医師生活丸7年になりますが、これまでいろんな先生たちの発表を聞いてきました。日々の症例のプレゼンテーション、麻酔科研修医としての総括、論文の抄読、ほか。医師としてはまだひよっ子の私ですが、それでも色んな発表を聞くと、演者がその発表にどれ位専心したのかが怖いくらいに分かってしまいます。どのくらいそれに対して興味が有るのか、興味がなくてもどのくらい調べてきたのか、どのくらい「いい日本語がなかったんですけど」と発表の中で告白するまでに葛藤があったのか、こんな内容自分的にはどうでもいいけどあんな質問飛んできそうだよな、と頭の中で沸き上がってきた時に「調べとこ」を選択したか「もう眠いからねよ、わかりませんって言えばいいや」を選択したか、いや、そもそもそんなことすら頭に浮かばなかったか。妄想かもしれませんが、手に取るように分かってしまいます。
発表はその多くが無難な出来なのですが、研修医の発表でも思わず聞き惚れて「弟子入りさせて下さい」と思わず平身低頭しまうような達者なものもあるし、逆もまた然り。そして中には、思わずその場から立ち去りたくなるような内容のものもあります。
それらの発表を思い出して、具体的に”自分にとって”何が酷かったのかを考えて、自分がその轍を踏まないようにしたいと思います。
・スライドに書かれている内容そのもの
―文字が小さい。これは何よりも害悪だと思う。それだけでもうついていけない。すいません、勘弁してください、まだ朝で眠いんだよ。
―これは笑いを取ろうと思って書いているんだろうか?、というような文章。―十数分のプレゼンテーションで笑わせるのは凄く難しいうえにリスクが高いでしょう。もっともそんな文字をスライドに載せたのはちょっとした冗談のつもりで、聴衆を笑わせる意図はこれっぽっちもないかもしれませんが。だとしたら尚更「こいつこんなこと書いてなめてんじゃないのか」と思う聴衆がいるかもしれないことについての想像力を少しはふくらませたほうが良かったんじゃないだろうか、と私は心配になって胸がざわざわしてしまいます。演者が非常に真面目で賢く、発表内容の「真面目な部分」への信頼性がきちんと担保されているとき、もしくは普段からいろんな人に愛されていて、ちょっと不謹慎な内容でも「まったく、しょーがねーなぁ」と、聴衆に笑いながら許容される先天的とも言える人柄の良さの持ち主か俳優のような演技力の持ち主、のどれかであれば笑ってもらえると思いますが。。私は其のどちらでもないわ、と自覚する私のような人間であれば、まずプレゼンテーションの内容が「その時間帯、空間、聴衆全てにおいてアクセプトされうるのか」についてこそ真剣に考えるべきなんじゃないだろうか。過度にプライベートなこととか、こんな大変な症例にあたったんですよ、と聴衆に甘えるような内容を晒すのはご法度ではないけれど、聴衆にいい印象を与えることは少ないと自覚したほうが良い。
以前参加した何かの学会。80分程度の教育講演の合間に、演者やその友人以外にはどうでもいいと受け取られるようなプライベート写真を混ぜてくる演者がいたのを思い出す。会場は静まり返っており、私自身も居心地の悪さを感じてその場から逃げ出したくなった。これは新手の嫌がらせだろうか?とその後今に至るまで真剣に思い悩まされている。
・質疑応答での対応
―相手が質問して言葉を発している最中に、それにかぶせて答え始めるような場に居合わせてしまった時。これも逃げ出したくなる。具合が悪くなってくる。恐らく質問者も不快になるだろう。ちゃっと質問をきいてんのかよ、と。そして演者が自己防衛をしているような印象を、私は受けてしまう。
・語尾がふにゃふにゃな、しっかりしない話し方
―スライドに書いてある言葉を、機械的に順を追って話す方が千倍マシ、というプレゼン。スライドの内容を網羅してない上に、どこもかしかも中途半端なつまみ食い。にも関わらずスライドにない内容のごにょごにょとした言葉を随所に挟んでくる。「えぇ~」とか「あの~」とかならまだしも、何故か言い訳がましいセリフを随所に挟まれるともう絶望的に具合が悪くなり、貧乏揺すりが止まらなくなる。結果的に喋り手の頭の中が混沌とした状態だってことしか伝わらない。私のアタマにケイアスを送らないで下さい。相手にわかってもらおうとする努力を著しく欠いた自慰的プレゼンテーション。
・以前のスライドの焼きなおし
1年も前のスライドを再掲するのには勇気がいる。少なくとも、そのスライドに1年前に関わった聴衆が今この場に何人かいることが予め十分予想されるときには、相応の覚悟が必要である。1年前と比較して、自分がどう成長したのか。この1年間にいろんな患者さんの麻酔を担当したはずである。いろんな論文を読んだはずである。いろんな同期や先輩、後輩の麻酔経験を見聞きしたはずである。学会会場でいろんな発表に触れたはずである。いろんな医療過誤ニュースに触れたはずである。いろんな映画や音楽、本に触れたはずである。いろんなところに旅行したはずである。そういったものに触れてなくても全然構わないけど、何がどう成長したのか、それを少しはスライドに反映させるのが、研修を受けた側のマナーなんじゃないかと思う。
麻酔科医が遭遇する最悪のイベントの1つは、予定手術を受けた患者さんの術後死亡である。その死に麻酔科医として関わったんじゃなかったのか。あれは一体何だったんだ。この麻酔科医は、患者さんの死から何を学んだのだろう。何も学んでいないんじゃないだろうか、と思わず天を仰ぎたくなる感情に、私の心が朝から支配されてしまうことが何よりも耐え難い。
私はまだ、不幸な転機を辿った患者さんに対して、敬意が全く払われていないような発表に対しては、0.00001%も共感できないし、全く甘い評価ができないです。それすら、自分の想像力の限界を示しているのでしょうが。
口下手、口が達者。日々の発表ではあんまり関係ないと思います。要はどれくらい準備したか、それだけでしょう。下手だと思うなら要点を文字に起こしてそれを読めばいいんじゃないだろうか。聴いていて気持ちが良いプレゼンっていうのは、どれくらい愛をもって準備したか。内容に対しても聴衆に対しても。それが大きいと思います。
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私は911について、全くといっていい程なにも分かっていませんが、Iced Earthの「When the Eagle Cries」に涙腺を刺激されます。音楽の良いところは、その製作者の思惑と全く違うところにおいても共感なり何なりができるところだと思います。音楽を通してならチュニジアの人でもネパールの人でも、世界中誰とでも共感できそうです。全くの勘違いかもしれませんが。そう思うとこの世界もまんざら捨てたものでもないのかも知れません。
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最近の読めてない本。 ・クラシック迷宮図書館 音楽書月評1998-2003 ・シュリーマン旅行記 清国・日本 ・空気の発見 ・地獄の季節 ・いやな気分よ、さようなら ・南方熊楠随筆集 ・方丈記 ・故郷/阿Q正伝 ・非常識な読書のすすめ ・百姓たちの幕末維新 ・禅マインド ビギナーズ・マインド ・ダンゴムシに心はあるのか ・須賀敦子全集第1巻 |
そのうち読める日が来るでしょう。