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2013年7月27日土曜日

(雑) narrativeの最中に自分がいるうちは、その意味に気づけない


朝、目覚めてからおよそ60分以内に、その日一日分の幸せを感じることが出来るような日。そんな日は、その日その後覚醒した状態で過ごすだろう十数時間のクオリティについて、過剰に思いを巡らせて消耗する必要もないでしょう。心の赴くままに目の前のことに懸命に取り組めばいい筈です。


運良く日の出を拝むことができました。この時期にしてはひんやりとした大気の中で、蝉や鳥が鳴いていました。

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「いい選択をしたなぁ」と決断をした直後に胸をほっと撫で下ろすような場合、それはそれでいい選択なのかもしれませんが、最上の選択ではないと思います。いい選択をしたなぁ、って選択した後すぐに思える事自体、自分の想像力の範囲内でしか選択しなかったのだ、そしてその結果も自分の想像力の範囲内にしかなかった、ということです。少なくともその選択をしたことによっては、何も成長できていない気がします。蕎麦を食べるか饂飩を食べるか、珈琲を飲むか紅茶を飲むか、という程度の話ならばどちらを選択してもいいのでしょうが。

何かを決める際に、決めることに影響を及ぼす因子、全てについて可能な限り情報を収集する…そしてそれに基づいて決定する。そうすることで、その決断がイマイチなものだったとしても「あれだけの情報に基づいての結果だから仕方ないか」と自分を納得させるのは比較的簡単かもしれません。過去の自分を振り返ってもそう思いますが、それを学んだことで大人の階段を昇ったと錯覚してはいけない筈です。もっと大人に憧れる必要があります。

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EMCrit Blogに掲載されています。
輸液反応性を予測するための指標として、CVPを一刻も早く退場させるべきである、というニュアンスのメタ解析を紹介しています。Paul E. Marik氏がCrit Care Medに投稿した論文です。

少し前なら、私も心からこの意見に賛同していたと思います。
ですが、今、心からは賛同できないように感じるのは、私の麻酔科医としてのnarrativeに、これを確信するだけの経験がないからです。私の麻酔科医としてのnarrativeをもっともっと積み上げていって、その時点で自分の経験としてこれを確信できる日が、万が一来るのならば。

その日が来るまで、否、その日が来なかったとしても、私は麻酔をし続けようと思います。