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2010年12月31日金曜日

(映) 独裁者 The Great Dictator (1940) ☆☆☆☆

Charlie Chaplin初のトーキー映画。ヒトラーのナチズムをパロディにした危険なコメディ映画です。

数年前に買ったDVDですが、漸く見ることに成功しました。
大戦後に公開されたものだとばかり思い込んでましたが、しっかり戦時中に公開されています。(そしてヒトラーもこの映画を見たことがあるようです。ちなみにチャップリンとヒトラーは誕生日がたった4日しか違わないらしい。同い年だったのですね)

白黒映画ですが、「映画というものが好きでよかった」と思える映画愛に溢れた作品です。今年は映画を数本しか見ませんでしたが、最後の締めがこの作品でよかった。


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今年も多くの患者さんと、同僚と、先輩方々と後輩方々と、手術部の看護師の方々、外科医の先生方には大変お世話になりました。電車内で居眠り中の私の鞄や財布を盗まなかった人、私の乗った電車・飛行機・バスを安全に運転してくださった方々、またはそれらに追突してこなかった方々、私の食べ物に致死性の毒物を入れなかった人、庶民レベルでの「日本円」の価値をそれ程変化させなかったことに尽力してくださった人、電気・ガス・水道のライフラインの維持に関わった全ての人、その他挙げればキリがありませんが、本当に1年間ありがとうございました。

(雑) 部外者は口をだすことすらできないのです(其の二)

平成21年の警察庁の調査では小中高校生の自殺者は306人だということです。

本日の新聞第1面によると
「子供の自殺に歯止めをかけるため、小中学校や高校の授業に自殺予防教育を導入することを文部科学省が検討している」
とあり、記事を読むと
「予防教育は、自殺について深く考えさせること、相談機関や医療機関の情報を知らせることが柱。ひどく落ち込んだときには誰かに相談し、友達から『死にたい』と打ち明けられたら信頼できる大人に伝えるといった対策を教える」
とあります。

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小中高生の自殺の主因はいじめです。

「いじめの構造 なぜ人が怪物になるのか」(内藤朝雄著)によると
いじめの加害者は、いじめの対象にも、喜びや悲しみがあり、彼(彼女)自身の世界を生きているのだ、ということを承知しているからこそ、その他者の存在をまるごと踏みにじり抹殺しようとする。いじめ加害者は、自己の手によって思いのままに壊されていく被害者の悲痛のなかから、(思いどおりにならないはずの)他者を思いどおりにする全能の自己を生きようとする。このような欲望のひな型を、加害者は前もって有しており、それが殴られて顔をゆがめるといった被害者の悲痛によって、現実化される。(P.77-78)

このようないじめが繰り返され、死ぬこと以外に救いがなくなり、自殺に至ると私は想像します。だとすると上記の提言「ひどく落ち込んだときには誰かに相談」という項目は、いじめに耐え続ける自殺予備軍状態の子供に対して、「誰かに相談する」という、いじめれている子供に対して更なる努力を求めた暴言のように思えます。
一日中ベタベタと共同生活することを強いられ、心理的な距離を強制的に縮めさせられ、さまざまなかかわりあいを強制的に運命づけられる「過酷な政治空間」である学校(p164)において、自殺予防教育にどれ程の効果があるのでしょうか。
友達から『死にたい』と打ち明けられたら信頼できる大人に伝えるといった対策を教える」
とは即ち、「オマエちくっただろ」と言われてその子供もいじめの標的になるということです。私には「信頼できる大人が『なに!それはたいへんだ!』と何らかのリアクションを起こしていじめ問題をなくそうと躍起になって周りの大人たちを上手く巻き込んで解決しましたとさ、めでたしめでたし」、というストーリーよりよっぽど納得しやすい話です。それどころかその正義感でいっぱいになった大人も、その学校コミュニティーの一員であれば、何らかの形で村八分的な制裁を食わされる可能性が高そうです。

凄惨ないじめでも自殺の報道でもテレビで流れていれば、「可哀相」という一定の同情を短時間示すだけ。次のチャンネルにかえて、お笑い番組で笑うのが一般的な人々の反応です。「いじめは悪いこと」なんて一般論として子供も大人も皆知っています。自分の所属するコミュニティでいじめ問題があっても「自分の子供は関係ない」ということであれば、自分や自分の子供が次の標的になるリスクを背負って、いじめ問題解決に奮闘する、という構図は私にはとっても想像し難いです。

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個々の自殺の事例に関しては、私が何をいう資格もありません。亡くなった子供たちが、それまで歩んだ物語を私は全く知らないし、それに想像力を働かせるのも困難です。ですから適当なことを語る気はありません。私に見えるのは、メディアというフィルターを通し、誰かに加工された情報だけです。

そしてその情報は「子供が自殺をした、いじめがあった、校長の責任だ、担任の責任だ。」という報道です。伝える側も分かりやすいし、見ているほうも分かりやすい物語です。
私がそのような報道に接するたびに感じるのは、
「この報道を見ている自殺寸前状態にある子供が、この報道が自殺を達成する後押しとなる可能性についてはどうなのだろう」
ということです。
そのような状態にある子供が、自殺を成し遂げた子供の報道をテレビやネットニュースで見て、「死ぬとこういう風に報道されるのか、いじめていた側や学校側がこういう風に言うのか、私が死んだときにもこういう風に、テレビを見ている人みなが私がいじめれられていたことを知ってくれるのか」という気持ちになり、報道によって死への大きな一歩を踏み出す原動力を得たりはしないのでしょうか?

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内藤朝雄氏の提言どおり、「一般社会でやったら犯罪として逮捕されることを、学校社会でも同様に適応する」方に、役人の方々の努力を向けた方が自殺者数は減るような気がします。

(音) 2010年に聴いた曲のまとめ

最もよく聴いた11曲です。もしくは魅力を再発見した曲。
この他にもいっぱいありましたが、今年は充実していました。

曲名/アーティスト名 (アルバム/発表年) の順。
・New Jerusalem / Orphaned Land (The never ending way of Orwarrior / 2010)
・Lost in Life / Sirenia (The 13th floor / 2009)
・Na Na Na (Na Na Na Na Na Na Na Na Na) / My Chemical Romance (Danger Days: The True Lives of the Fabulous Killjoys /2010)
・Who is Mr. Madman? / Helloween (7 sinners /2010)
・VINUSHKA / DIR EN GREY (UROBOLOS /2008)
・Gateways / Dimmu Borgir (Abrahadabra /2010)
・Orchestral Fantasia / 水樹奈々 (GREAT ACTIVITY /2007)
・Shape / Sugababes (Overloaded /2006)
・Die Young / Black Sabbath (Heaven and Hell /1980)
・死んだ女の子 / 元ちとせ+坂本龍一 (Orient /2005)
・Sisters / Pain of Salvation (Road Salt One /2010)

2010年12月30日木曜日

(映) グラン・トリノ Gran Torino (2008) ☆☆☆☆

久しぶりに映画を見ました。
友人が薦められてくれていたにも拘らず、しばらく放置してしまいました。

愛妻に先立たれ、息子たちともきちんとコミュニケーションをとれない、朝鮮戦争帰りの人種差別主義者で頑固者の老人の物語です。
「超・字幕」で英語と日本語の字幕を同時に追っていたため物語に没入できていたかは不明ですが、非常に有意義な時間になりました。


1番印象的な場面は、主演のクリント・イーストウッドが息子に電話するところ。
話したいことがあるのに、本題に入れずうじうじしている。

そのうちに
「...so if you there's not something pressing...」
と仕事が忙しい息子に(特に急ぎの用がないならあとにしてくれよと)言われ
「No. No, not at all」
と、自分の容態が思わしくないことすら、息子に上手く打ち明けられない。
血痰を吐くほど具合が悪いのに、です。

クリント・イーストウッド自身が歌うエンディング曲がはまりすぎているのはよいのですが、劇中、悪いやつらの登場シーンはなぜかヒップホップが流れてくる。このように使われるヒップホップという音楽に同情してしまいました。(まぁメタルも似たような扱われ方をしますが)

2010年12月29日水曜日

(雑) 部外者は口をだすことすらできないのです

呼ばれない当直のときほど、仕事が進む場面はありません。

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大学生の就職難がメディアでよく取り上げられています。
何十社も就職試験を受けるなんていうことを聞くと、私がその立場だったら確かに生きているのも嫌になりそうです。
毎日受け続けても数ヶ月かかるわけですよね?しかも企業ってそれぞれ目標とか理念とか求めている人材とか違うわけでしょうし。学生さんはそれぞれに合わせて毎回試験対策して受け続けるのでしょうか?凄まじい気力が要求されます。試験を受け続ける根性を何か1つの研究テーマにだけ費やせば、偉業が達成されるに違いありません。
致命的なミスを侵さない限り、職業の安定が保障されている私のようなものの視点からは、大学生の就職難という問題について何を申し上げても「上から目線」とか言われる可能性が高いです。それこそ「格差社会の弊害を語っているのが、実は金持ちばかり」と批判される様に。
ですので、言いたいことには9割方口を噤むことにします。
就活の時間が十分取れないからと言う理由で、大好きな学問をするために英国への短期留学を辞めてしまう学生さん、というのを以前テレビで見ましたが、本当に本末転倒だと思います。

数だけで言えば大企業の倍率が非常に高いだけで、中小企業はむしろ企業が学生を集めるために必死になっている、という図式が成立しているようです。
そして、その統計から「中小企業にこそ就職のチャンスあり」といって学生さんに葉っぱかける専門家の方々はいますけど、個々の学生さんからすればやっぱり大企業に就職したい人が多い。倍率が高いけど、大企業がいい。中小企業は就職しやすいかもしれない。でも中小企業に内定して就職したとしても、何をやっている会社なのかいちいち人に聞かれるたびに「~~~という部品の国内シェアナンバーワンの企業です」という説明をするのは面倒くさいし、格好悪い。親の受けも悪い。親の受けが悪いからといって内定を辞退する学生もいるという。そんな事態を受けて、中小企業は親に対して就職説明会を開催していたりする。私には意味の分からない世界です。一般的に医者は世間知らずと言われているから、世間のそんな動向が、私には分からないのでしょうか。

そもそも大企業志向なのはなぜなのか?ということを考えてみたいのですが、安定した収入、肩書きの他に「楽しても上に上がれるような気がする」ということにあるんじゃないかと思います。それなりに先人が築いたキャリアアップのための道筋ができていて、それに乗っかって努力すれば上にいけるという甘い見通しがあるんじゃないでしょうか。上に上がるのには血が出るくらいの努力が必要でしょうが、その努力の向け方の青写真があるかないかというのは、努力が日常化している人にとっては雲泥の差です。青写真があれば、努力を苦と思わないような人には至って楽な道のりでしょうから。本当に大変なのは「どのように努力したらいいかわからない」ともがいている第一線の研究者のような人たちです。

しかし、日本の新卒採用に海外からの留学生を受ける枠はどんどん広がっているし、いまや英語ができるだけではさっぱりアドバンテージになりません。留学生は英語を生きるためのスキルとして身につけているし、彼らは「プラスアルファ」の特技を持っていることが多いですから。
将来の安定が約束されていそうだから、或いは大企業のほうがチャンスが多そうだから、という妄想で大企業を選択する人は今や少数派と思いますが(おそらく親世代が大量にリストラにあっているのを見ているでしょうし)、分相応の人生戦略を考え直したほうがいいように私も妄想します。
内定をもらえる学生はそれこそ何社からももらえると聞きます。ということは何十社も落ちるような学生さんが、就職留年なりして入社できたとしても、その何社からも内定をもらえるような企業が求める優秀な人材たちに出世の道を取られる可能性が非常に高いです。そのような環境で業績をあげないとならない過酷なストレス下で仕事をし続けることが安定した生活を指すとは私には思えません。

とりあえず、日本に生きていると、ほとんどの方々が屋根のある暖かい部屋に住むことができて、食事もきちんととることができる。就職活動のための塾やセミナーに通うためのお金を親に払ってもらうことができる。新卒じゃないと就職に不利になるからと言って就職留年のための大学の授業料費用100万円以上を肩代わりしてもらうことができる。 それって十分幸せで恵まれていることだと思います。
曽野綾子氏の「貧困の風景」を読んでからNHKの討論番組を見ていたらそんなことを不遜にも考えてしまいました。しかし、貧困は住む世界ごとに定義が変わるので、就職できずに苦しんでいる人々には非常に同情いたします。私がそのような方々にできるとしたら、彼らが急病を患い手術が必要になったときに、必要な麻酔の処置を行うことだけです。

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そんな就職難に見舞われた大学生に使えるかどうかは分かりませんが、「街場の大学論」に興味をひくことが書いてありました。


大学院生の面接も、学生の社会的成熟度を見るという点では、就職試験と少しも変わらない。私がビジネスマンだった場合にその学生が来年四月から来る「新入社員」として使えるかどうか、それを基準に私は院生を査定している。「使える」というのは何か特殊な才能や技術を「すでに」有しているということにではない。
「まだ知らないこと」を「すぐに習得する」ことができるかどうかである。学部教育程度で身につける学術的な知識情報のほとんどは「現場」では使いものにならない。
だから学部教育が無意味だというようなことを言っているのではない。見なければいけないのは、大学でその知識情報を身につけるときにどのような「ブレークスルー」を経験したか、である。
(途中略)この知識技術を身につけておくと「金になる」とか「就職に有利」とか「偉そうにできる」というような幼児的な動機で勉強している学生は、どれほど努力しても、それこそ体が壊れるほど勉強しても、それによっていかなるブレークスルーも経験することがない。(p201-202)


就職活動が大変すぎて、大学で何を教わる暇があるのか、私にはよく分かりません。
その点、医学生は非常に恵まれています。「就職できないかも」と心配することはないでしょうし、自由時間の相当の部分を学問に割くことができるのですから。

2010年12月26日日曜日

(本) KAGEROU ― 齋藤智裕

Amazonのレヴューで大炎上していたので、逆に興味をもって読んでみました。

話の内容はファンタジーです。作中の人物はどこかで聞いたような一般論としての「世界や人生の不条理」に対して批判的なことを随所で語ります。辟易する人には辟易する描写かもしれません。また例え(~のように)の表現も多く、文章が逐一しつこく感じられる、というのも一理あります。
これがプロ(ここでは、私がこのブログに書いているような、無料の玉石混交~主に石~の情報の垂れ流しではなく、それを発表することで生計が成り立つだけの収入が得られるかどうか、を取りあえずの「プロ」と定義します)の作品かどうかと言われると微妙ではあります。

ですが。
最後のページまでページをめくり続けさせる力があったという点においては、私は本書を評価したいと思います。つまらないお話であれば、最後のページまで読めません。もっとも私の評価などどうでもよいでしょうけれど。10000文字(原稿用紙25枚程度)の論文ですら、書き上げるのに数ヶ月かかる私には、このように商業ベースに乗せられる作品を、大きな破綻なく書き上げることだけで尊敬に値します。(破綻してるって。という批判をする人は、作品に対する愛が足りない人です。医師として読むと一般常識的には破綻だらけですが、小説が事実の羅列であれば、私は読みたくありません。手回しの人工心臓のくだりとかその他色々突っ込みどころがあって楽しめます)。
「著者が容姿の優れた俳優という肩書きがあったからとれた賞なんじゃないか」とか、「大賞を取って2000万円の賞金に値する価値があるのか」とか。そういう批判だったらいくらでもできます。他に批判する対象は、いまの世の中いくらでもあるような気がします。

適切なブラッシュアップによってさらによい作品が生み出されることを、私はひそかに期待したいと思います。

2010年12月25日土曜日

(走) Training in Rena (其の八十七-八)

23th・・・3km(23min, 8km/h, 傾斜6-9)
25th・・・3km(23min, 8km/h, 傾斜6-9)
total distance: 649.0km (Oct 66.6km, Nov 52.2km, Dec 42.2km)
total time: 4029min = 67h09m

2010年12月24日金曜日

(本) 2010年に読んだ本のまとめ

特に順番には意味はありません。読んだ本の内容はさておき300冊/年を達成できたのは、300冊を目標としたからでしょう。

1.論語物語 / 下村湖人
2.マイナス思考法講座 プラス思考をやめれば人生はうまくいく / ココロ社
3.街場の現代思想 / 内田樹
4.喜嶋先生の静かな世界 / 森博嗣
5.走ることについて語るときに僕の語ること / 村上春樹
6.スピード・オブ・トラスト / スティーブン・M・R・コヴィー
7.残念な人の仕事法 / 山崎将志
8.目に見えないもの / 湯川秀樹
9.犠牲 / 柳田邦男
10.組織行動の「まずい!!」学 / 樋口晴彦
11.老いの才覚 / 曽野綾子

今年は「自分の想像力がいかに限定されたものか」をよく知ることができた年でした。この本の一覧に日本語で書かれた本しかないということもその1つです。自分の知らないものには想像力をはたらかすことすら出来ないということを自覚するだけでも、私にとっては大いなる進歩でした。

2010年12月20日月曜日

(走) Training in Rena (其の八十三~六)

ハーフマラソン以降の記録。右膝の調子をみつつ。
2km(10min )3km(20min )3km(22min)2km(15min, 傾斜6-9) 
total distance: 643.0km (Oct 66.6km, Nov 52.2km, Dec 36.2km)
total time: 3983min = 66h23m

そういえば11月下旬から歩数計をポケットに忍ばせて歩いています。
4週間ほど使用してみました。ランニング日は1万歩は軽く超えますが、それ以外の日では8,000歩程度の日が多いことがわかりました。
自分がファーストの麻酔担当医として麻酔をかける日はおよそ7000-9000歩。
逆に
・2件以上の麻酔の指導を行うような日
・インチャージ(手術室の麻酔全体を監督する仕事)の日
・当直日で夕方の時点で数件の全身麻酔が残っているような日
には有意に多く、12000-15000歩くらい稼げます。私が落ち着きなく動いているせいもあるのかもしれませんが。健康のためには毎日でもインチャージや当直をやるとよいようです。その場合、精神的に相当疲弊しそうですが。

2011年3月42.195km:板橋Cityマラソン(あと88日)

2010年12月17日金曜日

(本) 書いて生きていくプロ文章論 ― 上阪徹

書く、発表する、伝える。そんなさまざまなアウトプットのヒントが書かれている本です。ライターがどのようなことに気を遣って書いているのか、その一端を垣間見ることができます。

・文章を書く前に、誰に向けての文章なのか、できるだけ具体的にイメージしてみてください。その瞬間に、使う言葉やトーンがすぐに浮かんでくるはずです。そうすれば、文章はずっと書きやすくなります。ターゲットは、自分で作ればいいのです。(p.33)
・数字をうまく使って程度を理解してもらう。(51)
・形容詞は使わない。数字や事実を意識する。それだけで文章は変わっていきます(51)
・走ることは人生に似ている、と書いた作家の方がおられましたが、私は走ることは仕事に似ている、と思ったのです。 別に3周走ることは義務ではないのです。2周でやめてもいいし、途中で歩いてもいい。簡単です。でも、最後まで苦しいけれどあきらめず、止まらず、走り抜いたとき、なんともいえない達成感と心地よさが広がるのでした。これはまさに仕事と同じだと思いました。途中で「これでいいかな」「もういいんじゃないか」と思いつつ、やっぱりもうちょっと粘ってみようと考えてみる。(315-6)

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敬意や信頼感を得るためには「相手が感謝すること」を相手にも見える形で誤解がないように働きかけることが必要です。意図してごまをすったり演技をするということではありません。私はあなたを気にきにかけているのですよ、ということを、自分が心の中で思っているレベルまで、言動で相手に伝えることが大事ということです。
心の中で思いやることはできるでしょう。ただし、その思いやることを相手に積極的に伝えることは人との生活や仕事において、とても大切なことではないでしょうか。それが感謝でもお小言でも。
文字は一人歩きするので、話し言葉以上に思いやりの心が必要だということを、本書で再確認しました。