最近の自分の麻酔を振り返りますと、「ちょっと背骨の位置を確認しますね」とか「大丈夫ですよ〜」などと、語尾に「ね」や「よ〜」が多くなっていました。勿論そのような声かけを是とする患者さんもいる筈ですが、馬鹿にされているように感じる患者さんもいるでしょう。死にそうなくらいに具合が本当に悪ければ言葉遣いなんかどうでもよいかもしれませんが、予定手術を受ける患者さんに対しては、その患者さんの知的水準や要求しているコミュニケーションレベルをひとりひとりきちんと把握する。そして個人個人の生活史の中のおける今日のこの手術(と麻酔)を慮る。ということをさぼりつつあったのかもしれない自分をちょっと反省しました。面と向かって患者さんから何か苦言を呈されたわけではないのですが、呈された時には既に詰んでいるでしょうからね。小さなお子さんの点滴を2回も刺し直したことも反省したいと思います。吸入麻酔で眠った後の穿刺とはいえ痛み刺激は伝わっているでしょうし、穿刺に苦戦している間の患者さんの吸入麻酔暴露時間は無駄以外の何物でもありませんし。
また別の場面では、緊急手術の麻酔の説明時に誤嚥性肺炎や歯牙損傷の危険性を強調して説明している自分がいました。患者さんとその家族を安心させることこそが、インフォームドコンセントの大切な役割だったはずなのに。
医師としてのよくわからない惰性に絡め取られているかもしれない自分をちょっと客観的に見てみると、自分の医師としての一生懸命さとは関係のないところで何かを無くしつつあるのではないかという気がします。そしてそこにこそ医師としての一生懸命さよりも大事なものがあるのではないかと。それがポロポロこぼれているような、いないような。私はパートタイム麻酔科医ですが、だからこそ毎日麻酔をしている人よりも一生懸命やらないといけない。そんなことを思う最近であります。