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2013年11月30日土曜日

(旅) 秋の小トリップ其の四の3 (宮崎県西臼杵郡高千穂町から大分県由布市) 〜 旅のボトムとトップと

11月も今日で終わりですね。今日は、10月に訪れた九州の旅行記の続きをアップしておきます。

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ということで、高千穂峡で発見した、若山牧水の歌碑から再開です。


文字が読めないと思いますが、下のように記してあります。


幾山河、越えさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく

若山牧水の短歌の中でも、最も有名なものの1つです。このように、全国各地に氏の歌碑が建てられているようですので、1つ1つ回ってみたいものです。

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その後は、高千穂町では定番観光コースである「天安河原(あまのやすがわら)」へ。古事記の「岩戸隠れ」の舞台ですね。


仰慕窟(ぎょうぼがいわや)。


このあたりで大体、九州に上陸して43時間でした。

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どんな旅でも、いい旅だなぁと成功したように感じたり、失敗したと感じたり。そういう気持ちになることってどんな人にもあると思うのですが、この後の何時間かは、私にとって所謂、失敗な時間でした。


宮崎県から熊本の阿蘇山を抜けて大分県に入りました。

宿を由布市にとっていたのですが、由布市街地に入るときには超渋滞。一刻も早く高千穂から由布市に行って温泉に浸かろう、そして由布市に入ってからなにか食べようと車をずっと運転していたために昼ご飯も食べそびれてしまったので、お腹ペコペコの状態で漸く辿り着いたその宿。


・・・。

何故か温泉はないし、市街地からちょっと離れてるし、夕飯付きじゃないし、部屋の内装はやたらと乙女チック(写真は残っていませんが、バスとトイレの壁にはキラキラしたラメが入っていました)だし、ホテルの中に売店はないし…と、一体誰が予約したんだこの部屋、と愕然。

でも、お腹はペコペコだし、かといって、車で外出すればまた無限渋滞に巻き込まれること必定…と思うと、考えるのがだんだん億劫になってきたので、取り敢えず、ホテルの自販機にあったアサヒスーパードライの350ml缶を開けます。

・・・。

・・・。

空腹がビールで満たされたくらいに時間が経つと、先ほど訪れた天安河原付近のお店で買い求めた地ビールが丁度いい塩梅に冷えていましたので、立て続けに2本開けます。


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しかし、やはり変だ…なぜ遥々(はるばる)東京から大分まで来たのに部屋に篭ってビールを飲んでいるのか…しかしもう外は暗いし、歩いて30分位かかるであろう街まで歩く元気もないし…、と連々と思いながら、今回の旅立ちの時に羽田空港で偶然見つけたこの本を読んでおりました。


よしもとばなな氏の「なんくるない」(新潮文庫)です。

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 ああ、なんだかいいなあ、急に来たところでこんないい人たちに会って、あったかい人と寄り添って空を見ているなんて夢みたいだ、いい気持ちだ、そう思った。
 この人生はやっぱりこれでいいと思えた。その証拠みたいなものが、たまにこうやって降ってくるから。
 急できらきらしていて、ちょっとわくわくさせるようなことがちゃんとあるうちは、まだまだ気持ちよく手をふって歩いていくことができる。でもそれは追いかけていくと猫みたいにささっと物陰に隠れてしまう。追いかけはしないけれど、私はいつでも待っていた。びっくりするようなそういうことを。 p155
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こんな素敵な文章が、本のあちこちに散りばめられている本です。その本に収録されている4篇の小説を読み終えると、何故か、ばなな氏の他の著書や、これまた何故かアーネスト・ヘミングウェイの小説が読みたくなって、いてもたってもいられなくなり、書店が由布院駅の近くにあることをウェブで調べて突き止めた後、駅に向かって只管(ひたすら)走りました。


駅はたしかにありましたが、周りは漆黒の暗闇。観光地の夜は更けるのが早い、早すぎます。確かこの時、まだ20時頃だったと思います。

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由布院でソフィア・コッポラの映画「Lost in Translation」(2003年、米)を何故か思い出すような気分になり、温泉にも浸かれず、読みたい本も読めず…。しかも困ったことにお腹がいよいよ空いてきました。


へなへなと枯れた気分のままに、ホテルへの道を少しばかりしょんぼりした気分のままに、往路の1/3程度の速度でのろのろと歩いていると、お蕎麦屋さんがありました。もしかしたら既に店仕舞いしているけど店内でその日の売上なんかを計算するために人がまだいて、明るく照らされているだけかもしれない…と思いつつも、お店の扉を開けると女将さんらしき方が笑顔で迎えてくださったので、お店の中にお邪魔して、由布院の地ビールをいただきました。


大分名物の鶏天。


由布院で作っている豆腐。


このお店、オリジナルの麦焼酎のロック。


そしてお蕎麦屋さんのお蕎麦。


がらがらに空いているお蕎麦屋さんで、女将さんに沢山の美味しいものを教えていただき、そして色んなお話をさせてもらって、漸くこの日、私は目が醒めたような気分になりました。そうか、あの乙女なホテルを予約したのは、こんな素晴らしい経験をさせてもらう為だったのか…矢張り人生は何があるか分からないものなんだな…と思える1日でした。open mindで居続けることはとても大切なことなのだ。自分が知らない何かに出会うために。

2013年11月24日日曜日

(雑) peri-birthday periodの景色 - TOKYO SKYTREE and my mind

車窓から。恐らくスキー場だと思いますが、まだ雪がありませんでした。


これは首都高から撮影したスカイツリーです。車の助手席から撮影するとなかなかうまく撮れません。


これは上野駅から数分、散歩すると出会える景色です。電線が沢山行き交っているので、奥に鎮座するスカイツリーが、宛(さなが)ら合成写真のような趣を醸成していました。この道は、以前も歩いた筈だったのですが、今日はじめてこんなに存在感のあるスカイツリーに出会えることに気づきました。


ちょっと遠くから撮影。


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 あっという間に33歳になってしまいました。
なってしまいました…と書くと、32歳までの人生においてやり残したことが沢山あるような、そんなネガティブな印象を人さまに与えてしまうかもしれませんが、私の32歳は十分満喫しました。私の人生では常にそうなのですが、戻りたい過去は1つもありません。それは自分なりに―あくまで自分なりに―今日、この1日を大切に生きようと思って生きているからなのかもしれません。memento mori、carpe diemなのです。

勿論、大切に生きようと思っているのに、心と体が思うように動かなくて、今日という日をもっと大切に出来たかもしれない…と思う日もあります。というか沢山沢山あります。

それでも、自分は刻一刻と死に向かっているのは紛うことのない事実です。そしてそれは、今の私にとって、私の人生において100%確実に起こると思えるたった1つのことです。これは将来を悲観している為にでている言葉ではありません。人は皆死んでしまいます。本当に。

私の32歳は、私の人生において1番酔っ払っていたかもしれませんし(アルコールだけではなく、人や自然や音楽や実験や麻酔や絵画や本や映画、その他のことです)、1番お金を使ったかもしれませんし、人さまから見たら1番停滞していた1年かも知れません。

それでも、私の人生においては、1番、沢山の言葉を―心からの幸福を感じながら―周りの人たちと交わした1年でしたし、「ありがとうございます」という言葉を、きちんと声に出して、文字にして、伝えることができた1年でした。

今年影響を受けた本のうちの1冊。ヘルマン・ヘッセの「幸福論」(新潮文庫版、高橋健二訳)の文章を引用させていただいて、今日は終わり。

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人間が生活の苦難や危険のただ中にあってもそういうものを楽しむことができるかぎり、つまり、自然や絵画の中の色彩の戯れや、あらしや海の声の中の呼びかけや、人間の作った音楽などを楽しむことができるかぎり、また、利害や困難などの表面の奥で、世界を全体として見たり感じたりすることができるかぎり、つまり、たわむれる若いねこの頭が描く曲線から、奏鳴曲の変奏演奏にいたるまで、犬の感動的なまなざしから、詩人の悲劇にいたるまで、連関があり、無数に豊富なつながり、相応、類似、反映が存在していて、絶えず流れるそのことばから、聞くものに喜びと知恵、冗談と感動の与えられる、そういう全体として世界を見たり感じたりすることができるかぎり、―それができるかぎり、人間は、自分というものにまつわる疑問を繰返し処理して、自分の存在に繰返し意味を認めることができるだろう。 p42
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もしかしたら、少しは大人になれた1年だったかもしれません。
私の中の謙虚、感謝、諧謔を育んでくださった皆さんに心から感謝したいと思います。どうもありがとうございます。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。

2013年11月20日水曜日

(旅) 秋の小トリップ其の六 (東京都八王子市) 〜 マーラーの第9番と高尾山の紅葉とICUブックと

いつの間にか11月も3分の2が終了です。クリスマスらしい雰囲気を、街のあちこちで感じられるようになってきました。


既に相当昔のことのように感じられますが、アレクサンドル・ラザレフ指揮、日本フィルハーモニー交響楽団による以下の楽曲の演奏を体験しました。

・チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲(Vc:横坂源)
・マーラー:交響曲第9番ニ長調

金聖響氏、玉木正之氏による「マーラーの交響曲」(講談社現代新書)でこのような文字に出会えば、期待が高まらないはずがありません。


「これは永遠という別の世界からやって来た作品」といったのは、指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンで、音楽教育者や音楽解説者としても有名なバーンスタインとは対照的に、あまり言葉を駆使しない彼も、この作品だけは珍しく凝った表現で評価しています。p280

あの、最終楽章の、最期の「音」。途切れ途切れになって、死に絶えるような消え方、そして消えたように感じられた後も60秒近くタクトを持った手を下ろさなかったラザレフ氏。

その音を体験した後、暫くの間、歩くことがようやく可能な程度に、放心状態になりました。

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ということで、香川県の大窪寺、小豆島の寒霞渓についで、高尾山の紅葉を狩りに行く機会に恵まれましたので、記録しておきます。


新宿から京王新線に乗って「高尾山口」まで50分程度…で高尾山の麓に到達できました。もっと遠いと思っていたのですが、あっという間です。ここ最近、麻酔の仕事でお世話になっているどの病院よりも近くに、高尾山はありました。
それだけ近くにある山ですから、当然のように沢山のひとひとひとです。ケーブルカーに乗れば、山頂の手前40分ほど(徒歩でおよそかかる時間です)の場所まで6分で連れて行っていただけるのですが、ケーブルカー乗車まで60分以上待ちます、と言われては、待っていられません。自分の2本の足で歩いて登った方が早かったのです。

以下、撮影した順番に並べておいておくことにします。









これは山頂から、西の方角の山々を撮影したものです。正午くらいだと大気が霞んで、しかも逆光になってしまい、遠くの方まで見えませんでした。条件が良いと富士山がくっきり見えるらいいのですが。


これはリンドウ…でいいと思うのですが。もし間違っていたら教えて下さい。




これは北原白秋の歌碑です。

我が精進 こもる高尾は 夏雲の 下谷(したたに)うずみ 波となづさふ

と詠んだものです。



下山したのは14時ころでしたが、その後もあちこち歩き続けていたら、この日の歩数は珍しく20000歩を超えました。

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 そういえば注文していたICUブック第4版が先日届きました。私は第2版からICUブックを読み始めましたが、今回はじめて原著を購入しました。iPhoneやiPadで読めるe-Bookつきバージョンです。10000円くらいで買えますし、英語は平易ですので、翻訳を待っている時間があれば原著で買うことをおすすめいたします。


p217からp237まで、crystalloidかcolloidか、という章があります。
p234では、このようにまとめられています。簡単に日本語に意訳しますと

1.  normal saline (0.9% NaCl)はノーマルではなく、代謝性アシドーシスの原因になる。
2. 等張の晶質液は血漿容量より間質容量を増加させるし、大量投与によって厄介な浮腫が引き起こる。
3. 血漿容量を増加させるという点では、膠質液は晶質液より優れている。
4. 生命の危機的状況にある患者(severe sepsisやseptic shock状態など)では、高張膠質液(ハイドロキシエチルスターチ)の使用により腎傷害の危険性が高まる。ただし、腎傷害は、より軽傷な患者(術後の患者など)では通常見られない。
5. 「膠質液か晶質液か」論争は不毛である、なぜなら、単剤でどんな循環血液量減少患者も蘇生できるような魔法のような輸液製剤はない。

無難といえば無難なまとめですが、手術室で麻酔を担当する麻酔科医としては、誰にでも通用する術中輸液のレシピなんかない、ということだけ思い出せればいい気がします。
個人的には○○ml/kg/hという輸液法はとうの昔にやめてますし、ヘスなどの膠質液にも以前ほど有用性を見いだせなくなっています。
それは今そんな気分だから、と言ってしまえばそれで終わりなのですが、「この状態ならこれ!」みたいなことを、おいそれと口にできなくなるくらいに麻酔科医として成長したのではないか、と思い込むことにしています。成長の伸びしろはまだまだあるでしょうし、麻酔科医を辞めるその瞬間まで、毎日毎日なにか新しいことを学ぶでしょう。この第4版は、そんなことに改めて思いを馳せることを可能にしてくれた1冊でした。

2013年11月13日水曜日

(雑) All it needs is courage.. imagination...and a little dough.

チャールズ・チャップリンの映画「ライムライト」(1952年)での名言として有名です。先日、友人との会話の中でふと出てきたことを思い出したので書いてみました。

勇気、想像力、少しのお金。

わたしは「愛と勇気とサムマネー」と記憶していたのですが、違いましたね。

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上野駅から歩いていける場所にある東京都美術館で10月8日から開催しているターナー展に、先日、行ってきました。ご近所の国立西洋美術館ではミケランジェロ展も開催されていますし、東京藝術大学大学美術館では「国宝興福寺仏頭展」も開催されています。上野公園界隈は、何とも懐の深い場所です。

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ミケランジェロ展には、ターナー展よりも前にお邪魔したのですが、彼が描いたシスティーナ礼拝堂の天井画(1508-1512年)と、祭壇の壁画(1536-41年)の制作年代は、全く異なるということを知りました。


ミケランジェロ展の帰りに購入したこの本「ミケランジェロ - 木下長宏著、中公新書」の中でこのような文章に出会います。

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 だから、われわれは、ミケランジェロの作品の前に佇(た)って、まず、その問いに耳を傾けなければいけない。前もって答を用意して作品に向かうほどつまらないことはない。そうして、作品の前に佇ち、彫刻の場合はとくにその作品の周りを廻ってみることが不可欠だから、作品と向かい合い作品を巡って観ながら、その問いかけるものに耳を傾けるとき(美術作品を観ながら耳を傾けるのである)、突然目くるめくような、言葉にならない感動に包み込まれる―そんな瞬間が訪れる。
 そのとき、作品が問いを発しているのか、それを観ている自分が問いかけているのか、どっちがどうなのか、一瞬はっきりしないような感動に包まれている。
 おそらく、その作品を制作している作者本人も、その制作途上の作品(未生の作品、まだ形になりかけの物体)が問いを投げかけているのか、その石を削っている自分が問いを石へ投げ出しているのか、区別がつかない経験をしているにちがいない。 p.119

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別の時に、ガンディーの「獄中からの手紙」(森本達雄訳、岩波文庫)にある文章に再会しました。



奉仕の生活は謙虚な生活になるはずです。他人のために自らの生命を犠牲にささげようとする人には、自分のために陽当りのよい場所を確保する暇(いとま)などほとんどありません。ヒンドゥー教にまま見られてきたように、無為無気力を謙虚さと思い違いをしてはなりません。[そのような思い違いがあったればこそ、無気力や偽善がしばしば、謙虚さの名のもとにはびこってきたのです。]真に謙虚であるということは、全身全霊を人間性(ヒューマニティー)への奉仕に向けた、不断の精進努力を意味します。神はひとときも休むことなく、たえず働きつづけています。 p82-3

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いろいろな人たちから、いろいろな言葉を受け取ります。

その言葉ひとつひとつは、皆さんそれぞれが、それぞれの、そのときどきの本気で伝えてくださっているものだと思います。

どんな言葉でも、それぞれの方々の、それぞれの想像力と経験から出た言葉。

私には、自分以外の人たちが、どれくらいの想像力と経験をもって言葉を発しているか分かりません。だから、どの言葉を自分の行動に取り込んだら良いのか、については毎日試行錯誤の繰り返しです。

発せられた時に取り込めないと思えるような、その時の自分の状態から程遠いような場所を思わせるような言葉だとしても、一度は自分の中の隅っこの方に置いておきたいと思います。取り込めないと思って排除してしまうと、将来、あれはそういうことだったのか、と思い出して取り込みなおすチャンスが永遠に訪れません。それはとても勿体無いことです。

2013年11月5日火曜日

(旅) 秋の小トリップ其の五の3 (香川県の小豆島と高松市)

Welcome to the Hotel California
Such a lovely place (Such a lovely place)
Such a lovely face
Plenty of room at the Hotel California
Any time of year (Any time of year)
You can find it here

というEaglesの「Hotel California」の歌詞が、宿泊している最中ではなく、チェックアウトして暫く経ってから、止めどなく私の頭の中でリフレインするような、そんな小豆島でのホテルでの一夜の後、前夜25時ころまで降っていた筈の雨が全く降っておらず、それどころか、一夜、雨風凌ぎのためにお借りした部屋の窓から、朝、目が覚めた時に、燦々と太陽の光が降り注いでいることを発見したので、太陽に少しでも近いところに行ってみよう…と思って、朝の9時過ぎに寒霞渓(かんかけい)に向かいました。

「かんかけい」という場所があること自体、今回、小豆島に上陸する直前くらいに知ったのですが、日本三大渓谷の1つ、ということもあり、観光客よろしく行って参りました。


山頂には車でも簡単に行けたのですが、ロープウェイからしか見られない景色もあろう…と思ってロープウェイで山頂に向かいました。


ここでも紅葉していたではありませんか。




逆光だったので、自分の目で見た景色を、私の撮影技術ではまだあまり再現できないのですが、そんなこともあったなぁ、という未来の自分への期待の意味も込めて、ここに置いておきます。


木漏れ日が…。


そして、足元に目をやると、もみじの絨毯です。


これはロープウェイから撮影した1枚。

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下の2枚は確か、1度山頂からロープウェイで下山した後に、再度、レンタカーで寒霞渓の上に登る最中に立ち寄った、四望頂展望台から見えた景色です。この時もまだ逆光でした。






上の1枚は、寒霞渓の山頂にあるロープウェイ駅のあたりを撮影したものです。確かに奇勝です。


小豆島ですから、オリーブにも沢山出会いました。


これはヤノベケンジ氏の作品です。坂手港のフェリー乗り場の近くに展示されていたので見ることが出来ました。

***
小豆島へ来るときのフェリーでは雨が降っていたので、空の下に出ることができませんでしたが、復路のフェリーでは、信じられないくらいに快晴でした。


逆光で、風も強くて、それでも高松港へ向かっている、そのフェリーの最上階で、今の自分が忘れてもいいようにと、カメラで写真を適当に撮っている時に、ヘッドフォンから久しぶりにこの曲が流れてきました。iPod classicには、本当にたくさんの曲が入るので、今入れている10000曲ちょっとの全曲をシャッフル再生にしていると、なかなか帰ってきてくれない曲があるのでした。

スウェーデンのバンド、Pain of Salvationの「1979」という曲です。リンク切れになってしまうかもしれませんが貼っておきます。因みにこの曲はアルバム「Road Salt Two」に収録されています。




この曲のイントロで奏でられているピアノの音ほどには、この時の自分はメランコリックな気分ではなかったのですが、この曲の良さを改めてフェリーの上で感じることが出来ました。今後、「1979」を聴くたびに、小豆島や、フェリーで感じた風を、思い出してしまいそうです。


ひとり旅なんだから、もう少しくらいゆっくりしてもよかったような気がしますが、貧乏性なので、自分が知らないことや体験していないことを1つでも多く吸収しないと気がすまないようです。

今日の朝、大学のカンファランスで勉強したNEJMの論文もそうです。NEJMの10月31日号にある大御所 JL Vincent氏による「Circulatory Shock」のreview articleも、これから読んで勉強しようと思います。

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沢山の人に支えられて、そして支えられていることを改めてしっかりと噛みしめる僥倖に恵まれて、人生3回目の四国旅行を終えることが出来ました。みなさんに感謝しつつ、この旅の記録は、取り敢えず終了。後はまだ書けていないこれまでの旅行記の続きを書いたりしていきますので、お暇がある方はお付き合いください。
これからもよろしくお願い致します。