな人たちから、いろいろな言葉を受け取ります。

その言葉ひとつひとつは、皆さんそれぞれが、それぞれの、そのときどきの本気で伝えてくださっているものだと思います。

どんな言葉でも、それぞれの方々の、それぞれの想像力と経験から出た言葉。

私には、自分以外の人たちが、どれくらいの想像力と経験をもって言葉を発しているか分かりません。だから、どの言葉を自分の行動に取り込んだら良いのか、については毎日試行錯誤の繰り返しです。

発せられた時に取り込めないと思えるような、その時の自分の状態から程遠いような場所を思わせるような言葉だとしても、一度は自分の中の隅っこの方に置いておきたいと思います。取り込めないと思って排除してしまうと、将来、あれはそういうことだったのか、と思い出して取り込みなおすチャンスが永遠に訪れません。それはとても勿体無いことです。