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2013年11月13日水曜日

(雑) All it needs is courage.. imagination...and a little dough.

チャールズ・チャップリンの映画「ライムライト」(1952年)での名言として有名です。先日、友人との会話の中でふと出てきたことを思い出したので書いてみました。

勇気、想像力、少しのお金。

わたしは「愛と勇気とサムマネー」と記憶していたのですが、違いましたね。

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上野駅から歩いていける場所にある東京都美術館で10月8日から開催しているターナー展に、先日、行ってきました。ご近所の国立西洋美術館ではミケランジェロ展も開催されていますし、東京藝術大学大学美術館では「国宝興福寺仏頭展」も開催されています。上野公園界隈は、何とも懐の深い場所です。

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ミケランジェロ展には、ターナー展よりも前にお邪魔したのですが、彼が描いたシスティーナ礼拝堂の天井画(1508-1512年)と、祭壇の壁画(1536-41年)の制作年代は、全く異なるということを知りました。


ミケランジェロ展の帰りに購入したこの本「ミケランジェロ - 木下長宏著、中公新書」の中でこのような文章に出会います。

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 だから、われわれは、ミケランジェロの作品の前に佇(た)って、まず、その問いに耳を傾けなければいけない。前もって答を用意して作品に向かうほどつまらないことはない。そうして、作品の前に佇ち、彫刻の場合はとくにその作品の周りを廻ってみることが不可欠だから、作品と向かい合い作品を巡って観ながら、その問いかけるものに耳を傾けるとき(美術作品を観ながら耳を傾けるのである)、突然目くるめくような、言葉にならない感動に包み込まれる―そんな瞬間が訪れる。
 そのとき、作品が問いを発しているのか、それを観ている自分が問いかけているのか、どっちがどうなのか、一瞬はっきりしないような感動に包まれている。
 おそらく、その作品を制作している作者本人も、その制作途上の作品(未生の作品、まだ形になりかけの物体)が問いを投げかけているのか、その石を削っている自分が問いを石へ投げ出しているのか、区別がつかない経験をしているにちがいない。 p.119

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別の時に、ガンディーの「獄中からの手紙」(森本達雄訳、岩波文庫)にある文章に再会しました。



奉仕の生活は謙虚な生活になるはずです。他人のために自らの生命を犠牲にささげようとする人には、自分のために陽当りのよい場所を確保する暇(いとま)などほとんどありません。ヒンドゥー教にまま見られてきたように、無為無気力を謙虚さと思い違いをしてはなりません。[そのような思い違いがあったればこそ、無気力や偽善がしばしば、謙虚さの名のもとにはびこってきたのです。]真に謙虚であるということは、全身全霊を人間性(ヒューマニティー)への奉仕に向けた、不断の精進努力を意味します。神はひとときも休むことなく、たえず働きつづけています。 p82-3

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いろいろな人たちから、いろいろな言葉を受け取ります。

その言葉ひとつひとつは、皆さんそれぞれが、それぞれの、そのときどきの本気で伝えてくださっているものだと思います。

どんな言葉でも、それぞれの方々の、それぞれの想像力と経験から出た言葉。

私には、自分以外の人たちが、どれくらいの想像力と経験をもって言葉を発しているか分かりません。だから、どの言葉を自分の行動に取り込んだら良いのか、については毎日試行錯誤の繰り返しです。

発せられた時に取り込めないと思えるような、その時の自分の状態から程遠いような場所を思わせるような言葉だとしても、一度は自分の中の隅っこの方に置いておきたいと思います。取り込めないと思って排除してしまうと、将来、あれはそういうことだったのか、と思い出して取り込みなおすチャンスが永遠に訪れません。それはとても勿体無いことです。